初級翻訳・火星探険 第23話

海野 十三

だが、このとき火星人たちは、何を思ったのか、急に密林から姿を現した。
そして広い沙漠を、まるで飛ぶようにしてこっちへ向かって来るではないか。
何百人、いや何千人、いやいやもっと多いのだ。
まるで赤蟻の大群が引っ越しをするような様子で、隊列をととのえて沙漠を横断し、この宇宙艇へ向けて押し寄せてくる勢いを示したのである。
ああ、危機が迫る!
こっちはわずか十人足らずの地球人類だ。
相手は何万何十万と数知れぬ火星人の大集団だ。
しかもこっちの者にとっては、勝手の違う異境の火星の上だ。
デニー博士の一行は非常に不利な立場に置かれている。
迫りくる火星人。

事態はすこぶる険悪だった。
頭のでっかい赤蟻が立ったような格好の火星人の大群は、見事な隊列をつくり、刻一刻と、沙漠に腹ばいになった宇宙艇へと近づいて来る。
わが火星探険団の指揮をとるデニー老博士は、指揮台の上に突っ立ち、テレビ見張器の六つの画面をじっと見つめて、身動きさえしない。
ああ、このままで行けば、一行の九名は、火星人の大群の襲撃を受けて、たちまち踏みにじられてしまいそうである。
河合は、このときマートン技師のそばにいたが、技師が食料品をすこし食堂へ行って持って来るようにと言ったので、河合は急いでそちらへ走った。
食堂へ入ってみると、張とネッドが、有機ガラスの丸窓へ顔を押しつけて、外を一生懸命に見ていて、河合が入って行ったのにも気がつかないようだった。
「おい、マートン技師からだ。
ソーセージとアスパラガスとコーヒーを頼むぜ」
河合の声に、張とネッドはびっくりしてうしろをふりかえった。
「へえっ。
食べるどころのさわぎじゃないじゃないか」
と、ネッドが目を丸くした。
張の方は「よろしい」と答えて、厨房へ駆けこんだ。
「いや、腹がへってはだめだ。
今のうち食べられるだけ詰めこんでおけと、マートンさんは言うんだ」
「うらやましいなあ。
僕みたいな食いしん坊でも、今はビスケット一つ食べようとは思わない」
張が厨房から駆け戻ってきた。
ソーセージとアスパラガスの缶詰と、コーヒーの入った魔法瓶を河合に手渡した。
「ありがとう、ねえ、張君。これから先、いったいどうなるんだい」
 河合は張にたずねた。
「そんなこと、僕がわかるもんか」
「牛頭仙人(ごずせんにん)の力で、水晶の玉(たま)に占ってもらったらいいじゃないか」
「それはさっき、張くんにやらせたんだよ」
 と、ネッドが横から口を出した。
「おい、張くん。
あの話を河合くんにしてやりよ」
「あんな占いなんてダメだよ」と、張は言った。
「僕は自信がないんだ。
でも、ネッドくんがどうしてもやれと言うもんだからさ……」
「牛頭仙人が、自分の力占いもわからないなんて困るね。
とにかく、河合くんに話してやりよ」
 ネッドが熱心に言うものだから、張は恥ずかしそうに語りだした。
「……つまりね、水晶の玉を見つめていると、こんな光景が見えたような気がしたんだよ。
僕たち四人がね、
あの牛の箱自動車の上で、おもしろそうにタヌキ踊りを踊っているのさ」
「へえ、タヌキ踊り?」
「ほら、いつか山木くんが教えてくれたじゃないか。
なんとか寺のタヌキばやしの踊りだよ。
太いしっぽをぶらさげて、ヘンな格好で踊るやつさ」
「ああ、あれか。
證城寺(しょうじょうじ)のタヌキばやしだな」
「うん、それだ。
で、僕たちが自動車の上で踊っていると、そこへ、ばらばらと赤いものが雨のように降ってくるんだ。
それで幻は消えた。
おしまいさ」
「なんだい、その赤いものがばらばらって……」
「それがわからないんだ。
