初級翻訳・火星兵団 第71話

海野 十三

もう一人の仲間の火星人も、気疲れしたのか、そのそばで大きなまぶたを重そうにパチパチさせていましたが、やがてこちらも、うつらうつらと深い眠りへと落ちていきました。
急にあたりが静まり返り、しんとなりました。
薄暗い地底のなか、博士と新田先生の二人がじっと向き合っていました。
師と弟子が、ひさしぶりに水いらずで顔を合わせているのでした。
博士の心の中がどうなっているのかは分かりませんが、新田先生の胸の中には、これまでのさまざまな出来事が次々と思い出されて、胸が締め付けられるように痛みました。
けれど、先生はいつまでもめそめそと弱音を吐いているような男ではありませんでした。
地球の破滅は、もう目の前まで迫っているのです。
めめしく涙ぐんでいるヒマなどありませんでした。
「博士、この火星人たちは、いったいどうしてここにいるのですか?」
先生はまっすぐに質問の矢を博士に向けて放ちました。
「ああ、この二人のことかね」
博士は長く伸びて額にかかる白い髪を乱暴にかき上げながら、先生の方をじっと向きました。「この二人は、ずっと前にわしが火星に行った時、助けて連れて来てやった火星人なんだよ」
「えっ? 博士は火星に行かれたことがあるのですか!」
新田先生は、たまがったように目を丸くして尋ねました。
「おや、そのことはまだ話をしてなかったかね」
「そんなの嘘です!
博士は、人間の力では火星に行けないって、以前におっしゃっていたではありませんか」
と、先生はすかさず突っ込みました。
「うむ、たしかにそれは言った。
しかしそれは、一般の人間をさして言ったのじゃ。
わしの力は人間以上なのだからな!」
と、蟻田博士は胸を張って偉そうに言いました。
『人間以上!』――その言葉には、二つの意味にとることができます。
わしは並外れてすぐれた人間だという意味なのか、それとも、わしはもう人間ではないぞという意味なのか、いったいどっちなのでしょうか。
新田先生には、そのどちらの意味で言っているのか、見当もつきませんでした。
かといって、まさか博士に向かって、
(もしかして博士は、もう人間ではないのですか?)
となんて、面と向かって聞くわけにもいきません。
だから先生は、この大きな疑問を心の中に抱えたまま、しばらくその話は先送りするしかなかったのです。
「この二人を助けたとおっしゃいましたが、そもそもなぜ博士は彼らを助けられたのですか?
いったいこの二人の素性は、どういう者たちなんですか?」
と、先生は改めて尋ねました。
「ああ、この二人の素性のことかね。
わしが助けた時は、二人ともまだ子どもだった。
この子たちは、火星の女王ラーラの子どもなんだよ。
ラーラには百人ほどの子どもがいたが、今こうして生き残っているのは、おそらくこのロロとルルの二人だけだろうと思うよ」
博士は、とても信じられないような奇妙な話を始めました。
先生は、博士がまた適当なでたらめを言っているのではないかと思いました。
なぜなら、そのラーラという女王に百人もの子どもがいたというのですから、そんなにたくさんの子どもを一体どうやって生むというのでしょうか。
「博士、それは本当に本当の話なんですか?
百人の子どもを生むなんて、あまりにも不思議すぎますよ!」
博士は、やれやれ仕方がないといった顔つきで、首を左右にふりました。
「ふん、お前にはそれが信じられないかも知れん。
いや、むりもないことだ。
だがな、それはれっきとした本当のことなのだ。
――その女王ラーラは、非常にすぐれた立派な者じゃった。
我々地球の生物と同じように、優しく情け深い心を持っていたんだ。
だから女王は、地球の人類と、お互いに手を取り合って力になり合いたいと考えた。
それが、他の凶暴な火星人たちの気に入らなかったのじゃ」
「火星国に、せっかく地球人類と手を組んで仲良くやっていこうという女王ラーラが現れたというのに、多くの火星人たちは大反対をして、とうとう女王を殺してしまったのだ。
それだけではない。
百人近い女王の子どもたちも、ほとんど残らずみんな殺されてしまったのだ」
と、蟻田博士の不思議な話はまだまだ続きます。
「ほう……それはまた、なんともむごい残酷なお話ですね」
「残酷というのは、もともと火星人たちの持って生まれた悪い性質なのだ。
わしは、女王ラーラとその子どもたちが殺されるところを目撃したが、いやもう、それはそれは見るに堪えない気の毒なものじゃった。
火星人たちは女王たちを、森の中につくった大きな牢屋に放り込んだんだ。
その牢屋は、上から見ると丸い形で、高い壁にかこまれておって、そうして天井がなかった」
「ほほう……」
「女王たちをその天井のない牢にぶちこむと、火星人たちは今度はそこへ水をドボドボとそそぎ入れたのじゃ」
「水の中に、おぼれさせて殺すわけですね」
「いや、そうではない。
水はわずか十センチぐらいの浅い深さしかなかった。だが、そのあとで投げこんだものが、恐るべきものじゃったよ」
と、博士は当時のことを思い出しているのか、肩先をブルブルとふるわせました。
「何なんですか、博士!
その恐るべきものって一体……」
新田先生は、博士の焦らすような話し方にいてもたってもいられない気持ちになりました。
「それは、一種の藻(も)じゃ。
見たところは、なんでもないただの緑色の藻なのだが、その藻こそが、ものすごい恐ろしい繁殖力を持ったやつなのさ」
「はんしょくりょく……?」
「そうじゃ、つまり、ものすごい勢いでどんどん増えるのじゃ。
その藻は、水の中では大へんなスピードでふくれあがり、しかもそばに他の生き物がいると、容赦なくピタリととりつき、その生き物の体から栄養をどんどん吸い取って、さらに猛烈に増えていくのじゃ。
まさに恐るべき『寄生藻(きせいそう)』だよ」
と、蟻田博士はそこでまた、ぞっとしたように体をふるわせました。
「ああっ、藻を使って人を殺すなんて、そんな方法、今まで聞いたこともありません!
火星の上には、とんでもない恐ろしい植物があるものですねえ……」
新田先生は、思わず大きなため息をつきました。
蟻田博士が語り続ける、女王ラーラとその子どもたちの最期ほど、風変わりで、そしてあまりにも気の毒な悲劇は、ほかにちょっとないでしょう。
しかし、博士はなおも話を続けました。
「――女王ラーラとその子どもたちは、四日目には、そのおそろしい藻に全身すっかり包み込まれて、とうとうみんな死んでしまったのだ」
「ああ、なんてかわいそうな……」
「その時、わしは森の中の一本の木の上に登って、その様子をじっと見ておったのだが、あまりにもかわいそうで、何とかしてせめて子どもだけでも助けてやりたいと思い、どうにかして救い出す方法をいろいろ考えたのじゃが、どうもなかなか良い知恵が思い浮かばなくてな……」「ところが、そのうち、ふと、思いついたことがあった」
「何です、その思いつかれたことは?」
「それはほかでもない、わしが持っていた長さ五十メートルの長い巻尺じゃ」
「巻尺? あのぐるぐるまいて、ケースにはいっているあの巻尺のことですか」
「そうじゃ、その巻尺じゃ。

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