初級翻訳・末っ子 第10話

山本 周五郎

おれはすべてを知っている、きさまがこれまでしてきた悪事を何もかも把握しているんだぞ! おれは目が見えないわけでも、耳が聞こえないわけでもないんだ!」
「私はいったい、なにをしたと言うのです」
「平五さん……」と母親が悲しそうに言った。
「おまえは黙っていな!」と玄蕃は激しく妻を怒鳴りつけ、それから再び平五に向かって、怒りで歯を噛み締めながら言った。「きさまは、こんなに小さい頃から、家で出される饅頭や菓子、三時に貰うおやつなどを人に売り飛ばして銭に換えていた。その次には、古くなった肌着や足袋なんかもそうだ。七千二百石を誇る旗本の家に生まれながら、まだ十歳にもならない小童(こわっぱ)がそんな真似をしていたんだ。そうだろ!」
「まあ、あなた……!」と母親は息をのんで喘いだ。「まさか、そんな、まさかそんなことが……」
「おまえも甘いんだ」と玄蕃は妻を鋭く睨みつけた。「末っ子だと思って甘やかして育てるから、こんな人間が育ちきっちまったんだ。まさかどころか、そのあともずっと古道具屋の真似事ばかりしやがった。こんなことは我が家の恥の極みだから多くは語らんが、こいつは屑屋の利益をごまかして自分の懐に入れたり、まるでせこい古道具屋のような商売まがいのことをしていたんだ。いつかおまえが見つけて取り上げた五両あまりの銀貨だって、そんな汚らわしい手段で稼いだものに決まっている!」
「まあ、平五さん……!」と母親はその場に泣き声をあげた。
「今度の短刀騒動もその手のやりくちだ!」と玄蕃は全身をふるわせながら言葉を続けた。「主殿(しおみ)の話によれば、きさまは二束三文の偽物の短刀を買って、我々一族ぜんたいをからかって嘲笑うつもりだったという……。もう我慢の限界だ! こんなやつはおれの子ではない! こんな人間を家に置いておいては小出の家名に大きな傷がつく、一族全員の面汚しだ! たったいまこの家から出ていけ、勘当だ!」
「わかりました」と平五は静かに言った。その顔は青ざめていたが、言葉も態度も驚くほどはっきりしていて落ち着いていた。「勘当とおっしゃるなら、この家を出ていきます。……いや、母さんは黙っていてください。家を出て行く前に、一言だけ言っておきたいことがあるんです」
「なにを! きさまの言うことなど聞く耳を持たん!」
「たった一言だけです。自分のしてきたことを振り返るのが怖くなければ、聞いてください」と平五は言った。「私は父上の言われたとおりのことを実際にやりました。饅頭の件から古道具屋の真似事まで、だいたいすべて本当のことです。しかし、どうして私がそんなことをしなければならなかったのか、一度でも深く考えてくださったことがありますか!」
「きさまに武士としての誇りがなく、本当の侍魂が欠けていたからに決まっている!」
「それだけですか……!」
「きさまの中にどうしようもない町人根性が染みついていて、古道具屋のようなセコい稼業が性に合っていたからだ」と玄蕃は吐き捨てるように言った。「いまになってからなんとでも言い訳の理屈を並べ立てることはできるだろうさ。だがよく聞け、きさまがもし本当に正当なことをしたというのなら、最初からあんな卑怯な弁解などするはずがないのだ!」
平五はまるで「あっ」と言葉を失った。
まるで突然強烈な平手打ちでも食らったかのように、目を丸くして口をぽかんと開き、それから自分の唾をぐっと飲み込んだ。「わかりました」と平五は頷き、「わかりました、ではべつのことを申します。いま父上はお母さんを責められた、『末っ子だからあまやかして育てた』って――これは物心ついて以来、みんなから休みなしに言われ続けてきたことです。敬二郎兄さんに言わせると、末っ子で安っぽいうえにあまやかされたからおまけが付いてるんだそうです。冗談じゃない、とんでもない! 私は生まれてこのかた、一度だっておまやかされた覚えなんかありませんよ。お母さんからしてそうです」と、彼は母に向かって言った。「たぶん忘れていらっしゃるでしょうが、私がなにか頼もうとすると、まだなにも言わないうちに『いけません』とくる。お母さま、私は、と言いかけるなり、なにも聞かずに『いけません』とくるんです。お母さんは忘れているかもしれないけれど、私はちゃんと覚えています。兄さんや姉さんたちは自由にねだるし、ねだったことはたいてい許される。しかし私だけはすべて『いけません』、いけませんで片付けられてきたんですよ」

「わたしは、あなたを……」と母は袖で目を押さえながら、声を詰まらせた。「あなたが末っ子だから、あまやかしては悪いと思って……」

「おじいさんやおばあさんもそうでした」と平五は続けた。「おじいさんは、おばあさんが私をあまやかすと言うし、おばあさんは、おじいさんがあまやかすと言う。そんなふうにみんなで『私があまやかされている』と言いながら、誰一人あまやかしてはくれなかった。一度でも私をあまえさせてくれたことがありましたか、お母さん、そんな記憶が一度でもありますか」

「わたしはただ……」と母はまた言った。「ただあなたをしっかり育てたいと思って……」

「そうです、そのとおりです」と平五はまた頷いた。「私はお母さんを責めているんじゃありません。私は末っ子で安っぽく見られているかもしれないけれど、決してあまやかされたことはない、ということをわかってもらえばいいんです。では、失礼します」

十

平五は自分の部屋へ戻り、両刀を差し、短刀を持っただけで、内玄関から出ていった。
母はそのあいだ付いて回って、父にあやまれと泣いてくどいた。
家を出てどうする気だ、どうしようもないではないか、それともなにか当てでもあるのか、と訊いた。
「私は大丈夫です、どうか心配しないで下さい」と平五は言った。「父上の言うとおり、私は古道具屋が性に合ってるんでしょう。今夜はじめて決心しました、私は道具屋になります」
「まあ平五さん、なにをおっしゃるの」
「落ち着いたらお母さんには知らせます。ではこれで――」
母の呼ぶ声には構わず、平五は外へとびだした。
宵の街を急ぎ足で歩きながら、彼は首を振ったり舌打ちをしたり、また独り言を呟いたりした。
彼は自分が言うべきことを言わなかったことでくやしがり、また、言わずにがまんしたことを誇らしく思った。
「おやじのやつ、いいことを言いやがった」と彼は歩きながら呟いた。「あんな気の利いたことが言えるとは知らなかった、あの一言にはまいったな」

そうだ、弁解することはない。
自分の立場を言い立て、おやじをやりこめたところでそれだけのはなしだ。
おれのやったことがおれにとって正当だったということは、事実のうえで証拠だてればいい。
「一流の道具屋になってやるぞ」と彼は勇ましげに呟いた。「侍魂もくそもあるもんか、自分の力でその道の一流になれば、永代扶持でぶらぶら暮らしているよりよっぽど人間らしいや。へえ、いまに証拠をみせてやるからびっくりするな」

平五はまず清鑑堂を訪ねた。
清兵衛は晩酌をしていたらしい。
話を聞くと赤い顔を輝かせ、「やりましたか」と膝を叩いた。

コメント

タイトルとURLをコピーしました