初級翻訳・山椒大夫 第7話

山椒大夫

三日が過ぎると、また家の中での通常の仕事が始まりました。
安寿は今日も糸を紡いでいます。厨子王は、もくもくと藁(わら)を叩いて柔らかくしていました。
もうすっかり夜になって小萩がやってきても、手伝ってもらう必要がないほど、安寿は上手に糸車を回せるようになっていました。
なんだか様子は少し変わっていましたが、こうした静かで、同じ動作を繰り返すようなお仕事をするには何の支障もありませんでした。むしろ、そうやって手を動かしているほうが、あれこれと思い悩んで散らかる心を落ち着かせてくれるように見えました。
以前のように姉とおしゃべりができなくなっていた厨子王にとって、糸を紡ぐ姉のそばに小萩がいて、楽しくおしゃべりをしてくれることが、何よりも心強く感じられたのでした。

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水がぬるみ、草が芽吹く春の季節がやってきました。
「明日からは外での仕事が始まるよ」という日のこと、二郎(山椒大夫の息子)が屋敷の見回りのついでに、三の木戸の小さな小屋へとやって来ました。
「どうだい? 明日から外の仕事に出られるかな。大勢の奴隷の中には、病気で働けない者もいるんだ。奴頭(やしが頭=まとめ役の男)から話を聞いただけでは実際の様子がわからないからね、今日はすべての小屋を自分たちの目で見て回ったのさ」
藁を叩いていた厨子王が返事をしようと、まだ言葉を口に出さないうちに、このごろの静かな様子とはまるで違って、安寿は糸を紡ぐ手をピタッと止め、すっと二郎の前に進み出ました。
「あの、それについてお願いがございます! わたくしは、弟と同じ場所で働きたいのです。どうか、一緒の山へ行けるように、お取り計らいいただけないでしょうか?」
青白い顔にふっと赤みがさし、目はキラキラと輝いていました。
厨子王は、姉の様子がまた変わってしまったように見えてびっくりしました。それに、自分には一言の相談もなしに、突然「山へ薪(まき)刈りに行きたい」と言い出したことも不思議でたまらず、ただただ目を見張って姉を見つめるばかりでした。
二郎は何も言わず、安寿の様子をじっと見つめています。
安寿は「ほかに望みはありません、ただ一つのお願いなのです。どうぞ山へ行かせてください」と、何度もくり返して頼みました。
しばらくしてから、二郎は口を開きました。
「この屋敷では、奴隷の者にどんな仕事をさせるかというのはとても重要なこととして決まっていてね、父上(山椒大夫)が自分で決めることになっているんだ。しかし垣衣(安寿)、お前のその願いは、よほど深く決意してのことと見える。この二郎が責任を持って取り計らって、きっと山へ行けるようにしてやろう。安心していなさい。まあ、小さな二人が無事に冬を越せて本当によかった」
二郎はそう言って、小屋を出ていきました。
厨子王は持っていた杵(きね)を床に置き、姉のそばへ駆け寄りました。
「姉えさん、いったいどうしたのですか? あなたが一緒に山へ来てくれるのは、僕もすごく嬉しいけれど、どうして出し抜けにあんなことを頼んだのですか? どうして僕に相談してくれなかったの?」
しかし、姉の顔は喜びでいっぱいに輝いていました。
「本当に、そう思うのも無理はないよね。でもね、わたしだって、あの二郎さまの顔を見るまで、頼もうとなんて思っていなかったの。急に思いついたんだもの」
「そうなんですか……なんだか変だなあ」
厨子王は、まるで珍しいものを見るような目で、姉の顔をじっと眺めました。

そこへ、奴頭が大きな籠と鎌を持って小屋に入ってきました。
「垣衣さん、お前にはこれから汐汲み(海から水をくむ仕事)をやめて、山へ柴(薪)刈りに行かせることになったそうだ。だから、わしがその道具を持ってきたぞ。代わりに、これまで使っていた桶と柄杓(ひしゃく)をもらっていくからな」
「これはご丁寧に、お手数をおかけしました」
安寿は軽やかに立ち上がると、桶と柄杓を出して奴頭に返しました。
奴頭はそれを受け取ったものの、すぐに帰ろうとはせず、顔になんとも言えない苦笑いのような表情を浮かべていました。
この男は、山椒大夫一家の言い付けを「神様の命令」のように絶対のものとして聞いていました。そのため、たとえどんなに残酷で気の毒なことでも、ためらうことなく実行する男でした。
しかし本来の性格として、人が苦しんだり、泣き叫んだりするのを見るのは好きなほうではありませんでした。できることなら物事が穏やかに進んで、そんな惨めな姿を見ずに済むなら、そのほうがいいと思っていたのです。
今浮かべている苦笑いのような表情は、「また彼女に大変で悲しい思いをさせなくてはならないのか……」とあきらめつつ、命令だから仕方なく何かを言い伝えたり実行したりするときに、この男の顔によく表れる表情でした。
奴頭は安寿に向かって言いました。
「それとな、もう一つ用事があるんだ。実はお前を柴刈りにやることになったのは、二郎様が大夫様に頼んで決めてくださったんだ。すると、その場にいらした三郎様(冷酷な三男)が、『それなら垣衣を、男と同じように丸刈りにして山へやれ』とおっしゃったのさ。大夫様は『それはいい思いつきだ』と笑っていられた。だからわしは、これからお前の髪を切っていかねばならんのだ」

そばで聞いていた厨子王は、まるで胸を鋭い針で刺されたような思いでその言葉を聞きました。そして、目にいっぱいの涙を浮かべて姉を見つめました。
しかし、意外にも安寿の顔から喜びの色は消えていませんでした。
「本当にその通りですね。柴刈りに行くからには、私も男と同じです。どうぞ、その鎌で切ってくださいまし」
安寿は、奴頭の前に真っ直ぐに首筋を伸ばしました。
ツヤツヤと美しく長かった安寿の髪は、奴頭が振るった鋭い鎌の一振りによって、サックリと切り落とされたのでした。

――――――――――――

次の日の朝、二人の子どもは背中に大きな籠を背負い、腰に鎌を差して、しっかりと手をつなぎながら木戸を出て行きました。
山椒大夫の屋敷に連れてこられてから、こうして二人揃って外を歩くのはこれが初めてのことでした。
厨子王は、姉の本当の心がどういうものか分からず、寂しいような、悲しいような思いで胸がいっぱいになっていました。
昨日の夜も、奴頭が帰ったあとでいろいろな言葉をかけて尋ねたのですが、姉は何かひとりで遠くのことばかり考えているようで、本当の理由をはっきりと打ち明けてはくれないままだったのです。
山のふもとに差し掛かったとき、厨子王はもう我慢できなくなって、姉にこう言いました。
— (次回の第9回へ続く) —「姉えさん。
わたしはこうして久しぶりで一しょに歩くのだから、嬉しがらなくてはならないのですが、どうも悲しくてなりません。
わたしはこうして手を引いていながら、あなたの方へ向いて、その丸刈りになったお頭を見ることが出来ません。
姉えさん。
あなたはわたしに隠して、何か考えていますね。
なぜそれをわたしに言って聞かせてくれないのです」
 安寿は今朝も神々しいほどの喜びを額にたたえて、大きな目をキラキラとかがやかせている。
しかし弟の言葉には答えない。

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