初級翻訳・怪人二十面相 第9話

怪人二十面相

勝手に計画を実行するばかりです」

羽柴氏も近藤老人も、この少年の元気を、持て余し気味でした。そして、長いあいだの協議の結果、とうとう小林少年の考えを実行することに話が決まりました。

仏像の奇跡

さて、お話は飛んで、その夜のできごとに移ります。午後十時、約束を違えず、二十面相の部下の三人のあらくれ男が、開け放したままの、羽柴家の門をくぐりました。盗人たちは、玄関に立っている秘書などをしりめに、

「お約束の品物をいただきにまいりましたよ」

と、捨てぜりふを残しながら、間取りを教えられてきたとみえて、迷いもせず、ぐんぐん奥のほうへ踏み込んでいきました。美術室の入り口では、壮太郎氏と近藤老人とが待ち受けていて、賊のひとりに声をかけました。

「約束は間違いないんだろうね」「子どもはつれてきたんだろうね。」

すると、賊はぶあいそうに答えました。

「ご心配には及びませんよ。子どもさんは、もうちゃんと門のそばまでつれてきてあります。だがね、探したって無駄ですぜ。私たちが荷物を運び出すまでは、いくら探しても分からないように工夫がしてあるんです。でなきゃあ、こっちが危ないからね。」

言い捨てて、三人はドカドカと美術室へ入っていきました。その部屋は土蔵のような造りになっていて、薄暗い電灯の下に、まるで博物館のようなガラス棚がぐるりと周囲を取り巻いています。価値のありそうな刀剣、甲冑、置き物、手箱の類、屏風、掛け軸などが所狭しと並んでいる一方の隅に、高さ一メートル半ほどの長方形のガラスケースが立っていて、その中に問題の観世音像が安置してあります。

蓮華(れんげ)の台座の上に、本物の人間の半分ほどの大きさの、薄黒い観音様が座っておいでになります。元は金色にまばゆいお姿だったのでしょうけれど、今はただ一面に薄黒く、着ていらっしゃるひだの多い衣もところどころ擦り切れています。でも、さすがは名匠の作、その円満で柔和なお顔立ちは今にも笑い出しそうに思えるほどで、どんな悪人でもこのお姿を拝しては、合掌せずにはいられないほどに見えます。

三人の泥棒は、さすがに気が引けるのか、仏像の柔和なお姿をよくも見ないで、すぐさま仕事にかかりました。

「ぐずぐずしちゃいられねえ。大急ぎだぜ。」

ひとりが持ってきた薄汚い布のようなものを広げると、もうひとりの男がその端を持って、仏像のガラスケースの外をぐるぐると巻いていきます。たちまち、中身の分からない布包みができあがってしまいました。

「ほら、いいか。横にしたら壊れるぜ。よいしょ、よいしょ。」

傍若無人な掛け声までして、三人のやつらはその荷物を表へ運び出します。壮太郎氏と近藤老人は、それがトラックの上に積み込まれるまで、三人のそばにつききって見張っていました。仏像だけ持ち去られて、壮二君が戻ってこないでは何にもならないからです。やがて、トラックのエンジンが騒がしくなりはじめ、車は今にも出発しそうになりました。

「おい、壮二さんはどこにいるのだ。壮二さんを戻さないうちは、この車を出発させないぞ。もし無理に出発すれば、すぐ警察に知らせるぞ。」

近藤老人は、もう一生懸命でした。

「心配するなってえことよ。ほら、うしろを向いてごらん。坊ちゃんは、もうちゃんと玄関においでなさらあ。」

振り返ると、なるほど、玄関の電灯の前に、大きいのと小さいのと、二つの黒い人影が見えます。壮太郎氏と老人がそれに気をとられているうちに、

「あばよ……。」

トラックは門前を離れて、みるみる小さくなっていきました。ふたりは急いで玄関の人影のそばへ引き返しました。

「おや、こいつらは、さっきから門のところにいた親子の乞食じゃないか。さては、一杯食わされたかな。」

いかにもそれは親子と見えるふたりの乞食でした。両人とも、ぼろぼろの薄汚れた着物を着て、煮染めたような手ぬぐいで頬被りをしています。

「おまえたちはなんだ。こんなところへ入ってきては困るじゃないか。」

近藤老人が叱りつけますと、親の乞食が妙な声で笑い出しました。

「エヘヘヘヘヘ、お約束でございますよ。」

わけのわからぬことを言ったかと思うと、彼はやにわに走り出しました。まるで風のように、暗闇の中を門の外へと飛び去ってしまいました。

「お父さま、ぼくですよ。」

こんどは子どもの乞食が、へんなことを言い出すではありませんか。そしていきなり頬被りをとり、ぼろぼろの着物を脱ぎ捨てたのを見ると、その下からあらわれたのは見覚えのある学生服、そして白い顔でした。子ども乞食こそ、ほかならぬ壮二君でした。

「どうしたのだ、こんな汚いなりをして。」

羽柴氏が、懐かしい壮二君の手を握りながら尋ねました。

「何かわけがあるのでしょう。二十面相のやつが、こんな着物を着せたんです。でも、今まで猿ぐつわをはめられていて、ものが言えなかったのです。」

ああ、では今の親乞食こそ、二十面相その人だったのです。彼は乞食に変装をして、それとなく仏像が運び出されたのを見極めたうえ、約束どおり壮二君を返して逃げ去ったのに違いありません。それにしても、乞食とはなんという思い切った変装でしょう。乞食ならば人の門前にうろついていてもさして怪しまれないという、二十面相らしい思いつきです。壮二君は無事に帰りました。聞けば、壮二君は地下室に閉じこめられてはいたものの、別にひどい扱いを受けることもなく、食事もじゅうぶんにもらえていたということです。これで羽柴家の大きな心配は消え去りました。お父さま、お母さまの喜びがどれほどだったかは、読者諸君のご想像におまかせします。

さて、乞食に化けていた二十面相は、風のように羽柴家の門をとびだすと、薄暗い横町に隠れ、すばやく乞食の着物を脱ぎ捨てました。その下には、茶色の十徳という着物を着た、おじいさんの変装が用意してあったのです。頭は白髪で、顔もしわだらけ。どう見ても六十を越したご隠居さまの姿です。彼は身なりを整えると、隠し持っていた竹の杖をつき、背中をまるめて、よちよちと歩き出しました。たとえ羽柴氏が約束を無視して、追っ手を差し向けたとしても、これでは見破られる心配はありません。じつに心憎いほど用意周到なやりくちです。

老人は大通りに出ると、一台のタクシーを呼びとめて乗りこみました。しかし、二十分もでたらめな方向に走らせてから別の車に乗りかえ、こんどこそ、本当の隠れ家へと急がせました。車がとまったところは、戸山ヶ原の入り口でした。老人はそこで車をおりると、真っ暗な原っぱをよぼよぼと歩いていきます。どうやら、賊の隠れ家は戸山ヶ原にあったのです。原っぱの端の方、こんもりとした杉林の中に、ポツリと一軒の古い洋館が建っています。荒れはてて、住む人もいないような建物です。老人はその洋館の戸口を、トントントンと三つたたいて、少し間をおいて、トントンと二つたたきました。すると、それが仲間の合図だったのか、中からドアが開かれ、先ほど仏像を盗みだした手下の一人が、ニュッと顔を出しました。

老人はだまったまま先に立って、ずんずん奥の方へ入っていきます。廊下のつきあたりには、昔はさぞ立派だったろうと思われる広い部屋がありました。

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