初級翻訳・怪人二十面相 第15話

怪人二十面相

先にも述べた通り、この賊はいくつもの顔を持っていて、老人にも、青年にも、時には女性にさえも化ける怪物です。そのため、世間はもちろん、警察の係官たちでさえ、その本当の容貌はまったく知らなかったのです。
それにしても、これはなんという醜い顔でしょう。もしかしたら、この野蛮人のような顔すら、まだ変装なのかもしれません。中村係長は、何とも言えない不気味な気配を感じました。係長はじっと賊の顔をにらみつけ、思わず声を大きくせずにはいられませんでした。

「おい、これがお前の本当の顔なのか?」

実に変な質問です。しかし、そうした馬鹿げた質問をせずにはいられない気分だったのです。すると怪盗は、押し黙ったまま、しまりのない唇をいっそうダラリとさせ、ニヤニヤと笑い出しました。
それを見て、中村係長はなぜかゾッとしました。目の前で、想像もつかない奇怪なことが起き始めているような予感がしたのです。係長はその恐怖を隠すように相手へ詰め寄ると、いきなり両手を伸ばして、賊の顔をいじり始めました。眉毛を引っ張ったり、鼻を押さえたり、頬をつねってみたりと、まるで飴細工でもいじっているようです。ところが、いくら調べても、賊が変装している様子はありません。
かつてあの美青年の羽柴壮一君になりすました賊が、実はこんな化け物のように醜い顔をしていたとは、まったく意外というほかありません。

「エヘヘヘ……、くすぐってえや。よしてくんな、くすぐってえや」

賊がやっと声を立てました。しかし、なんというだらしのない言葉でしょう。彼は口のきき方まで偽って、あくまで警察を馬鹿にしようというのでしょうか。それとも、もしかしたら……。
係長はハッとして、もう一度賊をにらみつけました。頭の中に、あるとてつもない考えがひらめいたのです。ああ、そんなことがあり得るでしょうか。あまりに馬鹿げた空想です。まったく不可能なことです。でも、係長はそれを確かめずにはいられませんでした。

「君は誰だ。君は一体全体、何者なんだ?」

またしても変な質問です。すると賊は、その問いを待ち構えていたかのように答えました。

「あたしは、木下虎吉っていうもんです。職業はコックです」

「黙れ! そんな馬鹿みたいな口をきいて、ごまかそうとしたってダメだぞ。本当のことを言え。二十面相といえば世間に聞こえた大盗賊じゃないか。卑怯な真似をするなっ!」

どなりつけられてもひるむどころか、一体どうしたことでしょう。賊はいきなりゲラゲラと笑い出したではありませんか。

「ヘエー、二十面相ですって、このあたしがですかい。ハハハ……、とんだことになるものですねえ。二十面相がこんな汚ねえ男だと思っているんですかい。警部さんも目がないねえ。いいかげんにわかりそうなもんじゃありませんか」

中村係長は、それを聞くと、ハッと顔色を変えずにはいられませんでした。

「黙れッ、でたらめもいいかげんにしろ。そんな馬鹿なことがあるものか。貴様が二十面相だということは、小林少年がちゃんと証明しているじゃないか」「ワハハハ……、それがまるっきり見当違いなんですよ、笑わせないでください。
あたしはね、別に何も悪いことをした覚えなんてない、ただのコックですよ。
二十面相だかなんだか知りませんが、十日ほど前に、あの家へ雇われたコックの虎吉っていう者です。
なんなら、コックの紹介所にでも問い合わせてみてください。すぐにはっきりするはずですから」

「その、なんでもないコックの君が、どうしてこんな老人の変装なんかをしているんだ」

「それがですね、いきなり押さえつけられて、着物を着替えさせられ、かつらをかぶせられてしまったんでさあ。
あたしも実際、わけが分からなくて……。あのおまわりさんたちが踏み込んできたときに、主人があたしの手をとって、屋根裏部屋へ駆け上がったんですよ。
あの部屋には隠し戸棚があってね、そこにいろんな変装用の衣装が入れてあるんです。
主人はその中から、おまわりさんの洋服や帽子などを取り出すと、手早く身につけました。それから、今まで着ていたおじいさんの着物をあたしに着せて、いきなり『賊をつかまえたぞ!』とどなりながら、身動きもできないようにおさえつけてしまったんです。
今から考えてみると、つまり警部さんの部下のおまわりさんが、二十面相を見つけ出して、いきなり飛びかかったという、あの芝居をやってのけたわけですね。
屋根裏部屋は薄暗いですからね。あの騒ぎの最中じゃ、顔なんかわかりっこありませんや。
あたしはどうすることもできなかったんですよ。なにしろ、主人ときたら、ものすごい力でしたからねえ」

中村係長は、青ざめてこわばった顔のまま、無言で激しく卓上のベルを鳴らしました。
そして、警部が顔を出すと、今朝戸山ヶ原の廃屋を包囲した警官のうち、表口と裏口の見張り番をつとめた四人の警官を、すぐに呼び出すように伝えました。
やがて入ってきた四人の警官を、係長は恐ろしい形相でにらみつけました。

「こいつを逮捕していたとき、あの家から出ていった者はなかったかね。そいつは警官の服装をしていたかもしれないのだ。誰か見かけなかったか」

その問いに応じて、ひとりの警官が答えました。

「警官ならばひとり出ていきましたよ。賊がつかまったから早く二階へ行けとどなりつけておいて、ぼくらがあわてて階段のほうへ駆け出すのと反対に、その男は外へ走っていきました」

「なぜ、それを今まで黙っていたんだ。第一、きみはその男の顔を見なかったのかね。いくら警官の制服を着ていたからって、顔を見れば偽物かどうかすぐわかるはずじゃないか」

係長のひたいには、静脈がおそろしく浮き上がっています。

「それが、顔を見るひまもなかったんです。風のように走ってきて、風のように飛び出していったものですから。しかし、ぼくはちょっと不審に思ったので、『きみはどこへ行くんだ』と声をかけました。するとその男は、『電話だよ、係長のいいつけで電話をかけに行くんだよ』と叫びながら、そのまま走っていってしまいました。電話ならばこれまでも例がないことはないので、ぼくはそれ以上疑いませんでした。それに、賊が捕まってしまったので、駆け出していった警官のことなんか忘れてしまって、ついご報告しなかったのですよ」

聞いてみれば、もっともな話でした。
もっともなだけに、賊の計画がじつに機敏に、しかも用意周到におこなわれたことを思い知らされ、驚かずにはいられませんでした。
もう、疑う余地はありません。ここに立っている野蛮人みたいな、みにくい顔の男は、怪盗でもなんでもなかったのです。ただのつまらない一人のコックにすぎなかったのです。
そのつまらないコックを捕まえるために十数名の警官があの大騒ぎを演じたのかと思うと、係長も四人の警官も、あまりのことにただ呆然と顔を見合わせるほかありませんでした。

「それから、警部さん。主人があなたに渡してくれと言って、こんなものを置いていったんですが」

コックの虎吉が、十徳の胸をひらいて、もみくちゃになった一枚の紙切れを取り出し、係長の前に差し出しました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました