翌年、栄光と名声の中に輝いていたクララの元へ、シューマンからの結婚の申し込みの手紙が届き、クララはそれに対して良い返事を送りました。
クララとシューマンの純粋な情熱は、二人が交わした手紙や、今も残る多くの資料から想像することができます。
二人は五年間という長い間、ひたむきに愛し合い、頑固な父の許しを得るために、あらゆる困難と戦い抜いたのです。
クララの風にも負けそうなほどかよわい美しさは、シューマンを虜にした最大の理由ではありませんでした。
天才少女クララの並外れたピアノの腕前も、シューマンが惹かれたすべてではありません。
それらすべてを越えて、クララは人を惹きつける魅力と、才能と、純粋さを持っていたのです。
クララの聡明さと、高い理解力は、シューマンの少し難解なピアノ曲を世の中に紹介する上で、かけがえのない存在でした。それだけでなく、シューマンが一生、芸術のためだけの作曲にこだわり、流行を追うような真似を一切せず、少し気難しく、孤独な曲(しかし、なんと芸術的で美しい曲でしょう!)を書き続けられたのは、この名媛クララの理解と励ましがあったからだと考える人は少なくありません。
シューマンはいつもクララの励ましによって作曲し、クララと共にいるからこそ作曲しているように見えます。
悲しみも喜びも、すべてはクララがいるからこそなのです。
生涯の最高傑作である「詩人の恋」も「女の愛と生涯」も「ピアノ五重奏曲」も「ピアノ協奏曲」も、すべてクララの愛に包まれて初めて生まれたのだと言い切れる理由が、そこにはあるのです。しかし、クララの父ヴィークは、ヨーロッパ中の人気を背負う天才クララの夫として、貧乏でパッとしない作曲家など選ぶはずもありませんでした。
二人の婚約は、父の激しい怒りの前に粉々に砕け散りました。これもまた、世間ではよくある話です。
二人は引き裂かれ、厳しく監視されるようになりました。
シューマンは深い悩みと絶望の果てに、「クララは前のように私を愛してくれている。だが、私は永久に彼女を諦めたのだ」と、その姉に手紙を書いたのもこの頃のことです。
しかし、優しく華奢に見えるクララは、見た目とは裏腹にとても芯の強い女性でした。
「どんなことがあっても、ロバートを見捨てはしない」と心に決め、そう書き記したのです。
シューマン自身の言葉で言えば「世界がかつて見た中で、最も輝かしい娘」を射止めるために、彼は社会的地位と名声を築き上げようと決意しました。
言い換えれば、立派な肩書きを手に入れて、クララの父ヴィークを説得しようと考えたのです。
長い努力の末、イェーナ大学から哲学博士の称号を贈られたのは、一八四〇年、シューマンが三十歳の時のことでした。
しかし、娘を誰よりも高く評価していたヴィークは、頑として二人の結婚を認めませんでした。
事態はついに裁判所に持ち込まれ、長い審議の末、法律によって認められた二人がようやく結婚できたのは、同じ年の九月のことでした。
愛の勝利、狂気
二人は愛に勝ちました。
二人の生活がこの時ほど明るく、喜びに満ちたことはありませんでした。
クララは貞淑で純粋なだけでなく、シューマンにとっては魅力の源泉であり、作曲のインスピレーションそのものでした。
それからの十年、シューマンは数え切れないほどの傑作を次々と世に送り出しました。特に結婚してからの二、三年の間に生まれた作品は、シューマンにとっての絶頂期であるだけでなく、ドイツ・ロマン派音楽の最高峰とも呼べるものでした。
やがて父ヴィークとも仲直りはしましたが、過労と神経の酷使によって、シューマンの心には暗い影が差し始めました。
音楽学校の教授という職も辞しましたが、次第に気難しくなり、病んでいく神経をどうすることもできませんでした。
一時的に回復してオペラを書いたり、指揮者になったりもしましたが、心の病は次第に悪化し、一八五四年二月には突然の発作でライン川に身を投じてしまいました。その時は助け出されましたが、二年後の七月、ついに四十六歳の若さでこの世を去ったのです。
シューマンの人間らしい性格と、絶え間なく続いた苦悩は、その作品に暗く難しい影を落としました。しかし、それゆえに内面的で、深い思想に裏打ちされた彼の音楽には、何物にも代えがたい魅力があり、これほど純粋に芸術的な音楽は他にほとんどありません。
ピアニストを目指していたシューマンは、ピアノ曲の分野で、リストやショパンにもない新しい境地を切り拓きました。
「幻想小曲集」「子供の情景」「謝肉祭組曲」「クライスレリアーナ」などで見せたシューマンの世界は、どこまでもピアノ的で、この上なく芸術的に洗練されています。
シューマンの音楽には、安っぽい甘さも、わざとらしい芝居がかったところもありません。
ピアノを通して、自分の思想を最も芸術的な形で表現し尽くそうとしているかのようです。
そのときピアノは単なる道具ではなく、シューマンの命そのものであるようにさえ感じられます。
ショパンが「ピアノの詩人」と呼ばれるなら、シューマンは「ピアノの哲学者」なのです。
ピアノ曲以上にシューマンを特徴づけているのは、その歌曲(リート)でした。
かつてシューベルトが最高に純粋な域まで高めたドイツのリートを、シューマンはさらに別の方法で高度に発達させ、完成させました。
シューベルトは、ドイツの詩に最高の音楽的表現を与えるために美しい旋律を書き、重要な伴奏を付けました。
シューベルトより後に生まれ、高い教養を積んだシューマンは、詩を選ぶ段階からシューベルトが及ばないほどの好条件に恵まれていました。さらに、ピアニストであり作曲家でもあったシューマンは、歌曲の伴奏に、驚くほど細やかで深い背景を与えることに成功したのです。
「詩人の恋」や「女の愛と生涯」などが、ドイツ歌曲の歴史に残る傑作と言われるのは、様々な理由がありますが、シューマンの深い教養と、その伴奏の素晴らしさが大きな要因であることは間違いありません。
室内楽曲におけるシューマンの作品は、やや難解なところもありますが、傑作は一つや二つではありません。たとえ大衆受けはしなくとも、音楽的教養の高い人を飽きさせないだけの美しさと、純粋な芸術性を持っています。
交響曲は第一から第四までの四曲があります。
「春」というタイトルがついた第一番や、「ライン」と呼ばれる第三番は、特に親しまれています。
シューマンの交響曲は決して通俗的ではありませんが、その気品と重厚さ、そして心の奥底から湧き上がるロマンティックな美しさは、ブラームス以前、ベートーヴェン以降における一大巨峰であったことは言うまでもありません。
ここにも情熱の音詩人シューマンの人間味が溢れており、聴く人の心を限りなく打ち続けるのです。シューマンの音楽の楽しみ方と、おすすめのレコード
シューマンが作曲した作品の中で、その特徴をよく表しており、また興味深いのは、大げさなシンフォニー(交響曲)よりも、むしろピアノ曲や歌曲だと言えるでしょう。
四つの交響曲には、それぞれシューマンの秘めた思いや苦労が詰まっています。
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