初級翻訳・日本の伝説 第9話

日本の伝説

今でもどこを掘ってみても水に鉄気(てっき=鉄のにおいや成分)が混じっていて使うことができず、しかたがないので食べ物用の水は川からくみに行っているというお話でした。
(『能登国名跡志』。
石川県鹿島郡鳥尾村羽阪)
また、羽咋郡(はくいぐん)の末吉(すえよし)という村でも、水を惜しんで大師様に分けなかったために、今でも良い清水が手に入らないと言っています。しかしその近くの志加浦上野(しかうらうえの)という集落では親切にしたので、大師様はそのお礼にそばの岩を指さすと、たちまちその岩の中から水がわき出たと言っています。
そして名産である「志賀晒布(しがさらしふ)」や「能登縮(のとぢちみ)」という織物をこの水でさらして、今でもその恵みを受け続けているということです。
(『郷土研究三編』。
石川県羽咋郡志加浦村上野)
若狭(わかさ)の関谷川原(せきやかわら)という所は、比治川(ひじかわ)の水が流れているはずなのにふだんは水がなく、大雨が降ったときだけに水がいっぱいになって、渡ることもできない困った川でした。
ここも昔、この村のおばあさんが一人で川に出て洗濯をしていたとき、僧・空海(くうかい)が修行の途中で通りかかり、のどが渇いたので水をもらいたいとおばあさんに頼んだところ、「この村には飲み水はありません」とつれなく断ってしまいました。
お坊さんはそれを非常に腹を立てて呪文のようなものを唱えてから立ち去ったため、川の水はすっかりすべて地の下を流れていくようになってしまい、村にとってはなんの役にも立たない川になってしまったのだそうです。
(『若狭郡県志』。
福井県大飯郡青郷村関屋)
近江(おうみ)の琵琶湖の北にある今市(いまいち)という村でも、村には共同の井戸が一つあるだけで、それがまたすごく質の良い水でした。これも、弘法大師が日本中をあちこち歩き回っていて、ちょうどこの村に来たときに一人の若い娘に出会い、「水が飲みたい」と言われたのだそうです。
すると娘はとても親切に、遠いところまで水をくみに行ってくれたため、大師を長い間待たせることになりました。そこで大師はそのわけを聞いてたいそう気の毒に思い、持っていた杖でそのへんの岩の間をぐっと突き刺したところ、たちまち清水がわき出した――これが今のこの井戸だといわれています。
(『郷土研究二編』。
滋賀県伊香郡片岡村今市)

伊勢の仁田村(にたむら)には「井戸世古(いどせこ)の二つ井」という場所があって、一つの井戸は水がにごっていて洗濯にしか使えないのですが、そのすぐ隣にある井戸は、本当にとびきり良い水でした。
ここでも、やはり一人の年老いた女性が洗濯をしているところへ弘法大師がやって来て、「水を飲ませてほしい」と頼みました。すると女性は、「この水はきたないから」と言って、わざわざたいへん遠いところまで行って、きれいな水をくみ戻ってきてくれたのです。そこで大師は、「それではあまりに大変だろう」と言って、杖をにごり井戸のすぐ脇の地面に突き立てたところ、そこからあのような清らかな泉がわき出たというのであります。
(『伊勢名勝誌』。
三重県多気郡佐奈村仁田)

紀州(きしゅう)は、弘法大師が長く過ごされた国だけあって、いくつかの有名な水は、だいたいこの大師さまのおかげということになっています。
日高郡(ひだかぐん)だけでも「弘法井(こうぼうい)」はあちこちにあり、南部の東吉田(ひがしよしだ)、上南部の熊岡(くまおか)、東内原(ひがしうちはら)の原谷(はらだに)にもありました。また、西内原の池田(いけだ)にある大師堂の近くにもありました。
船津(ふなつ)の阪本(さかもと)にある弘法井では、今でも道を通りかかる人がお花を供えたり、お賽銭を投げたりして通り過ぎます。
高家(たかや)の水飲谷(みずのみだに)にあるものは、弘法大師が指先でぐりっと穴をあけたといわれていて、とても美味しい水です。
南部の昔の熊野街道の山道にあるもう一つの弘法井などは、親切なおばあさんがくんできた水が、「なんと千里の浜(せんりはま)まで水をくみに行ったのか」という話を聞いて、「それはたいへんなことだ」と感じた大師が、錫杖(しゃくじょう=お坊さんが持つ杖)の先で地面を突いてわき出させてくださった井戸だといわれています。
(以上みな『南紀土俗資料』)

伊都郡(いとぐん)の野村(のむら)という所などでは、弘法大師が杖で突いてから水がわき出したと伝えられており、幅が五尺(約1.5メートル)ほどの泉が、二十五間(約45メートル)もの高い岸の上から勢いよく流れ落ちて、広い地域の大切な田んぼを潤しています。
もうお話自体は残っていないかもしれませんが、今でもそこを「姥滝(うばたき)」と呼んでいます。
また、「杖が藪(つえがやぶ)」という村にも、大師さまが杖で穴をあけたという「加持水(かじみず=お祈りをして清めた水)の井戸」があって、そのときに大師が杖をぽんと置いていったところ、なんとその杖がスクスクと大きく育って藪(竹やぶ)になったのだといいます。村の名前までが、その出来事から生まれたのだそうです。
(『紀伊続風土記』。
和歌山県伊都郡高野村杖ヶ藪)

こんなお話はいくらでもありますから、このあたりでもうおしまいにしておきましょう。
四国などは、大師さまの「八十八ヶ所(はちじゅうはっかしょ)」がたくさんあるくらいですから、このとき地面に突きさした杖に根っこが生えて、だんだん大きな木に成長したという場所だけでも、数え切れないほどたくさんあります。
悪いおばあさんと親切なおばあさんが、たった一杯の水を「惜しんであげなかったのか」「それとも快くあげたのか」によって、片方はいつまでも井戸の水が赤くにごって飲めず、もう片方はこんなに素晴らしい水を大師さまからお礼にもらったという伝説が、まるで昔話のように多くの村の子どもたちに語り伝えられているのです。

杖の清水のお話の中でも、特に有名なものは、阿波(あわ=現在の徳島県)の下分上山(しもぶんかみやま)の「柳水(りゅうすい)」です。この村にはもともと水がなかったのですが、大師さまがその杖で岩を突いたところ、そこから清らかな清水が流れ出るようになりました。
そのときに突いた杖がなんと柳の木で、長くその泉のそばに青々と茂っていたそうですよ。
(『阿州奇事雑話』。
徳島県名西郡下分上山村)

伊予(いよ=現在の愛媛県)では、高井(たかい)の西林寺(さいりんじ)にある「杖の淵(つえのふち)」です。
この村にも昔は水がなかったのですが、大師さまがやって来て杖を地面に立てたところ、あっという間に大きな淵(ふち)になるほどの立派な泉がわき出したのだそうです。
しかし、そのとき立てた杖は今ではもう残っていないので、竹だったのか柳だったのか、どちらだったのかはわからなくなってしまいました。
(『伊予温故録』。
愛媛県温泉郡久米村高井)

どうして旅のお坊さんが行く先々に杖を立てて歩くのかということについて、私はいろいろと考えてみましたが、池や泉のお話と関係のないものはここでは省くことにします。

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