火の粉(のこ)よりは大きいんだよ。
綿(わた)をちぎったくらいの大きさの、赤いものなんだ」
「すると、焼夷弾(しょういだん)が上から降ってくるのかな」
「焼夷弾が落ちてくる下で、僕たちが踊るわけないじゃないか」
 と、ネッドが反対した。
「だから僕は、あの占いは、やがていいことがあるしらせだと思うんだ」
「君は楽天家(らくてんか)でうらやましいよ。
とにかく、今にそれが本当かウソかわかるさ。
それじゃ、あばよ」
 そう言って河合は、食料品を抱え直すと、マートン技師のもとへと急いで戻っていった。
 河合がちょっと留守にしている間に、宇宙艇の外のようすは、ますますものすごい険悪さになっていた。
テレビ見張器で見ると、宇宙艇のまわりはもうすっかり火星人の大群に囲まれていた。
そして、気味の悪い生物たちは、すし詰めになりながら、だんだんジリジリと宇宙艇のほうへ包囲の輪をせばめてきている。
そのとき、とつぜん彼らの頭上で、青い花火のようなものが、パンパンと炸裂(さくれつ)した。
すると、それが合図だったのか、火星人の大群は、まるで海岸に打ち寄せるすごい大波のように飛び上がり、ものすごいスピードで四方八方からワッと宇宙艇へめがけて突撃してきたのだ。
ついに、運命のときがやってきた!
いまやこの少人数の宇宙艇は、火星人たちに踏みにじられる寸前なのだ!
「エフ瓦斯(ガス)を放出せよ!」
 デニー博士の大きな号令が、あたりに響きわたった。
その命令は、すぐに次から次へと伝えられた。
機械がうなり声をあげる。
まるで眠っていたかのような宇宙艇が、激しくブルブルと震えはじめた。
すると、もうもうとした褐色のガスが、宇宙艇のおなかのあたりから何ヶ所もプシューッと吹き出した。
そのガスは、重さが火星の大気と同じくらいか、ほんの少し重いくらいらしく、宇宙艇からは少し浮き上がるものの、あまり高くへはのぼっていかあっという間に宇宙艇をすっぽりと包み込んでしまった。
テレビ見張器の画面にも、このガスが広がっていくようすがハッキリと映し出された。
いまや画面はすっかりこの褐色のガスで真っ白……ではなく真っ茶色に隠されてしまったが、夜の暗闇(くらやみ)さえも透かして見ることができるテレビ見張器のすごいところ、エフガスをとおして外のようすは相変わらずハッキリと見えていたのだ。
そうなのだ!
さっきまでのあのものすごい勢いはどこへやら、火星人の大群はこのガスにぶつかったとたん、大パニックの大混乱となり、列はバラバラになり、ひっくり返ってゴロゴロと転がりながら、われ先にとむこうへ逃げていくようすが、おかしいくらいハッキリと映し出されていた。
「火星人はよほどおどろいたらしいぞ。
総退却だ!
これで奴らも、そうムチャな真似(まね)は仕掛けてこまい」
 デニー博士は、心の底からホッとした顔をした。
「いまのエフガスというのは、いったいどんな毒ガスなんですか?」
 と、河合はマートン技師にたずねた。
「あれかい?
エフガスは毒ガスなんてものじゃなくて、柔らかい皮膚(ひふ)をちょっとピリピリさせるくらいの代物さ。
だけど、奴らをびっくりさせるには十分だったようだな」
 マートン技師はそう言ってニッコリと微笑(ほほえ)んだ。
興奮の地球

 それからもエフガスの放出は、休みなく続けられた。
ガスの厚い壁は、傷ついた宇宙艇をすっかり包み込んで、火星人の襲撃から安全に守ってくれたのだ。
ひとまず危ないヤマは越えたので、デニー博士は、乗組員たちに交代で眠るように命令した。

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