初級翻訳・正坊とクロ 第2話

新美 南吉

正坊もすっかりびっくりしてしまいました。
やがてテントの外の原っぱにおろされると、正坊はクロの頭や背中を優しくなでまわして、なだめすかしました。
そしてようやく舞台へ連れて帰ると、まず見物席に向かってお詫びを言い、賊の格好をした団長にも謝りました。
すると見物人はかえって、やんやと大はしゃぎして喜んでくれました。
団長は舞台の裏で、苦笑いをしていました。

四

小さなサーカスは村々を熱心に回りましたが、稼ぎはみんなが何とか食べていけるだけの、わずかなものでした。
そのうちに、一頭の馬が病気で死んでしまいました。
「惜しいことをしたなあ」と、団長をはじめ、留じいさんもお千代さんも、正坊も五郎も、馬の亡骸を取り囲んで嘆きました。
それからひと月も経ったある朝、目を覚ましてみると、団長とお千代さんと正坊の三人きりを残して、ほかの軽業師たちはみんな小屋から逃げ出していました。
これではいよいよ、興行を続けることができなくなりました。
団長も仕方なく、みんなバラバラになることを決めました。
クロはおりに入れられたまま、荷車に揺られて町の動物園へと売られていきました。
正坊とお千代さんは、残った一頭の馬とテントやテーブル、椅子などを売り払い、そのお金を受け取りました。
「団長さんは何もなくなっちゃったけど、これからどうするの?」
正坊が尋ねると、団長は寂しそうに笑って言いました。
「何も持たずに家を出たんだから、何も持たずに家へ帰るのさ」
団長は町の警察に頼んで、正坊とお千代さんをメリヤス工場へ住み込みで働けるよう手配してくれました。

五

クロは町の動物園に飼われるようになってからは、毎日、力のない目で青い空の方ばかりを見上げていました。
正坊やお千代さんはどうしているだろうか、もう一度会って、あの「勇気ある水兵」の曲が聴きたいなあと、そんなことを思い続けているような姿でした。おりの前には、毎日、いろんな服を着た子どもたちが立ち並びました。
クロは、正坊やお千代さんがもしかしたら来ているかもしれないと思って、あたりを見回しました。
正坊なら、あの赤と白の縞模様の衣装を着ているはずだから、すぐに見つけられると思ったからです。
夢を見ているようにぼんやりとそんなことを考え続けていたとき、すぐ鼻先で「クロ」と呼ぶ、聞き慣れた声が響きました。
クロはものうい目を上げて、声のしたほうをのぞき込みました。
ウウウウ、ウウウ、
ウウウウウ、
ウウウウ、ウウウ、
ウウウウウ、

と、正坊は「勇気ある水兵」の曲を口ずさみはじめました。
クロは急に体じゅうに血がめぐりだしたかのように勇ましく立ち上がると、サーカスで演じていたときのように、リズムをとっておりのなかを歩き回りました。
それから、鉄格子の間から口を出し、なつかしそうに正坊のほうを見上げました。
あの縞模様の衣装は着ていませんでしたが、目の前にいるのが正坊に違いないと分かると、クロはウォーンウォーンと、喉を絞るような嬉しい鳴き声をあげました。
正坊はニコニコしながら袋からビスケットをつかみ出すと、クロの口の中へ放り込み、何度も何度もその鼻の上をなでてやりました。
正坊の後ろでは、お千代が涙ぐんだ目でその様子を見つめていました。
二人は、はじめての休日を使って、クロに会いに来ていたのでした。

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