初級翻訳・火星兵団 第4話

海野 十三

大変だ!
千二くんは、びっくりして、その場にパッと身をおこしました。
とつぜん耳にとびこんできた、あやしい音。
「ひゅうひゅう、ひゅうひゅう」と、まるでムチでも振っているかのような音です。
その音なら、さっきもたしかに、自分の耳で聞いた音でした。
あの、うすもも色のあやしい物体が、天狗岩の上に降りてきた、まさにあの時に。
ひゅうん!
いきなり、千二くんの耳もとで、そのあやしい音が響きました。
「あ、痛っ!」
なにものかが、突然、千二くんの持っていたかいちゅう電灯をたたき落としたのです。
「だ、だれだ!」
千二くんは、自分のすぐ近くにだれかがいるなんて、思いもしませんでした。
だからこそ、驚きもいっそう大きかったのです。
――姿勢を立て直そうとした、そのときです。またしても、
ひゅうん!
という不気味なうなり声が聞こえたかと思うと、千二くんは背中を「ドスン!」と強くたたかれました。
「ううむ……!」
立て続けに襲いかかられる、ふいうちの攻撃でした。
なにも見えない真っ暗闇の中で、思いもよらない方向からたたかれたり、突き飛ばされたりして、ひどい目に合わされました。
しかも相手が何者なのか、まったくわかりません。
千二くんは「ハアハア」と息を荒くしていましたが、そのうちに何かがすぐ目の前を通り過ぎるような気配を感じました。そこで、思い切って、
「やっ!」
と叫ぶと、ここだと思った場所に向かって飛びつきました。
すると、思った通り手ごたえがありました!
「よし、もう逃がさないぞ!」
千二くんは怒鳴りました。
そして、相手をしっかりと押さえつけました。
その相手というのは、一体何者だったのでしょうか。
とにかく、手ざわりだけで言うなら、コケのはえた土管(どかん)のようでした。
生き物のようには思えません。
本当に変な手ざわりでした。
コケのはえた土管のように、表面はヌルヌルしているのに、とても硬いのです。
それが、千二くんが暗やみの中でとらえた相手でした。
暗闇のなかだったので、その形ははっきりとは見えません。
「これは、かん違いして、何か別の物をつかまえてしまったのかな?」
と、しばらくの間、千二くんはそう思いました。
けれども、千二くんがつかまえている土管のような怪物は、彼が押さえつけている下から、はね返そうとしているかのように、しきりにモクモクと動き出しました。そして、しばらくすると、
ひゅう、ひゅう。
ひゅう、ひゅう。
と、ひそやかな鳴き声をあげたので、今押さえつけているのがあの怪物に間違いない、と分かったのです。
しかし、こうして押さえつけてはいるものの、千二くんは決して気持ちの良いものではありませんでした。
飛びかかる前は、相手は人間か、あるいはこの湖によく降りてくる鳥だろうと思っていたのです。
ところが、手ざわりはそれらとは全く違う、濡れた土管のような怪物だったのですから!
でも、あとから考えてみれば、千二くんもよくぞまあ勇敢に、組みついたものだと感心してしまいます。
これが夜の暗闇の中ではなく、昼間の出来事で相手の姿がハッキリ見えていたとしたら、彼は絶対に飛びかかりなどしなかったでしょう。
いや、それどころか、きっと顔色を変えて逃げ出していたに違いありません。
「さあ、ずるい奴め! 土管の中から引っぱり出してやるぞ!」
千二くんは本気でそう叫んで、相手の体をなでまわしてみましたが、さあ大変です! 土管だと思っていたのに、その先はまるで鉄の兜(かぶと)のように丸かったのです。
「ぷく、ぷく、ぷく」
とたんに、その怪物は唸り声をあげました。
そして、千二くんの体を細いヒモのようなもので、ギューッとしめあげたのです!
その力の強いことといったら、ありません!
「ううっ、苦しい……!」
千二くんは、ついに耐えきれなくなって、悲鳴をあげました。
怪物は、不気味な手ざわりのヒモで、千二くんの体をギュッギュッと締めつけてきます。
そのうちに、息が止まりそうになってきました。
「ああっ!」
もうダメだ、と千二くんは思いました。
天狗岩の上で、おそろしい怪物に締め殺されてしまうんだと、覚悟しなければなりませんでした。
そのとき、千二くんのまぶたの裏に、家で彼の帰りを待っているお父さんの千蔵(せんぞう)さんの顔が、ボーッと浮かび上がりました。
「あ、お父さん……!」
すると、お父さんの顔がニヤリと笑って、
「おい千二! 負けちゃダメだぞ! かまうことはない、その化け物を水の中に引きずり込むんだ! お前の得意の水泳で、相手をやっつけちまえ!」
とお父さんは、千二くんをはげましたのです。
きっとそれは、人が息絶えそうになったときに必ず見る幻(まぼろし)だったのかもしれません。けれど同時に、親思いな千二くんのために、神様が差し伸べてくれた助けの手のようにも思えました。
「よし、負けるもんか!」
千二くんは、勇気が百倍わいてきました。
そして、力いっぱい相手を突きとばしました。
けれども、そんなことで離れるような相手ではありません。
ひゅう、ひゅう、ひゅう。
あの怪物は、再び唸り声をあげました。
「くそっ、この野郎!」
千二くんは、もう必死です。
相手が離れないと分かると、そのままズルズルと相手を引きずりながら、岩の先の方へと進んでいきました――。
怪物は驚いたのか、さらに一段とうなり声を高くして、あやしいヒモで千二くんの首を締めつけてきます。
いよいよ、千二くんの息が止まりそうになりました。
死んではならない!
そのとき、千二くんは、
「えいっ!」
と叫ぶと、ドスンと横に転がりました。千二くんは、怪物と一緒に、ドシンと横にころがりました。
にぶい音が響きました。
怪物が、横腹を強く打ちつけたのです。
天狗岩の上で、千二くんと怪物は取っ組み合いになったまま、上になったり下になったりして、ごろごろと転がり回りました。
「なにくそっ! 負けてたまるものか!」
と、千二くんは大声で叫んでいましたが、本当のところ、どうやら怪物の方が力はずっと強いようでした。
千二くんは大ピンチです!
「ま、負けてたまるかあーっ!」
そのとき怪物は、千二くんの上へのしかかってくると、ガアン、ガアンと、硬い体を千二くんにぶつけてきたのです。
その痛さといったら、まるで自動車にぶつかられたような衝撃でした。
怪物は、千二くんを押しつぶすつもりのようです。
けれどもこのとき、千二くんの気持ちは、かえってだんだん落ち着いてきました。
どうせ死ぬのなら、と腹をくくったせいかもしれません。
日本の少年は、死ぬ直前まで勇ましく戦うんだぞ、と日ごろ教わってきた学校の先生の言葉を思い出したからでもありました。
「水の中へ、怪物をひっぱりこむんだ!」
お父さんのまぼろしが、一生懸命に応援してくれています。
そこで千二くんは、相手の怪物のすきをねらって、
「えい、やあっ!」
と、全身の力をこめて、押し返しました。
その効果はてきめんでした。
怪物の体が、くるっとひっくり返りました。
そして「ひゅう、ひゅう」と、苦しそうにうめき声をあげました。
そのとき、二人の体は一緒になって、ごろごろと転がっていきます。
だんだん勢いがついてきました。

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