初級翻訳・火星兵団 第97話

海野 十三

そして博士はスッと手を伸ばし、配電盤のスイッチを「ピチン!」と入れた。
すると、天井につるしてあるスピーカー(高声器)から、いきなり異様な声が飛び出してきたのだ。
「おい、蟻田!
やっとこっちの無線を受信しはじめたか。
相変わらず、頭の悪いやつだな!」
悪態をついているその声は、まぎれもなく丸木のものだった。
しかし、博士だって負けてはいない。
ふん、と鼻を鳴らしてマイクに向かった。
「おい、丸木!
われわれ地球の人類が、いかに強いかということを、もういい加減に思い知っただろう。
このへんで素直に降参したらどうだ!」
「なにを言っているんだ、蟻田め!
そんなセリフは、そっくりそのままこっちが返してやるぞ。
モロー彗星が地球に衝突すれば、地球の人類はみんな全滅してしまうんだぞ!
それをわざわざ助けてやろうとしているのに、恩を仇(あだ)で返すなんてことがあっていいのか。
この上は、もう絶対にてかげんしない!
その血祭りに、まず貴様の乗っているそのロケットを打ち落として、息の根をとめてやるからな!」
「丸木、こっちはいつでも平気じゃよ。
それに反して、わが方のガス弾が『ドーン』とお前の乗りものに1発でも当たれば、たちまち黒い煙となっておしまいになるぞ。
つまり、空中でのお葬式、いわゆる『空中葬』になってしまうわけだ。
どうだ、このへんで降参したほうが身のためだぞ」
「バカを言うな!
おれはもう、貴様のような人間は相手にしないことにする!」
丸木の声は、怒りと焦りで怪しくふるえていた。
「博士、丸木艇がすごいスピードをあげていますよ!
もしかして、にげ出すつもりじゃないでしょうか!」
千二少年がハラハラしながら叫んだ。
なんと、丸木艇の姿が、とつぜんビューンと長く引き伸ばされたように見えた。
そして、艇の全体がにわかに赤みを帯びたようになり、丸木艇はさらにものすごいスピードで加速していった。
「おや、丸木艇はあんな方向へ向かっているぞ。
ふむ、まちがいなく逃げるつもりだな!」
蟻田博士が大きな声で叫んだ。
「あれれ、あんなにあっという間に、丸木艇が小さくなってしまいましたよ!
ぐずぐずしていたら、見失ってしまいますよ!」
千二くんは気が気でなくて、じっとしていられない様子だ。
「うむ、たしかにあいつは逃げる気だな。
――おい新田、撃ち方はやめだ!
今から我が大空艇は、あの丸木艇を徹底的に追いかけるぞ。
これから一気に全速力でスピードを上げるから、ふたりともすこし気持ちが悪くなるかもしれないぞ!」「みんな、しっかりがまんするんだぞ!」
「はい、がまんします!」
新田先生と千二くんは、声を合わせて答えました。
「よろしい。では、ここから一気に追いつくぞ!」
博士がそう言うと、エンジンのスピードをグンと上げました。
ぐぐうーっと、3人のからだはうしろへ強く押しつけられるように感じます。
そして、気分の悪くなるような頭痛がして、額から汗がふきだしてきました。
大空艇は、一気にものすごいスピードを加速させたのです。
「にげるぞ、にげるぞ! 丸木艇が、だんだん地球からとおざかっていくぞ!」
博士は、丸木艇が進んでいる道すじを測りながら、宇宙の地図の上に鉛筆でしるしをつけていきました。
「地球からとおざかっていくと言いますと、もしかして火星へもどるつもりでしょうか?」
新田先生が心配そうにたずねました。
「さあな。もう少し丸木艇のようすを見ていなければ、はっきりしたことは言えないが……」
「博士! さっきは丸木艇があんなに大きく見えていたのに、いままたどんどん小さくなっていますよ!」
千二くんが、すかさず声をあげて注意しました。
「む、そうか! 丸木艇はまた逃げるスピードを上げたんだな。いや、負けてはいないぞ!」
博士は、さらにエンジンを加速させました。
エンジンの音が、いきなりゴゴゴーッと大きくなります。
そのとき、まわりの空が急にうすぐらくなってきました。
宇宙の星たちが、まるでダイヤモンドのようにピカピカときらめきだしたのです。
「先生、どうしたのでしょうか? 日が暮れはじめたのか、いきなり真っ暗になりましたよ!」
千二くんがびっくりして大声をあげました。
「ふむ、おかしいねえ。日が暮れたにしては変だな。
下をよくごらんごらん、ほら、地球であんなにまぶしく太陽の光が光っているじゃないか。
それに、太陽だってちゃんと空のほうで輝いているというのにねえ」
「先生、いったいどうなっているんでしょう、これ……」
「さあ、不思議だなあ。
ここは太陽の下にいるのにまるで夜みたいに暗くて、でも地球のほうはギラギラ光って真昼のようじゃないか」
2人がそんなふうに首をかしげ合っていると、博士が言いました。
「お前たちは、いった何をバカなことを言っとるんだ」
「はっ、だってあまりにふしぎなもので……。まさか、まだこんなに早く成層圏(せいそうけん)へやってきたわけはないだろうと思っていましたから……」
「何を言っているんだ。われわれはもう、すっかり成層圏の中にいるのだぞ!
成層圏に入ったからこそ、まるで夕暮れのような景色になっているんだ」
「えっ、もう成層圏に来ていたのですか! それはものすごく早いですねえ!」
新田先生は目を丸くしてびっくりしました。
「先生、成層圏って、いったいなんのことですか?」
千二くんが、すこしおどおどしながらたずねました。
「成層圏というのはね、千二くん、地上からだいたい20キロメートルより上空の空のことなんだよ。
そのあたりまで来ると空気がものすごく薄くなるから、太陽の光がそこら中にちらばらなくなるんだ。
だから、空がこんなふうに暗く見えるのさ」
「太陽の光がちらばらないとは、どういうことですか?」
「つまりね、たくさん集まったガラス玉をとおして光を見ると、どこから見てもギラギラとまぶしく光って見えるだろう?
空気のつぶは、ちょうどあのガラス玉と同じはたらきをしているんだよ。
太陽の光を空気のつぶがあちこちにちらばらせるから、空気のある地上付近の空は明るく見える。
だけど、空気のない高いところでは太陽の光がちらばらないから、空が真っ暗に見えるというわけなのさ」

61 火星行

新田先生が千二くんに成層圏のお話をしている間にも、大空艇はどんどん先へすすんでいき、まわりの暗さはますます深まっていきました。
空気が、いよいよ薄くなってきたのです。
先生は千二くんに説明するのにすっかり夢中になっていましたが、ここでハッと気がつき、操縦席にいる蟻田博士のほうを振り返りました。
すると博士は、じっと映写幕を見つめていました。
博士の手は、いつの間にか操縦桿(そうじゅうかん)から離れていました。
いつの間にか、また自動操縦にもどっていたのです。
「博士、丸木艇はいまどうなっていますか?」
先生が心配そうにたずねました。
「丸木艇は相変わらず、せっせと逃げているところさ」
「逃げているのですか? いいったいどこへ向かっているのでしょう?」
「さあ、いまのところはちょっとわからないが、おそらくこのまま火星へもどるつもりかもしれんね。

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