初級翻訳・火星兵団 第19話

海野 十三

「おい、新田。お前、わしをだましているんじゃないだろうな? もしだましていたら……あとで、思い知らせてやるからな! ……まあいい、だまされたと思って、出かけるとしようか」
蟻田博士は、その場に立ちすくむお医者さんや看護婦さんたちの顔を、用心深くじろりじろりとにらみつけながら、一歩一歩、玄関の方へと歩いていきました。
新田先生は、険しい目つきをした蟻田博士を優しくなだめすかして、どうにか博士のお屋敷まで連れ戻すことができたのです。

「けしからん。実にけしからん!」
と、途中でぶつぶつ文句を言い続けていた博士でしたが、久しぶりに自分の家の前に立ちつくと、急にご機嫌が直ったようでした。
博士は、すたすたと鉄の門を開けて、広い敷地の中へ入っていきました。
すると、お屋敷の見張り(警備)をしていた警察官の一人が、驚いたような顔をして裏手から飛び出してきましたが、蟻田博士はその警察官に向かって、じろりと険しい視線を浴びせました。
「け、けしからん! わしの屋敷を刑務所にするつもりだな! 絶対に許さんぞ!」
新田先生はまた困った顔をしてしまいましたが、一緒についてきてくれた警察官が、見張りをしていた警察官を呼び寄せると、激怒する博士の相手はせず、そのままパトカー(自動車)に乗り込みました。そして「ブーッ!」と激しい警笛の音をあとに残して、帰っていってしまったのです。

それでも博士は、まだ警戒を解こうとはせず、
「おい、新田!」
「はい!」
「お前、そのあたりをしっかり見て回ってこい。もし誰か人間が潜んでいたら、どんな奴だろうと構わんから、ほうきでぶっ叩いてやれ!」
「はいはい、承知いたしました」
新田先生は、これ以上博士を怒らせてはいけないと思い、博士に言われた通り、敷地の中をぐるっと見回ってみることにしました。

お屋敷の裏手に回ってみると、そこには博士の研究室となっている、とても奇妙な形をした天体観測所(天文台)がありました。
屋根は丸いドーム型をしていて、内部はモーターの仕掛けでぐるりと動くようになっています。
そして、その丸い屋根は左右二つにパカッと割れる仕組みになっていて、その割れ目から、博士ご自慢の巨大な反射望遠鏡が、どこまでも広がる大空をのぞき込むのです。
博士の研究室には、素晴らしい機械がたくさんそろっていましたが、その観測所の外側はといえば、庭一面に雑草がボーボーと生い茂っていました。
足を踏み入れる隙間すらないほど荒れ放題で、垣根なども壊れたまま放置されています。
蟻田博士の観測所のまわりを、新田先生は何度も草に足を引っ掛けそうになりながら、歩いて確かめてみました。
もちろん、そこには誰一人として隠れている者はいませんでしたし、警察官の姿も見当たりませんでした。

新田先生は観測所を一周すると、博士のお屋敷の表へと戻ってきました。
そして、改めて玄関から中に入り、研究室の中にいる博士の姿を見つけたのです。
蟻田博士は、新田先生に言いつけた見張りのことなど、もうすっかり忘れてしまったかのように、部屋の中にある機械を調べるのに夢中になっていました。

壁の上には、ガラスケースに入った『自記機械(じききかい)』が取りつけられていました。
自記機械というのは、人間がずっと見ていなくても、観測した結果が長い巻紙の上に、インクの描く曲線となって自動で記録されるという、とてもハイテクな機械のことです。
例えば、部屋の中の温度が一日の間にどう変わったかを知りたいとき、人間が温度計のそばに張りついて、いちいち目盛りを読んでノートに書き写さなくても、この機械をセットしておけば、巻紙がぐるぐると回るにつれてペンが長い線を描き、室温の変化を勝手に記録してくれるのです。

蟻田博士は、この自記機械のフタを開け、中から巻紙を引っ張り出して、食い入るように見つめていました。
「博士。しっかり見て回りましたが、もうお屋敷の中には誰もいませんでしたよ。どうぞご安心ください」
と、新田先生は博士の後ろから声をかけました。
ところが、蟻田博士はそれに対して返事もしません。
それどころか、なおも夢中になって、その自記機械から紙のようなものを長く引き出し、じっと見つめているのです。
その博士の目には、怪しく奇妙な光が宿っていました。

「博士。それは、何を記録する機械なのですか?」
新田先生は、博士のすぐ後ろまで近づいて尋ねました。
博士は、新田先生に突然声をかけられて、飛び上がるほど驚いたようでした。
「誰だっ!?」
と、険しい目つきでガバッと振り返り、そこに立っているのが新田先生だと分かると、
「なんだ、お前か」
「先生。お屋敷の中には、ほかにはもう誰もいないようですよ」
「そうか。だが、決して油断はできんぞ。もし誰かの姿を見つけたら、すぐにわしへ知らせるのだ」
そう言いながらも、博士は手に取った長い巻紙の記録線(自記曲線)に、ぐっと見入っています。
「博士。それは何を測ったものなんですか」
新田先生は、もう一度同じ質問を蟻田博士に投げかけました。
「これか」
と、博士は巻紙のような記録紙の上をポンと手で叩いて、
「わしが留守にしている間に、大変な異常現象が起きていたんだ!」
「えっ、大変な異常現象ですって!?」
「異常現象が起きたというのはな……つまり、この宇宙の中で、ありえないような恐ろしい出来事が起きていたということじゃ!」
博士の目の中には、イライラとした焦りの色がハッキリと浮かんでいました。
それを見た新田先生も、背筋がゾクッと寒くなるのを感じました。
「博士……宇宙の中でありえない出来事が起きていたなんて、一体どんなことなのですか?」
博士は、なおも長い記録紙を何度も繰り返し広げて見ていましたが、やがて重々しい口調で言いました。
「とにかく、これは地球が生まれてから最大の大事件が、もうすぐ起きてしまうぞ。なぜなら……わしが前からずっと警戒していた『モロー大彗星』の進むルートが、急に変ってしまったからじゃ!」
「はあ……モロー彗星のコースが急に変わると、大事件が起きるのですか?」

11 モロー彗星

モロー彗星が突然ルートを変えたからといって、大騒ぎしている蟻田博士。
しかし、それがどうして大事件になるのか、新田先生にはさっぱりわけがわかりませんでした。
「おい、新田。いよいよ、地球がバラバラの粉みじんになる日がやって来るぞ!」
「えっ……なんですって!?」
新田先生はびっくり仰天して、思わず博士の顔を二度見しました。
先生は、自分の耳がおかしくなってしまったのではないかと思ったのです。
だって、「地球が粉みじんになる」なんて聞こえた気がしたのですから!
「何を驚いているんじゃ。言葉通りの意味だぞ。地球が、こなごなに砕け散ってしまうんじゃ!」
「は、博士……それは冗談ですよね? それとも、SF小説か何かの話ですか?」
新田先生は、博士の言葉をまだ信じることができませんでした。
それもそのはずです。

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