生まれ持った本能のままに従って、しかたなく生きを長らえるための手段は尽くすものの、その「生きるための手段」こそが、かえって自分たちの苦しみを長引かせる道具になってしまうのでした。
八十一 部屋の中には十分な電気のライトがあります。だけど、夜になっても昼になっても、やるべき仕事は一つもありません。電気を消してしまえば、そこは光の全くない真っ暗などん底の世界でした。
八十二 どうしても何かせずにはいられなくて、その中の誰かが、ときどき部屋の扉を内側からそっと確かめました。なにか扉を開けてどうこうしようという目的があるわけではありません。ただ、水の圧力がどう変わったかを確かめたかっただけなのです。
八十三 少しずつ漏れてきていた水が止まってから、長い長い時間が過ぎました。扉は相変わらず熱いままでした。
だんだんと時間が経ちましたが、それが何日なのか、何週間なのか、何ヶ月なのか、知る人は誰もいません。そんなふうに過ごしているうちに、扉は少しずつ冷たくなってきました。
いよいよ、外に出てみる時が近づいてきたのです。
十九 再び見たるこの世
八十四 扉の熱さが、ようやく手で触れるくらいに冷めてから、理学博士の一家は外に出る計画を立てました。
少しの苦労はありましたが、ついにその扉を開けることができました。
外の様子は、こんなふうでした。
まず、部屋の外にある通路を見てみると、ドロドロの洪水もすっかり干からびたように見えました。
ただ、濃い泥の海になっていて、深さは膝のあたりまであります。まだ熱さは残っているものの、火傷するほどの熱湯ではありません。
思い切って足を踏み入れれば、なんとか渡ることができそうだったので、みんなは勇気をふりしぼって泥の中へ足を踏み出すことにしました。
このあとにももちろん、いろいろな困難はありましたが、それに負けず、たくさんの時間をかけて、ついに広い外の空気がある場所へとたどり着いたのです。八十五 いざ外へ出てみると、どうでしょう。そこは夜なのか昼なのかも全く見分けがつかないほど、世界中がものすごく眩しく輝いていました。どんなに晴れた真昼の太陽だって、これほどの明るさにはかないません。なのに、肝心の太陽そのものは、空のどこにも見当たらなかったのです。
きっと太陽は、すっかり溶けて消えてしまったのだと思われました。
八十六 太陽がないというのに、どうしてこんなに明るいのでしょうか。空も地面も、一面が光り輝いているこの正体はいったい何なのでしょうか。
ほかならぬ、太陽そのものがバラバラに飛び散って、霧のようなかたまりとなって空いっぱいに広がったからなのです。
この霧は、ただの水蒸気の霧ではありません。なんと「光の霧」だったのです。
この光の霧の中や、その下をさらに流れているのは、もとの原子の雲でした。それはまるで、燃え盛る火の波のように見えました。
八十七 そして、空気の暑さは、今でも我慢できないほど強烈でした。
けれど、地下の暗室の中で蒸し焼きになりそうなどんなに大変な暑さをも耐え抜いてきた彼らにとっては、これでも少しはマシに感じられたのでした。
八十八 初めてこの人たちが外の空気に触れたときの気持ちは、まるで夢と現実のあいだを行ったり来たりしているようでした。
けれど、まわりの景色を一目見ただけで、そんなぼんやりした気持ちはすぐに消え去りました。
夢なんかじゃない。これが現実なんだ。
現実として受け止めるには、あまりにも想像を絶する恐ろしい光景でしたが、もう世界中がこんな風になってしまったのですから、どうしようもありませんでした。
二十 一切の終末、博士の断案
八十九 彼らは、かつてハットン市があったほうをぼんやりと見つめました。
そこにはもう町などありません。町のなごりさえ、どこにも残っていませんでした。
彼らは、誰か助けてくれる人がいないものかと、むなしく探し求めました。
誰もいません。それどころか、生きているものは虫一匹すら視界に入りませんでした。
九十 人間の影も形もなく、人間が作り出したものの影もありません。いいえ、自然が作り出したものの影すらもすっかり消え失せてしまった、と言ってもいいほどでした。
九十一 東西南の三方はドロドロの泥の川となり、かつてハットン市があってこの世界の中心とされ、人々のいとなみや活気の中心地だった北の土地は、今や見渡すかぎりの平原になっていました。乾いた粘土や黒い砂、そしてまだ湯気の立つ泥などにすっぽりと覆われており、虫の一匹すら見当たりません。空気は重くじめじめしていて、鳥の声一つ聞こえませんでした。
九十二 ふたたびあの地下の部屋へ戻るなんて、まるで釈放された囚人が自ら進んで牢屋へ帰るようなものですから、とてもそんなことはできません。どこかに見覚えのあるものが残っていないだろうか、どこかに人間の足跡はないだろうか。それを探すには、もっと遠くへ進んでみなければなりませんでした。
遠くへ連絡を伝えるための電線一本すらないのでしょうか。乗って移動するための鉄道はどうなってしまったのでしょう。地面を耕す鍬(くわ)のような道具はないのでしょうか。どこかに種をまける野原は残っていないのでしょうか。
九十三 彼らは口には出さなかったものの、心の中でそんな問いを繰り返していました。たとえ大声で叫んで問いかけたところで、それに答えてくれる山彦(やまびこ)すらいなかったのです。
九十四 そもそも博士が、さまざまな種や食料などを地底の部屋に運び込んだときの気持ちは、万が一のことを予想してのものでした。
もしもこの世界から草木や人間がすべて絶滅してしまったとしても、自分たちの手で再びあらゆる生き物をよみがえらせようという決意があったからです。
しかし今となっては、そんな希望もすっかり断たれてしまいました。
九十五 彼らの体力もいよいよ尽きていくとともに、この世界はすっかり静まり返り、あらゆる命が葬り去られていきました。
九十六 博士はすべてを悟り、一人つぶやきました。これが彼の最後の言葉でした。
「進化の歴史というのは、どれもみなこうやって進むものなのだ。幾百万年ものあいだ、自らの光を放ち、この地上のすべての命を支え続けてきた太陽も、ついに老いぼれて枯れてしまう時が来たのだ。
九十七 もはや、並み大たいていのやり方では、その失われたエネルギーを取り戻す道はない。
九十八 いま、その非常手段によって太陽は若返ったのだ。ちょうど地球などがまだ生まれる前の、大昔と同じ状態の太陽になったのだ。これから先、またいつの日か同じ仕事(星をつくること)をはじめることもできるだろう。
人間たちも、本当の大変革を果たすためには、一度死んで生まれ変わらなければならない。
それは一人の人間にとっても同じことなのだ。
九十九 この世にふたたび『命』というものが現れ、いまよりもさらに素晴らしい形へと育っていくためには、言葉で言い表せないほど途方もなく長い年月が流れなければならない。
百 人間の尺度からすればそれは長い年月かもしれないが、あらゆるめぐり合わせを治める偉大な大いなる力(神や自然の摂理)にとってみれば、わずか数日のようなものだ。
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