初級翻訳・火星兵団 第46話

海野 十三

「向こうへ行け。
ぐずぐずしていると許さないぞ」
弱味を見せては大変と、新田先生は激しい声で相手を叱りつけた。
だが、その怪人は別に驚く様子もなかった。
もっとも、首がないのだから、どんなことをしても顔色が見えないので、見当がつかない。
先生は千二の手を取って、怪人の前をすり抜けようとした。
その時、首のない怪人は、黒いマントの下からニュッと腕を出した。
そして、あっという間に千二の肩をギュッとつかんだ。
おお、一大事だ!
蟻田博士邸の秘密室の真ん中!
とつぜん新田先生と千二少年の前にあらわれたのは、首のない怪人! 先生が後ろに千二をかばう暇もなく、黒い長マントの怪人は腕を伸ばして、千二の肩をムズとつかんだのである。
さあ、大変なことになった。
この怪人は一体誰であろうか。
あの自動車事故のあった崖下をうろうろしていた、あの怪人であった。そうして佐々刑事と戦っている時、首をぽろんと落としたその怪人であった。
大江山捜査課長は、この怪人こそ、あの丸木にちがいちがいないとにらんでいた。
その推理に、まちがいはなかった。
この怪人こそ丸木だったのである。
一度は、千二をつれて銀座に案内させ、ボロンの壜をうばってにげた。
二度目には、警視庁から出て来た千二を、日比谷公園のそばで待ち受けていて、むりやり自動車に乗せてしまった。
そうして、交通整理の警察官においかけられたが、ついに麻布の坂においつめられ、行き止まりになってしまった。
この時、「この先に崖がある。危険!」という注意の立て札が目に入ったが、もうどうすることもできなくて、とうとう自動車をがけっぷちへと走らせ、あの恐ろしい自動車事故を引き起こしたのであった。
その時、丸木は、不思議なことをやっていた。
それは一体どういうことかというと、千二の命を救ったことである。
――自動車が、崖を通りすぎるその直前、丸木は自動車のドアを開けて、千二を外につき落としたのだった。
千二の体は、蟻田博士のおうちの生け垣のしげみの中に、くるくると転がりこみ、そうして命拾いをしたのであった。
それでは、丸木はどうなったのか?
丸木は、そのまま自動車といっしょに崖の下へ落ちたのだ。
そして不思議なことに、今もこうしてちゃんと生きているのだった。
不思議だなあ。

26 格闘

首のない丸木が、生きているのだ。
今も新田先生と千二少年の前に、その丸木が不気味に立っているのだ。
いや、それどころではない。
千二少年は今、丸木につかまられて動けなくなっているのだ。
「こら、怪物!
その少年をはなせ。
なんてかわいそうなことをするんだ!」
新田先生は、相手を大きな声で怒鳴りつけた。
だが怪人の丸木は、いっこうに言うことを聞こうとしない。
少年の肩をつかんで、ぐいぐいと自分のほうへひきよせる。
千二は顔をまっ赤にして丸木とあらがっているが、子どものかよわい力で、かなうわけがない。
そしてついに、千二少年は丸木の大きな黒いマントの中にすっぽりとかくされてしまった。
怪人は、勝ったぞと言わんばかりに、気味の悪いうなり声を上げた。
「け、けしからん!
もう君の勝手にはさせないぞ!」
新田先生は、相手がものすごい強敵だとわかっていたが、こうなってはもう引き下がれない。
全身の力をふりしぼって、怪人丸木の胸にドーンとぶつかった。
丸木はよろよろと、二、三歩あとずさりした。
だが、たおれはしなかった。
「よし、もう一度だ!」
新田先生はもう一度うしろへ下がると、力いっぱい怪物の胸に体当たりした。
今度はかなりこたえたようだ。
丸木はうなりながら、四歩、五歩とあとずさりし、ついに壁ぎわにドンと背中をぶつけた。
それはものすごいぶつかり方だった。
そのひびきで、壁にかかっていた柱時計が「ゴーーーン」と鳴り響いたほどだった。
だが、この怪人はまだまいらない。
千二は、マントの下で足をバタバタさせて暴れている。
新田先生はそれを見ると、ふたたび丸木の胸めがけて突っ込んでいった。
すると、丸木の腕がマントの下からニュッと出てきたが……。

三度目の、新田先生のすさまじい体当たりに、さすがの怪人丸木も少しひるんだらしく、それまでは動かさなかった左腕をマントの下からぬうっと突き出した。これを見て、先生は飛び上がるほどおどろいた。
「あっ、首だ!」
怪人の腕の先には、なんと一つの首が生えていたのだ。
――いや、違う。怪人はマントの下で、左手に自分の首を持っていたのだ。それが、新田先生のはげしい体当たりにまいってしまったらしく、マントの下から左手を出したはずみに、ぶらさげていたその首があらわれたのだった。
いったい何をしようというのか、この怪人は!
彼は、自分の首を持ち上げると、なんと突然、自分の首のない胴体の上にポンと乗せた。
――こうして、今まで首がなかった怪人に、初めて首が生えたのである。
「おのれ、きさま!」
新田先生は、丸木の顔をじっとにらみつけた。
怪人丸木は、低くうなりながら、左手でしきりに首をおさえている。
それはどうやら、一度はずれてしまった首を、胴体の上にしっかりとくっつけようと、一生懸命にがんばっているらしかった。
人間が、首が取れたままで生きているだけでもものすごく不思議なのに、一度下に落ちた首を、もとのところへ自分でくっつけようとするなんて、もっとへんてこりんな話である。
読者のみなさんは、こんなばかばかしいお話にあきれてしまっていることだろう。
まったくその通りで、新田先生もこのありさまを見て、あきれ返っていた。
だが、ここにはまだ読者のみなさんに説明していない、大きな秘密が一つだけ隠されているのだ。
それが何であるかは、まだお話しする時期ではない。
その秘密が一体どんなものなのかは……。
当分、読者のみなさんには内緒にしておこう。
さて、新田先生は、このとき大きなチャンスをつかんだ。
「待て、新田先生!」
突然、丸木が叫んだ。
丸木がはじめて言葉を発したのだ。
先生はびっくりしておどろいた。首のない怪物が、ひょいと自分の首を胴体の上に乗せただけでも驚いたのに、いきなり自分の名前を呼ばれたものだから、新田先生はたまらなくびっくりしてしまいました。
どうしてそんな魔法みたいなことができるのでしょう?
あまりにとっさの出来事で、先生には何がなんだかさっぱりわかりませんでした。
「なんだ、降参するのかい?」
先生は負けじと、大きな声で言い返しました。
「誰が降参するものか! 先生こそ、おとなしくしていないと命がないぞ」
「バカを言うな! 誰が降参するか!」
新田先生は、もう一度はげしく相手に向かって突っ込んでいきました。
「おい、待てと言うんだ、話がある!」
「話? なんの話だ。それよりも先に、その少年を放しなさい!」
「いや、放さない!」
「だったら、戦うのみだ! この怪物め!」
先生は猛烈な勢いで、相手の体にぶつかっていきました。
怪物は、肩から落ちそうな首を上からちょいと手でおさえながら、身をひるがえしました。
「おい、待てってば。そんなに乱暴をされると、僕は……」
怪物は、少しひるんだような声を上げました。
先生はすかさず、怪物の胴体にしっかりと抱きつきました。

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