初級翻訳・海妖 第6話

海妖

芸名を「ジュヌヴィエーヴ・ランタルム」といい、「魔術的なランタルム女王」と呼ばれたほど、パリの演劇界では誰もが知るアイドル的存在でした。

エドワルド氏は先妻と死別して間もなく、事件の5年前である1906年に、このランタルム嬢を「金で買って」結婚しました。結婚式はルーアン停車場の隣にあるジャンヌ・ダルク・ホテルで、ひっそりと行われました。式に参列したのは、ランタルムの母親であるフォッセイ夫人だけでした。「コミュニオテ(財産共有)」といって、結婚と同時にエドワルド氏の財産の半分がジャネットのものになるという、特別な契約での結婚でした。こうしてジャネットはエドワルド氏の愛妻となりましたが、エイメ号の事件当時、エドワルド氏は54歳、ジャネットは28歳でした。

エドワルド氏が普段からどれほど愛妻家であったかは、エイメ号での献身的な尽くしぶりを見れば明らかで、15人の客と1人の女中、そしてデュポン船長以下8人の乗組員が口を揃えて証言するところです。ですから、たとえ今このジャネットの失踪を自殺と仮定しても、自殺の理由となるようなものは何一つ見つからないのです。物質的には恵まれすぎるほど恵まれていましたし、第一、彼女はもともと気楽な性格で、何か精神的な苦痛を抱えていそうな女性ではありませんでした。

その晩も、彼女はいつも通り元気よく、「メアリー・セレスト号」の話を聞きながら、気味悪がりつつも一生懸命に相槌を打ち、自分なりにその神秘について考えを巡らせて話したりしていました。そのうちに、社交室の柱時計が9時を打つと、思いついたように甲板の揺り椅子を離れ、一人で階下の船室へと駆け降りていきました。ジャネットはいつも階段を駆け下りたり駆け上がったりしていたので、誰も気に留めませんでした。

今、この華やかなジャネット夫人が、口笛を吹きながら階段を走り降りていく姿を想像してみてください。富豪の若夫人らしい、何にも縛られない態度で、ジャネットは船室へと入ります。急に疲れを感じ、もう甲板には戻らないと決めて、寝間着に着替えます。脱いだドレスを足元の床に脱ぎ捨てたまま、船室の空気を入れようと窓の方へ進みます。窓を開けます。前述の通り、それはようやく首が出るだけの、小さく丸い船窓でした。少し外を覗き込みます。黒く光って流れるライン川の水が、夜の歌を歌っています。その時、その小さな窓から何者かの手が伸びてきて――ジャネットは低い叫び声を上げたまま、その狭い船室から消えてしまったのだ――としか、これ以上誰にも想像できないのです。

その夜、エイメ号で食堂からすぐに自分の船室へ引きこもった客の一人、作曲家のピカルド夫人はこう証言しています。「何時頃だったでしょうか、うとうとしていましたが、まだそんなに遅い時間ではなかったと思います。ジャネットさんのお部屋の方で、何か口を抑えられているような声がして、間もなく『ジャネットさんの姿が見えない』という大声が聞こえたので、私もびっくりして部屋から出て見ました。客から乗組員まで、みんなその船室の前に集まって騒いでいましたが、私は最初、ジャネットさんらしい悪戯で、どこかに隠れているのだろうと思っていました。デュポン船長なども、そう言って笑っていました」

キュヴァリエ少将が、エドワルド氏と共通の友人であるドウリアック博士に打った電報が、パリへ届いた最初の知らせでした。それは翌25日の午前11時50分に付近のマリアンバム局で受理され、12時30分にはパリへ届いていました。簡単な電文でした。
「ジャネット、甲板より墜落、溺死す。エメリッヒ市セムデン局宛て、返電を求む」
同日の午後6時、ドウリアック博士はケルン経由でエメリッヒへ急行し、翌朝には博士から、パリの留守宅にいる夫人へも同じような電報が届きました。
「ジャネット夫人、過失により甲板から転落、激流に流される。遺体発見されず」

こうして最初は、とても世間に信じられそうもないこの不思議な事件に対し、当然生じるであろう疑念や、不愉快で不必要な噂話を防ぐために、一同は口を揃えて「ジャネットは自分の不注意でエイメ号の甲板から落ちて行方不明になった」ということにしようと誤魔化しました。しかし、この工作はすぐに露見し、真相は――というより、その神秘は――たちまち疾風のようにパリ全土へと伝わりました。散歩道から散歩道へ、劇場から編集局へ、そして取引所へと、物語のような不気味さが波紋のように広がっていき、一時は全市が「ジャネットの神秘」の話で持ちきりとなったのです。とりわけ、事件の直前に「メアリー・セレスト号」の話が出たと知るやいなや、人々は伝説的な怪奇のムードを新たにし、三十九年という時を隔てた二つの事件をすぐに結びつけました。まるでこのジャネット事件の核心を究めるためには、その根本としてメアリー・セレスト号の謎を解く必要があるかのように、再びメアリー・セレスト号に対する興味が燃え上がり、いたるところで話題に上ったのです。

ドイツのデュッセルドルフも、現場に近いということもあって、最も騒いだ町の一つでした。あまりに評判が高いため、場所がドイツ領である以上、官憲も放っておくわけにはいかず、七月二十六日に警察が調査を開始しました。

その時のデュッセルドルフ発の聯合通信によると、「ジャネット・ランタルム失踪事件に関する帝国検察官の活動は、ジャネット夫人は甲板で涼んでいる際、急激に意識を失って欄干から河中へ転落したものであるという調査の結果を公表して、二十七日をもって打ち切った」とあります。

しかし、同じくこのデュッセルドルフの聯合通信員によって、あのデニュウ博士たちの談話が発表されたことで、世間はドイツ警察のこの公表が単なる責任逃れの形式的なものであり、事実からはほど遠いことをすっかり見抜いていました。

パリの警察も動きましたが、一応関係者を尋問しただけで、深入りすればするほど神秘の色が濃くなって手に負えなくなり、やがて警察の威信にも関わりそうだと判断したのでしょう。「エドワルド氏がユダヤ人である以上、厳正な意味でフランス国民ではないから管轄が違う」といった妙な理屈をつけて、さっさと手を引いてしまいました。

一説には、この不気味な評判がさらに高まることを恐れたエドワルド氏が、密かに当局に手を回して手を引かせたのだとも言われています。権力者である彼ならばそうしたこともできたでしょうが、たとえ警察が躍起になって調べたところで、世間で今も信じられているように、その底にメアリー・セレスト号事件と糸を引く何かがあるのだとすれば、到底解決の光など見えるはずもなかったのです。

七月三十一日、エドワルド氏は遺体のない葬式を行い、ジャネット夫人の遺品をペール・ラシェーズ墓地に埋めました。今でも、このペール・ラシェーズ墓地の八十九区という一角に、「久遠の平和」と碑面に刻まれた墓石が建っています。それが、空の棺を収めたジャネットの墓なのです。

そのまま月日が過ぎました。もちろん、遺体の捜索はライン川の下流全域にわたって大々的に行われました。しかし、発見されることはありませんでした。発見されるはずもありません。

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