初級翻訳・楠の話 第1話

楠の話

その頃、ぼくの家は田舎にあるとても広いお屋敷の中にありました。
お屋敷の中には、竹やぶがあって、池があって、お墓があって、木立があって、広いお庭があって、おまけにちょっとした野菜畑までありました。
子供のころのぼくは、お屋敷からほとんど一歩も外に出ないままで、毎日おもしろおかしく遊び回ることができたのです。
そして、ぼくの子供心にとって一番の自慢だったのは、お屋敷のすみにそびえる大きなくすの木でした。
何十メートルもまっすぐに天に向かって伸びる木の幹の根もとは、それ自体がこぶのように丸くふくらんでいて、まわりは十ヒロ(両手を広げた長さの十倍)以上もあるほどの大きさでした。
その根もとのほうから小さな若芽がいくつも生えてきて、まっすぐに伸びていきました。
「若芽があまり伸び放題にしてはいけないよ」ということで、お父さんはよくそれをチョキチョキと切り取っていました。
そのおかげなのか、何百年たったのか分からない大きな幹は、いつ見ても若々しくて、木のなかはどこも空っぽになっていないように見えました。
そして上の方には、いつも青々とおい茂った枝や葉っぱが、まるでおそろしく大きなお寺の天井ドームのように広がっていたのです。
くすの木のすぐそばには、まわりが一丈(約三メートル)ほどのカシの木が一本ありました。
それから、むくの木の古い木も一本ありました。
その三本の大きな木の根っこがグニャグニャとからみ合った狭い地面は、まわりの平らな土地よりも四、五尺(約一メートル半)ほど高くなっていて、その真ん中には、落ち葉の中にクマザサが生えているそのど真ん中に、石でできた小さなお稲荷さんのお堂がぽつんと建っていました。
昔、ぼくがまだ生まれる前、そのあたりの夜にはよくキツネが鳴いていたそうです。
ぼくの家にお嫁に来たばかりの頃、お母さんはそのキツネの鳴き声に何度もブルブルと震え上がったんだよ、という話をあとから聞かされました。
またある夜には、正体も分からない変な声を出す動物が二匹、くすの木の枝の上でキャッキャと遊んでいたんだよ、ということも聞かされました。
五百戸(およそ五百世帯)くらいの小さな村の中で、くすの木はひときわ高く、空をこするようにそびえ立っていました。
だから、ず遠いところからでも、すぐに「あ、うちの木だ」と分かったのです。
ぼくは小学校の帰り道、お友達といっしょに野原の小道を歩きながら、遠くの方にくすの木を見つけると、なんだか胸が熱くなるような、すごい誇らしい気持ちになったものでした。
秋になると、カシの木の実がポロポロとたくさん落ちてきました。
ちょっとさわやかな樟脳(しょうのう)のにおいがする、くすの木の落ち葉のじゅうたんを踏みしめながら、その中に転がっているカシの実を拾って歩くことも、ぼくの大きな楽しみの一つでした。
冬になって野や山がぜんぶまっ白な雪におおわれると、食べるものがなくなった小さな鳥たちが、四方八方からくすの木の茂みめがけてパタパタと飛んできました。
そこには、鳥たちの体をすっぽり隠してくれる枝や葉っぱと、鳥たちのゴハンになるくすの木の実があったからです。
お父さんはカッコいい銃を持って、その小鳥たちをよく狙い撃ちしました。
その銃は古いタイプのもので、銃の筒の部分がものすごく長くてずっしりと重かった代わりに、弾が飛ぶ距離がものすごく遠かったのです。
そのうえお父さんは、むかし近衛(このえ:天皇を守るエリート部隊)の連隊にいたことがあって、的当ての名人でした。
くすの木のてっぺんのほうに止まっている鳥を、木の葉のほんの小さなすき間から、お父さんはビシッと撃ち落としたのです。
ツグミやハトの仲間がたくさん獲れました。
ただ、カラスと、目のまわりが白い小さなメジロの仲間だけは、お父さんは絶対に撃ちませんでした。
たまに、鳥の片方の羽っこに弾が当たって、ひらひらと地面に落ちてくることがありました。
鳥は残ったもう片方の羽と足を使って、いそいそと草むらのほうへ逃げていきます。
それを急いで追いかけるのが、ぼくにとってはたまらなくおもしろかったのです。
そして、物のかげのすみに頭だけをグイッとつっこんだ鳥をパッと捕まえるときには、ぼくの胸のなかもドキドキして息がハァハァとはずんでいました。
両手のひらのなかでバタバタと暴れる鳥をやさしくそっと包み込んだまま、ぼくは息を切らしてお家の中にかけ込んでいきました。
ふわふわして温かい胸の毛の下にある、小さな丸っこい体温を手のひらに感じると、どうしても「殺してしまおう」という気にはなれなかったのです。
お父さんも、「殺しちゃいけないよ」と言いました。
だから、鳥カゴに入れてお家で飼うことにしたのです。
鳥カゴはいくつもありました。
お父さんもお母さんもぼくも、みんなで一生懸命にその鳥を育てようとしました。
だけど、たいていの鳥は十日くらいで死んでしまうのでした。
お父さんはもともと、動物がものすごく大好きでした。
一時期はハトを飼ったことがあったし、それからメジロ、タカ、ウサギ、ヤギ、イヌなんかも飼ったことがあったし、ときにはブタを育てたり、ハチミツをとるためのハチまで育てたこともありました。
ニワトリとネコはいつも家にいました。
池の中には、コイもいつでも泳いでいました。
そんなふうに動物が大好きなお父さんが、どうしてあんなに何度もくすの木の鳥たちを銃で撃ち落としたのか、ぼくには今でもよく分かりません。
(単に食べるためだけなら、毎日だってお肉や鳥を買えるくらいのぜいたくができる財産は、まだその頃の家には十分にありました。)
だけどぼくも、傷ついた小鳥を見るたびに「殺すなんてかわいそうだな」と思っていたのに、一発の銃弾でビシッと仕留められた鳥が、両方の羽をパーッと広げてくすの木のてっぺんからひらひらと舞い落ちてくるのを見ると、言葉では言い表せないほどのワクワクした喜びで胸をドキドキ躍らせたものだったのです。

ぼくが小学校の二年生になったとき、竹やぶのすぐ横にある広い池のすぐそばに、小さな二階建ての家が新しく建てられました。
そして、お父さんとお母さんとぼく、それに一人の女中さんのみんなでそっちへお引越しをして住むことになりました。
「お父さんの体のためにね」とお母さんはぼくに教えてくれました。
お父さんはもうずっと前からの結核(けっかく:肺の病気)という病気に体をむしばまれていたのです。
そしてその頃から、急に体力が弱ってきていました。
それがわかって、ぼくはとても悲しかったです。
その冬には、お父さんは一度も銃を手に取りませんでした。
ぼくもいつの間にか、くすの木のほうへは遊びに行かなくなってしまいました。
そのかわりにお父さんと一緒になって、池のコイたちにエサをパッパとやることを新しい楽しみにしていました。
池には、赤いのや黒いのや、いろんな模様の変わったコイがいっぱい泳いでいました。
もともと住んでいた広くて大きなお家は、しばらくの間はカギがしめられたままで誰もいませんでしたが、そのうちに見ず知らずの人たちが大勢やってきて、家をすっかり壊してどこかへ運び出してしまいました。

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