その結果、あと三時間ほどでルゾン号と洋上で落ち合う手はずが整いました。
スミス警部を乗せた駆逐艦は、それに応えるように急に進路を変えて隊列を離れました。
そして暗い海上を全速力で飛ばしていきました。
エンジンの音は一段と高くなり、船体の震動はいよいよ激しくなっていきました。
それから、かなりの時間が過ぎました。
水兵の怒鳴るような声が聞こえてきました。
汽笛がポーポーと鳴りました。
甲板に出てみると、真っ暗な海上の左舷側に、赤と青の灯りが見えました。
その灯りはだんだんとこちらに近づいてくるのが分かりました。
「フランスの汽船ルゾン号だ」
信号兵がつぶやきました。
艦長はスミス警部を部屋に呼びました。
そして、クイーン・メリー号の捜査情報のなかから、最も新しいものを教えてくれました。
それは主に、捜査に向かっている艦艇の配置と、その報告のリストでした。
「――しかし、結局のところ、メリー号の行方は今夕と同じようにさっぱり分からないのだ」
そう言って艦長は、沈痛な面持ちで言葉を締めくくりました。
スミス警部も、それを大きなため息とともに聞き入れました。
艦長の立つ後ろの壁には、大きな大西洋の海図が掛かっていました。
大西洋は、果てしなく広いのでした。
甲板から当直将校の声が伝声管を伝わって聞こえてきました。
いよいよルゾン号に追いついたという知らせでした。
甲板に出てみると、いつの間にか東の空がぼうっと白み始めていました。
汽艇は波間に浮かんで、スミス警部を待っていました。
「やあ、しっかりやってきたまえ」
そんな声に送られて、警部は夜明けの洋上で船を乗り換えることになりました。
彼はまるで海軍の軍人のように、挙手の礼をもって祖国の駆逐艦に別れを告げました。
スミス警部は、やがてフランスの汽船ルゾン号上の人となりました。
ルゾン号は五千トンほどの貨物船でした。
しかし、戦時にはいつでも航空母艦になれるような設計だったため、スピードも三十ノット以上出るという、すこぶる快速な船でした。
銑鉄(せんてつ)と綿をたっぷり積み込んでいました。
もちろんマストの上には、三色旗が風にひらひらとなびいていました。
エバン船長はヨーロッパ大戦を生き抜いた勇士で、いまなお侵しがたい気概を持っていましたが、一方で好々爺(こうこうや)のような一面もありました。
スミス警部を迎え入れると、力強い握手を交わし、クイーン・メリー号の遭難についてお見舞いの言葉を述べたあと、こう言いました。
「――本社の指令に基づき、スコットランド・ヤード(ロンドンの警視庁)の名警部スミス氏を歓迎し、メリー号の捜査について、どのような便宜も図らせていただく光栄を頂戴します」
スミス警部は、深くその好意に感謝したうえで、ただちに現場付近へ向かって捜査をしてくれるよう頼みました。
とりわけ、海上のメリー号に関係のある漂流物について、細心の注意を払って見つけてくれるよう依頼したのです。
「やあ、海上捜査ならばわたしのお手のものですわい。まあ安心して見ていていただきたい」
エバン船長はにっこり笑って、またスミス警部の手を強く握りました。
スミス警部には、このフランス船の強い自信が、なんとなく重苦しいほどに迫ってくるのを感じずにはいられませんでした。
漂流物
「船長、漂流物が見えます。左舷に――」
と、一等運転士が駆け込んできました。
ちょうどスミス警部が、船長室で船長と共に朝食のテーブルについているときのことでした。
船長はニヤリと笑って、警部の方を見ました。
どうです、さっき言ったとおりでしょう、と言いたげな目つきです。
(少し早すぎるようだが――)
と、スミス警部は少し胸を突かれた思いでした。
甲板へ出てみると、水夫たちがモーター・ボートを下ろしていました。
ボートはスルスルと鮮やかに舷側を滑り降りて、海面に浮かびました。
と思う間もなく、白波を蹴立てて進んでいきました。
「どこに見えるんですかな」
スミス警部は双眼鏡を掴んで尋ねました。
「この見当です」
と一等運転士は長い指を伸ばして、海上を指しました。
「すぐそこです。今すぐにボートが拾い上げますから。相当な獲物ですよ」
「相当な獲物?」
スミス警部は、急いで双眼鏡を目に当てました。
彼は不器用な手つきでピントを合わせていましたが、やがて飛び上がるように叫びました。
「ああ、あれだな。人間のようだ」
「そうです。人間に違いありません。しかも少年です」最新式の救命浮き輪に入っているんだ。
クイーン・メリー号の名前まで、はっきりと刻印されているやつだよ」
「ええっ、クイーン・メリー号ですって?」
海上では、モーターボートがすでに追いつき、少年を波間から引き上げていました。
やがてボートは、再びルゾン号の横まで戻ってきました。
つりばしごをトコトコと登ってくる、潮焼けした船員や水夫たち。
「――驚かないでください。
日本の少年ですよ。
船のボーイのような服装をしています」
救助に行った二等航海士がそう報告するなか、二人の水夫にかかえられた全身ずぶ濡れの少年が、甲板の上におろされました。
少年は気を失っているようです。
救助されたことで、張り詰めていた糸が切れてしまったのでしょう。
この少年こそ、誰あろう、サケ料理を食べ損ねてしまったクイーン・メリー号のチンピラボーイ、三千夫(みちお)少年にほかなりませんでした。
警部をはじめとする一同は、少年のそばに寄り添い、介抱を始めました。
この少年こそは、クイーン・メリー号の唯一の遺品であり、たった一人の手掛かりとなる人物かもしれないのです。
船の上に救い上げた以上は、なんとしても彼の意識を呼び覚まさなければなりません。
そして、少年がどうやってメリー号から脱出し、海の上を漂うことになったのか、その理由を聞き出さなければならないのです。
そのとき、三千夫少年はようやく気がついたのか、眉にシワを寄せ、腕をグッと曲げました。
洋上の怪物
「うん、気がついたようだ!」
と、一同は大喜びでした。
「さあ、それでは下へ連れて行って、少しいたわってやれ。
元気が回復したあとでないと、何を尋ねてもいけないぞ」
エバン船長は、厳格な態度のなかに深い思いやりを込めて言いました。
スミス警部は船長の方をチラリと見て、困ったなという顔をしました。
警部としては一秒でも早く少年の告白を聞き、メリー号の安否を確かめたかったのです。
しかし、その希望は完全に阻まれてしまいました。
その上、ルゾン号専属の医師が甲板に出てきて三千夫少年を診察し、「夏の海とはいえ、かなり体を冷やして心臓がひどく弱っている。少なくとも一時間は十分に手当てをして経過を見なければ、取り返しのつかないことになる」と警告したため、なおさらどうすることもできませんでした。
スミス警部は仕方なく、その一時間を待つことになりました。
その代わり、彼はただちに、メリー号の失踪現場付近で三千夫少年をルゾン号が救助したことを無線電信で本国ならびに捜査隊へ急報しました。
コメント