初級翻訳・木の子説法 第8話

木の子説法

「あれは鷺流(さぎりゅう)の狂言かい?」
這い出てくる子は、動きがやたらに早い。
まるで谷川の流れに枕でも流されていくかのように、ちょろちょろと這い出てくると、山伏の裾(すそ)にからみついた。本来なら、ここで毒キノコが傘の轆轤(ろくろ)を弾いて、「さあ驚かせてやれ、捕らえて噛み殺してやれ」と暴れるはずの場面なのに――
「焼き食おう!」
と、山伏のその言葉とぴったり同時に、手を下すこともなく、数珠を激しく振り鳴らし、ピシッと鋭く打ち据え、不意を突かれたように肝を潰したキノコたちは、傘をすぼめたまま、まるでひざまずいた。
返す手で、
「焼き食おう。
焼き食おう。」
鼻筋は鋭く、頬は白く澄み渡り、黒髪は兜巾(ときん)に乱れ、群がり生い茂ったキノコたちがほのぼのと並んでいるその中にあって、打ち振るう山伏の数珠は、まるで空を赤棟蛇(あかがまし=赤いヘビ)が飛んでいくかのように、激しく閃(ひらめ)いた。
だが、いきなりその場にうずくまったキノコの一つを、山伏は両手でガッチリとつかみ、すとんと、笠を下にして、逆に立てた。
二つ、三つ、四つ。
――
そこにいたのは、多くは子供の役者(子方)だったらしい。
恐怖に震え、すっかり魅入られていたのだろう。
おすましをした長上下(ながかみしも)の衣装を着た脇座の者たちは、ただただぼんやりとして、首をポキリと横ざまに傾げ続けるばかりだった。
「一樹さん……」
まっ青になって、全身をブルブルと震わせながら私の袖をつかんだ。その着物の裾が、まるで落葉、いや、キノコのような異様な触感で、私の体にぶつかってきた。
あの小料理屋の世話係の顔と重なって、五、六人の人間が揚幕(あげまく)から顔を覗かせた。
切戸口(きれどぐち)のほうからも楽屋の頭がひょっこり覗いたが、ただ目や鼻のあるキノコになってしまっていて、もはやどうすることもできない。
ほんの二、三秒の出来事だった。
それはまるで稲妻が瞬く間のことだった。
見物席の少年が二、三人、足袋を天に向けてひっくり返り、膝までの裾をめくり返されて仰向けにひっくり返された少女がいる。
それはまるでマッシュルームの類いのようだった。
大人たちは身構え、身をかわし、息を殺した。
私も立ち上がろうとした。
あの舞台の下から火が燃え上がってくるのではないか?
地震だ――と、手すり(欄干)にしがみつき、目をきょろりと巡らせると、森の向こうに、煉瓦(れんが)造りの建物、教会らしい尖塔(せんとう)の雲を突くようなてっぺんに、稲妻が蛇のように縦へと走っていた。
しじまが訪れ、まるで深い山奥のような静けさに包まれた時、あの這っていた子が、火がついたように山伏の裾に取りすがって泣き出した。
トウン――と、床を踏み鳴らすような力強い足拍子を踏むと、膝をつき、落とした肩を左側から片肌脱いだ。淡い紅色の薄い肌襦袢(はだじゅばん)の向こう側から、白い肌が透けて見える。
眉を開き、瞳を澄ませて、ぐっと向き直ると、
「幹次郎さん。」
「覚悟はできています。」
相方に向かって、そして客席へ会釈するように、左右に向けてピタリと言葉を切ると、一樹と幹次郎はすっと前に出て、一尺(約30センチ)ばかりの舞台の端に、女の着物の裾(褄)に片膝を乗せかけた。
そして、まるで一度宝物を押しいただくかのようにして、バタと両手を床についた。
「悲しいなあ……。
――あれから、今もひもじいのよ。」
寂しげに微笑むと、着物をかきはだけて、雪のように白い胸元から、まるで玉のように美しく輝く乳房があらわになった。
「ご覧なさい――不義の子の罰で、五つになっても足腰が立ちません。」
「うむ、起て……。
お起ちなさい、私が起たせてやる。」
と、力強く、腕の中にその泣く子を抱き上げ、一樹がその腰を持ち上げて引き立たせたのを、添え抱きにするように自分の胸へと抱き寄せた。
「この豆腐娘め。」
とからかいながらも、愛おしさにどうしても耐えられないといった様子で、その子の頭を撫でながら、
「若いお父さんに骨(お骨=頼り)をもらいなさい。母さんが血をあげるから。」
と俯いて、自分の手でその乳房を我が口に含み、キリリと白い生命の源を絞り出した。
ことこと、ひちゃひちゃと、骨のない子供が血を吸う音が、舞台の隅々まで響き渡った。
だが、子供の口と、母親の胸元には、見る見るうちに紅色の柘榴(ざくろ)の実が弾けたかのように、鮮血があふれこぼれた。
サーッと色が薄く澄んでいくと――そのまま横に倒れよう――とする。その反らした指先から――キノコたちは残らず這い込んで、跡形もなく消え失せた――塗笠をひょいと拾い上げると、
「お客さん――これは人間ではありません。――紅茸(べにたけ)です。」
と言って、顔を隠したまま、ドサリと倒れこんだ。
顔は隠れ、両手の十本の爪紅(つ爪の赤み)は、まるで世間に散る卍(まんじ)のマークのように、白く激しい痙攣(けいれん)を起した。お雪は、まさに自分の乳首を自分で噛み切ったのだった。
それは一昨年の出来事だ。
この子は、母の母乳が与えてくれた肉体と血によって生き延びた。
いまや一樹の手の中で、ふっくらと、しかも健やかにスクスクと育っている。
不思議なことに、たった一人だけ命を助けられたその女は、大震災のあの恐ろしい猛火に追われに追われ、巡り合わせの縁があって、「玄庵(げんあん)」という老人に助けられた。
その妾(めかけ)であったのか、あるいは娘分であったのか、そんなことはどちらでもいいことだ。
老人はすでに亡く、楽屋で急病人が出てしまったため、踊りの名手が、見よう見まねの急ごしらえの舞台を務めたのだと言えば、あなた方にもよくお分かりになるだろうと思う。
なんだ、なんだ、なぜそこまでの美貌を持ちながら、夜の世界や酒場へ出ていかなかったのかって?
そんなことを言われても困ってしまうな、まったく参ったものだ。
一樹にだって分からないだろう。
今は亡き、みどり屋のお雪さんに……どうか聞いてみてほしい。
昭和五年(一九三〇年)九月

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