初級翻訳・楽聖物語 第13話

楽聖物語

天地創造

不思議と言ってもよいことですが、ハイドンの一代の傑作であるオラトリオ(聖譚曲)の『天地創造』と『四季』のレコードが非常に少ないのは残念です。
ビクターには前者が一枚(JB54)、後者が一枚(C2383)、コロムビアにも『天地創造』が一面あるだけですが、これではあまりにも心細いと言わざるを得ません。
この先しばらくは全曲が録音される見込みもなさそうですから、せめて先日、新交響楽団が演奏した『四季』だけでもレコードにしておいてほしかったと思います。

真の天才モーツァルト

「モーツァルトは音楽によって世界を征服した」と、ロマン・ローランは言っています。
この言葉は一見、変わった表現に聞こえるかもしれませんが、静かに考えてみると、非常に深い意味が込められた、これ以上ないほどぴったりな形容であることに気づくはずです。
考えようによっては、ベートーヴェンも音楽によって世界を征服したと言えるかもしれません。
しかし、ベートーヴェンの征服は、力ずくで、侵略的で、まるで帝国主義のようなやり方です。
ベートーヴェンの音楽は美しく強大ですが、世界のどこに行っても、いつの時代にも、少なからず「ベートーヴェンは苦手だ」という人がいることを無視するわけにはいきません。
その点、モーツァルトの音楽は、大地を潤す春の雨のように、何の障害も抵抗も受けず、世界中の人々の心に深く、自然と受け入れられていきました。モーツァルト本人にはそんな意志が全くなかったとしても、一世紀半もの間、音楽という力で世界を征服し続けてきたのです。

この世の芸術作品は数え切れないほどあり、その種類も膨大ですが、少なくとも人間が作ったものの中で、音楽という分野において、モーツァルトの作品ほど美しいものは絶対にあり得ません。
音楽は非常に感覚的な芸術であり、聞く人の好みによって評価が大きく分かれるものですが、それにもかかわらず、私はこれまで「モーツァルトの音楽が嫌いだ」と公言できる人に会ったことがありません。
モーツァルトの美しさを、何に例えたらよいでしょうか。
それは本当に宝石のように澄み切った美しさであり、邪念のない愛情と光に満ち溢れた美しさです。
小さな子供にも、音楽を知らない素人にも、すぐに微笑みかけてくれるのがモーツァルトの音楽ですが、同時に、最も賢い音楽家たち――とりわけ音楽の専門家たちが、最後に行き着く理想の「美の豊かな土地」もまた、モーツァルトの音楽でなければならなかったのです。
モーツァルトの音楽は極めてヨーロッパ的であり、同時に、古典音楽の最後を飾るにふさわしい、豪華で比類のないものです。
モーツァルトの音楽は、美しさの大洪水であると同時に、冷たい炎のような不思議な気迫を秘めているのです。モーツァルトは決して健康な体の持ち主ではありませんでしたが、その音楽は「健康そのもの」であったと言われています。美しく、健やかで、そのうえ「人懐っこさ」にあふれたモーツァルトの音楽が、まさに家庭で親しまれるべき音楽であることは、言うまでもありません。この古典音楽の最後の巨人の作品と、その音楽の傾向について語るために、私はしばらくモーツァルトの数奇な伝記を振り返ってみようと思います。

**超天才少年**

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、一七五六年一月二十七日、オーストリアのザルツブルクに生まれました。父レオポルトは音楽家として野心に燃えており、娘のナンネル(マリア・アンナ)と、その弟ヴォルフガングを、天才少女・少年に仕立て上げる術を心得ていました。

父親の教育はきわめて巧妙なもので、まるでサーカスの猛獣を慣らす鞭さばきに例えられるほどでしたが、幸いなことにモーツァルト姉弟は、ヨーロッパ中のジャーナリズムからやんやと喝采を浴びる天才児になっただけでなく、弟のヴォルフガングは、その驚くべき天才の芽を少しも傷つけることなく、生涯音楽に対する情熱を持ち続ける素地を築くことができました。

モーツァルトの天才ぶりは、早熟な大音楽家たちの間でも、まったく抜きん出たものでした。後世の音楽の世界において、「天才」と言えば必ずモーツァルトが例に出されるのも、決して無理からぬことです。

例えば、五歳年上の姉ナンネルの稽古を見ていて、ピアノを鳴らすことに興味を持ったのは、彼がわずか三歳の時だったと言われています。四歳の時には、一度聴いた曲を間違い一つなく弾きこなしたうえ、姉の五線紙に自作の「メヌエット」を書き留めて大人たちを驚かせました。六歳で「コンチェルト(協奏曲)」を書き、七歳で最初の「ソナタ」を発表。さらには父の友人のヴァイオリンを弾いてみて、「おじさんのヴァイオリンは、僕のよりも八分の一音だけ低くなっていますよ」と指摘し、大人たちが試しに比べてみると、本当にその通りだったという超神童的な逸話も伝えられています。

十一歳でオラトリオを書き、十二歳でオペラを作曲し、十四歳で交響曲を作った早熟なモーツァルトは、数学には熱中できましたが、少年らしい遊びには少しも興味を持ちませんでした。少年時代のモーツァルトを知る音楽家アンドレ・シャハトナアは、当時の彼についてこう言っています。「彼は全身が火のようだった。そして万事に興味を抱いた。もし教育が間違っていれば、手がつけられない悪漢になっていただろう」と。

幸いにも、危険なまでの凝り性である一方で、善良で慈悲深い性格を持ち、絶えず人から愛されることを求めるモーツァルトでもありました。彼は、自分を愛してくれる人には誰にでもすぐになつき、一度友人になった者を生涯見捨てないという美しい心を持っていました。幼い頃のモーツァルトが、自分を愛しているかどうかを一日に十回も人に尋ね、愛していると聞けばニコニコし、冗談でも「愛していない」と言われると涙を浮かべて悲しんだという小さな逸話は、モーツァルトの一生涯を支配した「正直さ」と「愛に対する飢え」を象徴していると言えるでしょう。

十一歳の姉ナンネルと、六歳の弟ヴォルフガングは、一時期ヨーロッパ中で大きな話題となりました。演奏旅行は九回にも及び、姉弟の人気は高まるばかりでしたが、この過酷な旅行のためにモーツァルトの健康が一生涯損なわれてしまったことも事実です。幼い姉弟の二人はあらゆる難曲を征服しましたが、とりわけ弟ヴォルフガングは、ヴァイオリン協奏曲もピアノによる交響曲も自在に奏で、果てはハンカチで鍵盤を覆ったまま、その上から少しの間違いもなく難曲を弾きこなし、さらには様々な楽器を演奏したうえで、奇術のように見える技まで披露しました。

その頃のモーツァルトの様子について、大詩人ゲーテは後年、「私よりも七つ年下のモーツァルトを見た。当時私は十四歳だったが、モーツァルトの小さな体格と、髪の毛の具合、そして剣を差していた姿を今でも覚えている――」と語っています。

少年モーツァルトの無邪気さは微笑ましいものです。ある時はシェーンブルン宮殿の床で滑って転んだ際、小さな公女に助け起こされて「君は親切だね。お嫁さんにしてあげよう」と言ったり、オーストリアの皇后の膝の上に登って、大きな音を立ててキスをしたりしました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました