初級翻訳・楽聖物語 第18話

楽聖物語

**歌劇、宗教音楽、歌曲**

 歌劇についてですが、ビクターから発売されたグリンドボーン音楽祭による「モーツァルト歌劇協会」の全曲レコードは、世界のレコード史上でも輝く偉業です。すでに「コシ・ファン・トゥッテ」(JD1294-1313)、「ドン・ジョヴァンニ」(JD1444-66)、「フィガロの結婚」(JD1209-25)、「魔笛」(JD1467-86)の四作品が発売されており、合計で七十枚にも及ぶ堂々たる大作です。
 モーツァルトは当時の音楽家の習わしに従い、歌劇の作曲に全精力を注ぎました。実際に「魔笛」の作曲が彼の死期を早めてしまったという事実は、モーツァルトの伝記を読む者にとって胸が張り裂けるような悲しい出来事ですが、彼が亡くなってから百数十年経った今、これだけの全曲レコードを聴くことができるのは、私たちにとってせめてもの救いと言えるのではないでしょうか。
 この演奏は、世界中からモーツァルトを得意とする歌手たちが集まった、イギリスのグリンドボーン音楽祭の録音です。オーケストラも歌い手も、非常に手堅く立派な演奏を聴かせてくれます。
 また、「ドン・ジョヴァンニ」に関しては、コッポラが指揮し、パンゼラ(バリトン)などが歌っている抜粋盤(ビクターJE44-6)もあります。
 フランス語で歌われていますが、非常に熟練した演奏であり、これだけでもモーツァルトの歌劇の素晴らしさを十分に味わうことができます。
 歌劇からの一曲だけを取り出したアリア集については、ここでは省略します。
 モーツァルトの宗教音楽の中で最も重要な「レクイエム(鎮魂曲)」ですが、その全曲レコードが日本で手に入る見込みがないのは非常に残念なことです。
 全曲に近いものとしては、ジョーゼフ・メッツナー指揮、ザルツブルク大聖堂の合唱団とオーケストラによるクリストシャル盤が六枚組で存在しますが、日本には二組ほどしか入ってきていないはずです。
 演奏は最高とは言えませんが、独唱者の中に今は亡き名歌手リヒアルト・マイヤーらが名を連ねています。
 コロムビアには「ミサ曲」や「レクイエム」から二、三枚のレコードが出ていますが、わざわざ取り上げるほどのものはありません。
 宗教曲の「アレルヤ」は、映画「オーケストラの少女」でディアナ・ダービンが歌ったことで有名になりましたが、ダービンよりもコロムビアのギンスターの方がうまく、ギンスターよりもHMVのエリザベト・シューマンの方がよく、シューマンよりもビクターのオネーギンが上手で、最後にオネーギンよりも、古いレコード盤のファーラーの方が魅力があるように感じます。
 モーツァルトの歌曲は非常に数が少ないです。
 その中での傑作と言えば、ビクターから出ているエリザベト・シューマンの「子守唄」(E555)でしょう。
 シューマンが歌うモーツァルトはまさに絶品ですが、あの子守唄をこれほど見事に歌い上げている例を私は他に知りません。
 その清らかな声と、柔らかな愛情が、私たちの魂まで優しく包み込んでくれるはずです。
 「菫(すみれ)」もモーツァルトの歌曲の中で佳作の一つとされていますが、ビクターのオネーギン盤(1556)は、豊かな美しさに満ちています。
 「秘めごと」を歌ったロッテ・レーマンも、上手な例の一つとして挙げておかなければなりません(ビクターJE30)。

**英雄ベートーヴェン**

 ベートーヴェンは、単なる音楽家という枠を超えた英雄であり、ある意味では征服者中の征服者でもありました。
 ナポレオンとベートーヴェンは、生前いろいろな縁があり、よく比較されたり対照されたりします。ナポレオンは生きていた当時は「帝王の帝王」だったかもしれませんが、百数十年経った今となっては、その功績も夢のように消え去り、ドラゴン退治の伝説の英雄たちと何ら変わりない存在になっています。
 それに比べて、わがベートーヴェンが人類に遺してくれた恩恵のなんと素晴らしいことでしょう。
 ベートーヴェンが亡くなって百十四年になりますが、彼が遺した膨大な音楽は、演奏会で、ラジオで、あるいはレコードで、一瞬たりとも途切れることなくこの地球上の空気を震わせ、十数億の人々の心を癒やし、感激させ、希望の光となっているのです。
 芸術が私たちの生活に与える影響は、なんとなく考えるよりもずっと大きなものですが、その中でもベートーヴェンの音楽ほど広大で、強烈なものは滅多にありません。
 私の若い学生の友人に、ベートーヴェンの「交響曲第五番(運命)」のレコードを買って、繰り返し繰り返し二百回も聴いたという者がいます。
 試験の時期には一日三回、四回と聴いては頭の疲れを癒やし、新しい勇気を奮い立たせていました。それだけでなく、うっかり遊びすぎてしまうと、「こんなことをしていては、ベートーヴェンに申し訳ない」と言って、すぐにベートーヴェンが待っているであろう自分の書斎へ戻り、勉強に向かうのです。同じレコードを二百回、三百回と繰り返し聴くというのは、決して褒められた趣味とは言えません。しかし、ベートーヴェンの音楽が持つ感動の深さと、その説得力の強大さには、聴くたびに「やはりそうだよな」と納得しつつも、何度でも新しい驚きを感じてしまうのです。

人類の歴史が始まってからというもの、芸術の種類も数も数え切れないほど存在しますが、ベートーヴェンの音楽に匹敵するような「力」を持ったものを、私は他に聴いたことがありません。

ミケランジェロの絵画、シェークスピアの演劇、ロダンの彫刻――これらは確かに高貴で雄大なものであり、人類の文化にとって誇るべき宝物です。しかし、ベートーヴェンの音楽のように、誰もが親しめる「大衆性」を良い意味で持っている作品は稀です。百数十年にわたり、数億人の心の中に感動の波となって流れ続けているベートーヴェンの芸術は、その普遍性や、人の心に訴えかける強さにおいて、他の芸術とは一線を画していると言わざるを得ないでしょう。

世界中のどこへ行っても、「音楽」と言えば、それはすなわち「ベートーヴェン」のことです。

コンサートも、ラジオも、レコードも、音楽に関わるものの三分の一はベートーヴェンの名で占められていると言っても過言ではありません。もしこの世からベートーヴェンの作品が消えてしまったら、私たちはまるで空気が薄くなった場所にいるかのように、精神的な支えを失い、途方に暮れてしまうことでしょう。

**偉大なる田舎者**

ベートーヴェンの音楽は、なぜこれほどまでに私たちの心に深く響くのでしょうか。それを語るには、まず彼の伝記に触れなければなりません。ベートーヴェンの伝記は「汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう)」といって、数え切れないほどたくさんの本が出版され、誰もが知る物語となっています。数ページの短い文章で、その波乱万丈な生涯をすべて語ることは難しいので、ここでは彼の生涯を特徴づける興味深いエピソードをいくつか綴り合わせることで、この巨人の姿を浮かび上がらせ、あわせて彼の音楽の驚くべき偉大さについてお話ししようと思います。

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