しかし、博士のほうは、そんなことなどまったく気にしていない様子でした。
「さあ、すぐに出かけるぞ。ついてきなさい!」
博士はそう言うやいなや、ズンズンと部屋を出ていってしまいました。
先生はびっくりしてその後を追いかけましたが、すでに博士の姿は見えません。
地下から地上へ出る階段をかけ上がってみましたが、博士がどこへ行ったのか見当たりません。
そこで先生は、もう一度階段を下りて、もとの部屋へ引き返そうと後ろをふり向きました。
その瞬間、「あっ!」と叫び声をあげました。
驚くのも無理はありません。いつの間に忍び寄ったのか、そこには、真っ黒な服に身を包んだ火星人が立っていたのです。
先生は心臓がとまるほどぎょっとしました。いつの間に、火星人がこんなところまで入り込んできたのだろうか。
まったく、油断も隙もあったものではない。
「博士、火星人がここにいます!」
先生は、パッと体をひるがえして駆け出しながら、博士の後を追いかけた。
「わ、は、は、は、は」
と、火星人は大声で笑った。
先生は、もうダメだと思った。
そこで、博士から預かった十号ガスのピストルを、火星人のほうに向けて、
「さあ、これを食らって参れ!」
と言うなり、引き金を引いた。
パサッと音がして、ガスピストルはガスを撃ち出した。
黄色い煙があたりに広がった。
「わ、は、は、は、は」
火星人は煙の中から笑っている。
「しまった!」
先生は、もう一度ガスピストルの引き金を引いた。
ガスはまたパサッと音がして、火星人のほうへ飛んでいき、もうもうと広がった。
「もうよせ、もうよいよ。
わ、は、は、は、は」
と、十号ガスの中で、火星人は苦しそうに笑いながら叫んだ。
十号ガスが効かない火星人だ!
これではせっかく蟻田博士の発明した十号ガスも、まったく威力がないのだとわかり、先生はすっかりがっかりしてしまった。
「おい新田、お前はひどいことをするじゃないか」
と、ガスの中から火星人はおかしそうに言った。
その声を聞いて、先生はおやっと思った。
その声は、たしかに聞き覚えがある!
「はてな?」
と、先生は言った。
「はてなも何もないよ。
わしじゃないか」
と、黄色いガスの中から出てきたのは、ほかならぬ蟻田博士の顔だった。
「ああ、博士。
やっぱり博士だったのですか!」
「そうだ、わしだよ」
「でも、わたしはたしかに火星人の姿を見かけたのですが……」
「わははは、まだまじめくさってそんなことを言っているのか。
あれはわしじゃよ。
火星人の姿をしていただけじゃ。
ほら、ここに衣装があるのだ」
と、博士は黒いマントや黒い帽子を手で持ち上げた。
「どうしたのですか、博士。
なぜ火星人の姿などをなさるのですか」
「お前もずいぶん頭の回転が遅い男だなあ。
火星兵団のそばへ行くには、こっちもやっぱり火星人の姿をしていかなくては、向こうだって油断しないだろうが」
「なるほど!」
「さあ、お前も早くこの衣装をつけて、火星人に化けるのだ。
ほら、ここにある」
と、博士は別の衣装を先生のほうに差し出した。
「ああ、そうでしたか。
いや、よくわかりました。
これはどうも、わたしがのぼせ上がっていて大失敗をしました。
あははは」
と、先生は師の前で頭をかいたのであった。
博士と新田先生は、穴から外へ出た。
外は真っ暗だった。
「おい、新田。
ちょうどいい。
いっしょに下の方へ降りていってみよう。
赤羽橋あたりへ出れば、火星人に出会うかもしれない」
「はい」
先生は博士と並んで歩き出した。
月が空にかかっていて、二人の影を地上にはっきりとうつし出していた。
また別の方からはモロー彗星が強い光を放って、二人に別の影をつけていた。
先生は、火星人そっくりの自分の姿を見て、苦笑いをした。
54 危機せまる
ガスピストルを持っての初めての試験だ。
蟻田博士と新田先生は、火星兵団の者そっくりの姿をして、深夜の町をそろそろと赤羽橋の方へ歩いていった。
町は死んだように静まりかえっていた。
「博士、町はたいへん静かですよ。
この様子では、火星人は引き上げていったのかもしれませんね」
「そうだなあ、ちと静かすぎるのう」
博士と先生はそんなことを言いながら、芝公園の横を抜け、電灯がぽつんとついている赤羽橋の方へと足を向けたのであった。
その時、とつぜん奇妙な声を二人は聞いた。
声の方角は芝の山内だ。
何を叫んでいるのかわからないが、たしかに何か重大なことが起こったらしく、金切り声をあげている。
それは一人や二人ではなく、かなりの人数だった。
しかし人間の声かどうか、それがはっきりしないほど怪しい響きを持っていた。
「おお、あの騒ぎは、たしかに火星兵団の者と人間とが衝突したんだ。
さあ、いってみよう」
博士は先生を促し、赤羽橋を目の前にして左へ曲がり、芝公園の深い森の中へと入っていった。
博士は老人とも思えないほどの元気だった。
森の中をしばらく走っていくと、はたして森の中の幅の広い自動車道路の上で、人々が入り乱れて激しく格闘している一団があるのを見つけた。
「あそこだ。
おい、新田、そっとあそこへ近づくのだ。
ガスピストルは、わしが撃つまではお前も撃ってはならないぞ」
「はい、承知しました」
二人がそっと近づくと、格闘している一団というのは、一人の火星人と、こちらの警官隊とだった。
火星人を真ん中にして、警官隊はそのまわりを取り囲んでいた。形の上では火星人を警官隊が取り囲んでいる形になっていましたが、火星人の勢いは凄まじく、警官隊のほうがむしろじりじりと押し返されていました。
「……こうなったら皆でこいつに飛びつくんだ。失敗したら次は体当たりだ。飛びついたら絶対に放すな!」
先頭に立って叫んでいる声に、新田先生は聞き覚えがありました。
「おい、いいか! 突撃用意! 一、二、三、突込め!」
号令がかかると同時に、警官隊はわあと叫び声をあげ、剣や棒を振りかざして火星人めがけて切り込んでいきました。
ぷくぷく、ぷくぷく。
火星人は妙なうなり声をあげて一歩後ろへ下がります。そこへ警官隊が一斉に飛び込んでいったのです。
それが戦いの始まりで、あとはものすごい大乱闘が始まりました。
あっという間に、警官の一人が空高くほうり投げられました。
別の一人は近くの木立に、これでもかというほど叩きつけられました。
勇敢にも火星人に飛びついていった警官たちは、次から次へと火星人に反対にやっつけられてしまったのです。
まったくもって、火星人の怪力には驚くほかありませんでした。
火星人の途方もない怪力! それは警官隊もよく知っていたことでした。
しかし、警官隊は市民たちを守るという自分たちの責任を果たすため、死を覚悟してこの強力な敵に向かって飛び込んでいったのです。
「おい、頑張れ! 死んでも一歩も引くんじゃない!」
警官隊長らしき人物が、金切り声をあげて叫んでいました。
しかし部下たちの多くは深い傷を負い、地面に倒れてしまいました。
それを見た隊長は剣を持ち直し、自らその怪力の火星人に立ち向かっていきました。
「あっ、あれは大江山さんだ、捜査課長だ!」
新田先生が叫び声をあげ、思わず前へ飛び出しました。
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