十七 人類総て死滅す
六十五 恐ろしすぎてもはや言葉で形容することすらできないこんな切羽詰まった状況では、人間というものは、ただ何かの下にもぐり込んで隠れることしかできませんでした。
地下の倉庫へも這いずるように入り込み、洞穴にも飛び込み、少しでも上に蓋や覆いのある場所なら、誰もがそこへめがけて必死に押し入ろうとしました。
お年寄りも、子どもも、お金持ちも、貧しい人も、男も、女も、みんなが絶望してごちゃ混ぜになり、一つの塊となって、お互いの身体の下へもぐり込もうと激しく争いました。
こうなってしまっては、人間はまるで泥の中のウナギのようにもがき回るばかりでした。
六十六 普段のビジネス社会や産業界では「大もの」として持ち上げられ、その名前が家々の守護神のように人々の口にのぼっていた大商人や大紳士たちも、この時ばかりはどうすることもできませんでした。
普段はその使い切れないほどの富と財力でうらやましがられ、尊敬され、まるで世界を我が物のように支配するほどの勢いがあった人たちが、ふだんは自分にこき使われている使用人や下働きの人たちと一緒になって、崩れかけた建物の隅や、自分の家の地下室や、自分の銀行の倉庫などに、ごちゃ混ぜになってすし詰めのように群がり集まりました。
もう身分の高いも低いも、偉いもへったくれもありません。
まさに、天が人類の数え切れないほどの罪を焼き尽くそうとしているのです。
人々はその罪の罰から何とか逃れようと必死にもがきますが、そんなことは到底許されませんでした。
六十七 地底の理学研究所の中から、助手の人たちと一緒に外の様子を観察していた理学博士の先生は、東の方からまばゆい光の放射がまるで怒り狂うように突っ込んくるのを目撃しただけでした。そのうちに、
研究所の上の扉があまりにも熱くなりすぎて、もうとても見ていられなくなったため、先生は一同と一緒に一番下の階にある暗い部屋へと急いで降りていきました。
このあとに起こった出来事は、もはや文字に書き記すことすらかなわないほど悲惨なものでした。
猛威を振るい続けていた太陽に、突如としてぶ厚い雲がかかりました。この雲は、なんと大西洋から巻き起こったものだったのです。
六十八 もはや地球の大洋のすべてが、まるで大鍋のようにぐつぐつと煮え返り、激しく沸騰し始めていました。海の上の空気はますますふくらんでいきました。だから前にもお話ししたとおり、ものすごい大風が吹き荒れ、大きな鍋から立ち上る湯気がそのまま雲となって、アメリカの空いっぱいに広がっていったのです。
六十九 大風のスピードは、人間の想像をはるかに超えていました。
風が広がると同時に雲が広がり、雲が広がると同時に、人間が作り出したあらゆるものが吹き飛ばされてしまいました。
この風が通り過ぎる場所に、人間の作ったものの影は少しも残っていません。
石の中でも溶けない性質を持っていたものは、さきほどの猛烈な熱ですでに焼け砕け、灰になり、こなごなの粉になってしまいました。
家々の土台の石さえも、いまや残らず細かい粉になっています。
この粉や細かい灰が、大風に巻き上げられて空に舞い上がり、空の水分と混ざり合って、ドロドロの泥の雨となって洪水のようルに落ちてきました。
世界は今や、ほとんど泥水の底に埋め尽くされようとしていたのです。
七十 その上、ものすごい稲妻が空のすみずみまで、休みなく、縦横無尽に走り回りました。こんな電撃に触れたら、ひとたまりもなく感電してバラバラに壊れてしまうはずですが、もうそんなひどい目に遭う生き物さえ、外には一人も残っていませんでした。
七十一 雲はどこまでも黒く空を覆い隠し、雨は激しく、激しく、地上に残されたボロボロの跡を打ち付けました。
七十二 こうなってしまっては、地下室や倉庫にかくれた人たちももう助かりません。
七十三 洪水となって天から落ちてくるドロドロの雨は、まるで熱湯のようにぐつぐつと煮え返っていました。
こんなものを浴びせられたら、一瞬で茹で上がってしまいます。
七十四 わずかなすき間やひび割れからも、このドロドロの熱湯が流れ込んできました。地上の壊れたものたちはもちろん、地下室の底にあるものにいたるまで、あふれんばかりに浸されてしまい、すべての生き物たちが火傷で皮がただれて死んでしまいました。
ああ、なんとむごたらしいことでしょう。本当に、むごたらしい光景でした。
十八 地の底に生き残った人
七十五 「もの」と名のつくものはすべてがめちゃくちゃに壊され、生きているものは残らず打ち殺されたあとに、
ただ、理学博士の一家だけが生き残っていました。
彼らは地面の底にひみつの避難部屋を作っていたので、助かったのです。
もっとも、この研究所の入り口にあたる設備は、ものすごい熱と炎、そして大嵐のせいで、あとかたもなく吹き飛ばされてしまいましたが。
だからこそ彼らは、暗い部屋の一番下の階に身をひそめていたのです。
まるで、ぶつかって真っ二つに折れてしまった船のような状態でした。
部屋の扉を、すぐ外から海の波が押しつけています。それと同じように、彼らの暗室も上の部分がなくなってしまったため、あの泥水や熱湯などが、直接鉄の扉を押し潰そうと迫っていました。
もしこの扉にうっかり触ろうものなら、触った手がその場で火傷してしまうほどでした。
それほど熱かったのです。けれど、扉のすき間から中へ漏れて入ってきた熱湯は、ほんのわずかだけでした。
七十六 この部屋に身を寄せ合っている人たちが、なんと全人類のほんのわずかな生き残りの家族なのです。この人たちのほかに、もう人間は一人もいません。
だけど、彼らは死んでいった人たちのほうが幸せなんじゃないかと、うらやましく思いました。こんな地底の底に、まるで生き埋めにされたような状態で生きているその苦しさは、なにも知らずにぐっすり眠るように亡くなった人たちと比べて、どれほど不幸なことか分かりませんでした。
七十七 もしここで、「このまま生きつづけるべきか、それともいっそ死んでしまうべきか」とみんなで投票したとしたら、きっと全員一致で「死のう」と決まったことでしょう。
もう何の希望もないのですから、できるだけ早く死んでしまうことが、一番の願いだったのです。
七十八 だけど、ちょっと困ったことに、人間には「良心」というものがありました。この心は、大昔からの途方もない年月をかけて、だんだんと人間たちの頭脳の中で発達してきたものなので、この心があるせいで、自分で自分の命を軽くあつかうことがどうしても許されないのです。
七十九 彼らには、二年分の食料が蓄えられていました。だから、空気と酸素さえあれば、あと二年は生き続けることができます。
そして、酸素を作り出す機械も、その材料といっしょにこの部屋の中にちゃんと揃えられていました。
自分たちの置かれた状況を考えてみると、こんなふうに準備が良すぎることが、少しもうれしくありませんでした。それどころか、かえって苦痛でした。
八十 酸素を断って窒息して死ぬということは、自分の心が許さなくてできません。
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