そうだ、買い物をするにはお金がいるんだったなあ! ああ、大失敗だ!」
丸木は一人で大騒ぎしています。
「じゃあ、ボロンを買うのは中止だね?」
「それはいかん! なんとしてもボロンを買っていかなければ、大変なことになるのだ!」
丸木は、もう千二に代わりに買い物をさせておくことなんて我慢できなくなりました。
彼はいきなり、白い服を着た薬剤師の胸ぐらを掴みかかり、
「おい君! お金はあとで届けるから、ボロンを渡してくれ!」
薬剤師はビックリ仰天しました。突然お客さんから服を引っ張られたのですから無理もありません。
「わっ、そんな乱暴をされたら服が破けてしまいますよ! 放してください!」
「頼む、頼むからボロンをくれ!」
丸木は必死そのものでした。
「いいえ、ダメです!」
若い薬剤師は少しカンカンに怒っているらしく、丸木の頼みをきっぱりと断りました。
「そう言わずにくれ! あとで君にも、たっぷりお礼をするから!」
「いいえ、ダメなものはダメです! お金を持ってきてくれない限り、ボロンどころか何一つお渡しできませんよ!」
「どうしても、ダメなのか……」
丸木は恨めしそうな顔で、薬剤師をギロリとにらみつけました。
「お金を持ってこない人にポンポン薬をあげていたら、商売が成り立つわけがないでしょう。冗談もほどほどにしてください!」
若い薬剤師は、丸木からかわかわれているとでも思ったのか、本気で怒っています。
「ふふん。どうしてもダメと言うのだな……」
丸木は荒い息を吐きながら、また唸り声をあげました。本当に薄気味の悪い男です。
「ああ、金だ! 金さえ持ってくれば、ボロンを売ってくれるんだな!?」
「当たり前ですよ。たった六円九十銭くらいのお金で困るようなお方にも見えませんしね。冗談はおやめになってください。本当に買い物をされるのなら、もう夜の九時近くですから、早くしてくださいよ」
「お金は、今ここにはない。だが、すぐに持って戻ってくる! お金を持ってくれば、絶対にボロンの大瓶を三本渡してくれるんだな!?」
「そんなにしつこくおっしゃらなくても大丈夫です。必ずお渡ししますよ」
「絶対だな! 絶対だぞ! もし約束を破ったら……」
と言いかけて、丸木はあとの言葉を飲み込み、
「いや、すぐにお金を持ってくる! 待っていてくれ!」
押し問答のすえ、丸木は薬屋の店から飛び出していきました。
「おい千二! お金を手に入れなければならないんだ。さあ、お前も来い!」
一体何を考えたのか、丸木は千二の手を引っ張って、猛スピードで走り出しました。
もう夜の九時になろうとしています。しかし、銀座の通りは昼間のように大勢の人でにぎわっていました。
丸木はその人混みを押し分けて進んでいきます。
それにしても、彼はどうしてお金を持っていないのでしょうか?
丸木は千二の手を引いたまま、夜の銀座の人の波をかき分けて、どんどん先へ歩いていきます。
「丸木さん、どこへ行くの?」
千二が心配になって尋ねると、
「だまっていろ! 声を出すと、ひねり潰すぞ!」
丸木はイライラが頂点に達しているらしく、恐ろしい言葉で千二を怒鳴りつけました。
千二は丸木の氷のように冷たい手から自分の手を引き抜こうとしましたが、丸木の手はまるで大きな釘抜きのように、千二の手をギューッと締め付けていて、振り払うことができません。
丸木の歩くペースが、少しだけ遅くなりました。
彼はしきりに、いろいろな商品を売っている店のウィンドウへ視線を向けています。
そこには、きれいに飾られたショーウィンドウを覗き込んでいる人もいれば、店の中で何か買い物をしている人も見えました。
「ああ、お金だ、お金だ……」
丸木は、時々独り言をつぶやきました。
そのうちに、丸木はピタッと足を止めました。
「どうしたの、丸木さん?」
「しっ! だまっていろと言っただろう……」
このとき丸木の目は、大きな鞄(かばん)屋さんの中で、立派なハンドバッグをたくさん目の前に並べ、どれを買おうかと熱心に選んでいる、ひとりの若い洋服姿の女性に釘付けになっていました。
やがて、その女性は、店の中で一番豪華なワニ革のハンドバッグを選んで買いました。
そのとき彼女は、抱えていた白いヘビ革のハンドバッグの中から、たくさんの紙幣をサッと掴み出して、店員さんにお金を支払ったのです。
「ああ、お金だ……!」「あの女の人、お金をたくさん持っているな……」
丸木は、またウ~ッと唸りました。そして、買い物を終えて店を出ていく洋服姿の女性の後ろ姿を振り向き、じっと見つめていましたが、
「おい千二。ここで待っていてくれ」
と言いました。丸木は千二に向かって、ここで待っているように言ったのです。
「うん、待っているよ」
千二は、ひょっとすると丸木が離れている間に、その手から逃げ出すことができるかもしれないと思ったので、そう返事をしたのです。
「俺はすぐにここへ戻ってくるからな」
そう言い残すと、丸木は千二の手をパッと放し、スタスタと歩き出しました。
(一体、どこへ行くんだろう?)
千二はそのとき、ふと嫌な胸騒ぎがしました。
丸木は、さっき見とれていたあの洋服の女性から、お金を借りるつもりなのではないかと思ったのです。
突然そんな不躾(ぶしつけ)なことを頼まれたら、女性だってものすごく驚いてしまうでしょう。
千二は、とても心配になってきました。
「おい、丸木さーん!」
千二は、じっとしていられなくなって、丸木の後ろを追いかけました。
けれど、丸木の姿はいつの間にか人混みの中へと飲み込まれてしまい、どこへ行ってしまったのか分からなくなってしまいました。
それでも千二は、嫌な胸騒ぎを抑えながら、あっちへ行ったりこっちへ戻ったりして、必死に丸木の姿を探し求めました。
しかし、それは結局、無駄に終わってしまいました。
千二は、またいつの間にか、最初にいた場所へ戻ってきました。
「おい、千二」
突然名前を呼ばれて、千二はびくっと飛び上がりました。
声の主は、丸木でした。いつの間にか、丸木が戻ってきていたのです。
「あ、丸木さん! どうしたの?」
「どうしただって? ふふふふ……」
丸木は、気味の悪い変な笑い声をあげました。
「お金なら、ほら、こんなにあるぞ! さあ、これを持って行って、あの薬屋でボロンの大瓶を三本買ってきてくれ!」
そう言う丸木の手には、どっさりと札束が握りしめられていました。
実に不思議なことです。一体どこで、こんな大金を手に入れたのでしょうか?
丸木が握りしめているその大金は、一体どこから持ってきたものなのでしょうか!?
「丸木さん、このお金、一体どこから持ってきたの?」
千二は息を荒くしながら尋ねました。
「ふふふふ。さっき、洋服を着たきれいな女の人がいただろう。あの女が持っていたお金だよ」
「えっ、そうなの? あの女の人が、丸木さんにお金を貸してくれたの?」
「貸してくれただって? いやいや、違うよ。あの女が持っていたのを、こっちへもらってきたんだよ。
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