私はそれを摘み取ろうとしましたが、いくら取っても数え切れません。やがて、誰かが悲しげに嘆く声を聴いて、私はハッと目が覚めました。
「僕はフロイド(心理学者)じゃないけれどね。これは一種の、色っぽい夢じゃないかな」
と検事はタバコの煙を吐き出し、いつまでも法水の目を冷やかすように見つめました。
「だって、あの戦う女みたいに、意志だけでできているような冷たい女性にだって、ときには恋の神様が扉を叩くこともあるだろうさ。ところが、亭主の八住ときたら、いつも精神的な澄まし汁みたいな男でね。その中には肉片もなければ、団子一つ浮かんでいないような味気なさだ」
「なるほど、そう考えますか」
と法水は、検事の得意なジョークにたまらなく苦笑しましたが、珍しく口を閉ざして、自分の考えを主張しようとはしませんでした。
そして、『ニーベルンゲン譚詩』を片手に下げたまま、元の部屋へぶらりと戻っていきました。
ところが、思いがけずそこで、この事件のロマンチックでミステリアスな雰囲気が、いっそう色濃いものとなったのです。彼はそこにいる三人を前にして、妙に含みのある言葉を口にしました。
「僕はだんだんと、この事件が『法則』と呼べないような、不思議な世界と一致していることが分かってきました。それは純粋な空想の産物で、まったくの狂気が勝負を制する世界なのです。その中には神や精霊が現れますが、それはその世界の中だけで信じられているものです。少なくとも僕らは、一応それに額縁をはめて客観的に見る必要があると思うのです。ところでこれは、いったい流星の芝居なんでしょうか。それとも、地上の出来事なんでしょうかね」
と本の1箇所を開いて、彼は読み始めました。その内容は、白い紙の上に置かれた黒い文字そのもののように、対象をくっきりと浮かび上がらせました。
【血に汚れた殺人者が、殺された者の死体のそばに来たとき、その傷口から再び血が流れるという】
「殺人者を指摘する死体の流血」――それを法水が読み終えると、一同の目は期せずして犬射の顔に注がれました。
なぜなら、八住の死後十時間も経ってから起きた流血は、まさに犬射がその傍らに立っている最中に始まったからです。
しかし、犬射の驚きの表情はやがて怒りに変わりました。
「遺憾ですね……法水さん、それは僕の洒落(ジョーク)じゃありませんよ」
と、どこか皮肉な調子でありながら、悲しげに言い返しました。
「いや、それどころか恐ろしい空想です。そんなことから、この事件はいっそう面倒なものになりましょう」
「僕は、そうとは決して思いませんがね」
法水は力を込めて、相手を確かめるように見つめました。
「それがこの事件に、ある種の解決をもたらすはずです」
「驚いた。何のことか、僕にはさっぱり分かりません」
犬射は混乱して、あやうく自制を失いかけましたが、ただ声を震わせるだけで、かろうじてその場に踏みとどまりました。「あなたは、これが実際の捜査だということを忘れていらっしゃる。陰気で、一歩間違えれば人を引きずり込みかねないような、危険な遊びに耽っておられる。一体、何なのですか。たかが伝説じゃないですか。それが、この死体の流血と何の関係があるというのです!?」
「私たちには、そう信じてよい立派な理由があるのですよ。伝説にもいろいろありますからね、犬射さん」
法水は、冷静そのものといった様子で、その語り口にはどこか相手を誘い込むような響きがあった。
「ハハハハ、『ニーベルンゲン伝説』の講釈なら、私からあなたにお聞かせしても構いませんがね。しかし、一言注意しておきますが、もしこれが私ではないとしたら……もし、さっき死体に近づいた時のあなただとしたら、ご自分を一体どうなさるおつもりです!? 馬鹿らしい!」
「そうです、やめましょう」
法水は、わざとらしく、弱々しげにため息をついて言った。
「こんなことで議論をするのは、もうやめようじゃありませんか。ただ私は、ジーグフリードが殺されて……しかも、血栓を破って死体から血が吹き出てきた……」
そう言いかけた時、思いがけない声が朝枝から発せられた。彼女の全身に突然、狂気じみた力がみなぎったかのように、その青ざめた顔が一筋二筋、光って見えた。
「叔父さま、まさに犬射さんのおっしゃるとおりなんですわ。ジーグフリードは、決して父さんではございません。これはミーメ(ジーグフリードを育てた矮人の刀剣工。ジーグフリードを殺そうとして、逆に殺された)なんですわ。ジーグフリードを殺そうとして、返り討ちにあった……」
「ミーメ……」
法水はその言葉を口の中で繰り返し、その一場の心理劇を噛みしめるように味わっていたが、やがて意味ありげな口調で犬射に言った。
「そうです。まさに、あの殺人鬼の幻想的な芝居なのですよ。しかし、これに『海人藻芥(犬射の雅号)』という署名はないにしても、いずれは誰かの雅号となって、現れずにはいないでしょう」
最後のやり取りは少し険悪な空気を残したが、潜航艇内でのいざこざは、それ以上何事もなく終わった。ハッチの上にはすでに黄昏時の沈んだ光が漂い、時刻は五時を過ぎていた。検事は、鉄梯子を先に登っていく法水の背中に向かって声をかけた。
「まったく、殉教者のような精神でもなければ、こんな事件には動けんと思うよ。なにしろ、ほんの小さな材料から、とてつもない大きな結論を引き出そうというんだからな。第一、犯罪史上類を見ない海底という舞台で、しかも現場は三重の密室だ。凶器はそこから風のように消え失せている――扉の鍵穴にさえ外側から覆いがあるんだから、風だって抜けられんという始末だ。そして僕らの目の前で、あの殺人鬼は傷口に穴をあけ、まんまと出し抜いている。だから、深入りすればするほど、何だか古い夢の中に迷い込んでいくような気がするんだぜ」
法水は、検事の手を取って引き上げてやると、海風を胸いっぱいに吸い込んだ。そして、すこぶる激しい調子で言った。
「いや、この事件の解決は、結局のところ、一つの定数を見つけ出すことにかかっている。その一つというのは、かつて『鷹の城』が遭難した際、艇長と四人の盲人をめぐって一体何が行われたか……ということだ。艇内日誌を見ても、その部分はことごとく切り取られている。ねえ支倉君、たしかあの中に、この事件の暗闇を照らし出すような、重要な一枚か二枚があるに違いない。それが分からなければ、金輪際、私たちに何が見えるというのですか」
そう言うと、彼は陸に跳び上がって、二つある岩道の左手を選び、断崖に沿って進んでいった。
「それから支倉君、この事件の女性二人は、それぞれ夫と父の変死に対して、悲しむ様子さえ見せようとしない。その異常さは、すでに常態を超えている。とりわけ朝枝だが、あの暁の精のような娘の中には、どんな恐ろしい夢や幻でも、そのままの姿で受け入れてしまうような力が張り切っている。
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