そんな細かいことはどうだっていいじゃないか!」
「それって……丸木さん、あの女の人からお金を奪い取ったんじゃないの!? 女の人、きっとすごく怒ったでしょ!」
「ふん、怒ったかどうかは知らんが、ちょっと殴りつけてやったら大人しくなってな、地面に倒れて眠っちまったよ」
「えっ! そんなひどいことをしたの!? 丸木さん、そんなのダメだよ! 女の人を乱暴にいじめたりしちゃ絶対にダメなんだ! もし死んじゃったりしたら、どうするの!?」
「死ぬだと? はははは! 人が死ぬことが、そんなに重大な問題なのかね?」
丸木は自分が悪いことをしたなんてこれっぽっちも思っていない様子で、声を張り上げて高笑いしました。
(ああ、なんて酷い奴なんだ! 丸木さんは、とんでもない悪とうだ!)
千二は、あまりのことに呆れ果ててしまいました。
「おい千二、何をぐずぐず迷っているんだ! お金が手に入ったんだから、すぐにボロンを買いに行くぞ。さあ、一緒について来い!」
丸木の氷のように冷たくて硬い手が、千二の手首を力任せにガシッと掴みました。
千二は丸木に引きずられるようにして、すっかり人通りが少なくなった夜の銀座の通りをバタバタと走らされました。
そして、さっきの薬屋の店先まで戻ってきました。
そのとき、丸木は「ああっ!」と驚きの声をあげました。
「おや……? ここだと思ったのだが、店が閉まっているぞ!」
薬屋の店は、すでにシャッターが下りて閉まっていたのです。
それもそのはず。当時の法律(商店法)によって、夜の九時を過ぎると店を閉めなければいけない決まりになっていたからです。
丸木は、激怒して顔を真っ赤にしました。
アンド、薬屋の戸を割れんばかりの勢いで、ドンドン!と激しく叩きはじめました。
「おい、そこの店員! お金を持ってきたぞ! 約束通りボロンを売ってくれ!」
店の中からは、ひそひそと人の話し声が聞こえてきますが、誰も丸木に返事をしようとしません。
「おいおい! さっき君は、お金を持ってくれば売ってくれると約束したじゃないか! さあ、早くボロンを売ってくれ!」
すると店の中から、丸木をバカにするような声で返事が返ってきました。
「もう九時を過ぎましたからね、法律の決まりで商品は売れませんよ! 用があるなら明日にしてください!」
これを聞いた丸木は、まるで野生の獣のように恐ろしい声をあげて怒り狂いました。
「おいおいおい! お金を持ってきたら売るって言ったくせに、話が違うじゃないか! つべこべ言わずに、早くこの戸を開けろ!」
「そりゃあ『お金を持ってきたら売る』とは言いましたがね、今夜のうちに売るとは言っていませんよ! 法律で決まっているんですから、いくら頼まれてもダメなものはダメです!」
「なにをつおっ! どうしても売らないというのか!? 今さらそんなことを言うなら、この戸を叩き壊して中に踏み込んでやるぞ!」
「そんな乱暴なことをしちゃダメですよ! でも、この扉はね、あなたみたいな乱暴者を通さないために、ものすごく頑丈に作られているんですからね!」「残念でしたね。いくら叩いたって、あなたの手が痛くなるだけですよ」
店員もなかなか負けてはいません。
丸木はそれを聞くと、ますます激怒しました。
「これだけ言っても言うことを聞かないなら、俺は好き勝手にやらせてもらうぞ。お前たちなんか相手にするか!」
そう言うと、丸木は二、三歩下がって、扉をじっと睨みつけました。
驚いたことに、扉がメリメリと音を立てはじめました。今にも壊れてしまいそうです。
丸木は、自分の体をぶつけて薬屋の扉に体当たりしました。
見ていた千二は、びっくり仰天しました。
「丸木さん、やめてください!」
千二は一生懸命に丸木を止めようとしましたが、丸木の耳には、もう千二の言葉などまったく届いていないようでした。
そのとき、千二は妙な音を聞きました。
ヒュウ、ヒュウ、ヒュウ、ヒュウ、ヒュウ、ヒュウ。
千二はその不気味な音を聞きながら、
(あれ……? あの音はどこかで聞いたことがあるぞ)
と思いました。
けれど千二は、すぐにそのことを忘れてしまいました。
なぜなら、丸木がついにメリメリと音を立てて、薬屋の扉を押し倒してしまったからです。
「あっ、乱暴者だ!」
「おい、みんな手を貸してくれ! こいつを取り押さえて、警察へ突き出すんだ!」
奥で顔を洗っていた店員たちも、どっと店に飛び出してきました。
探して十人近くの人数で、たった一人の丸木を取り囲みました。
けれど、丸木は少しも怯みません。
着ていた長いコートの下から脚を突き出し、店員たちを次々と蹴り倒していきました。
丸木に蹴られた店員は、誰もが「うう……」とうめいたきり、二度と立ち上がってきませんでした。
残った店員たちは、この凄まじい丸木の剣幕にすっかり恐れをなして、後ずさりしました。
その隙に、丸木は薬のビンが並べられた棚のところへ飛んでいき、ビンに貼ってあるラベルを一枚一枚確認しました。しかし、お目当てのものとは違うらしく、両手で交互にビンを掴んでは、店員たちに向かって投げ飛ばしました。
強い薬品だろうが危険な毒薬だろうがおかまいなしです。
騒ぎは、ますます大きくなっていきました。
そのうち、丸木は大声で叫びました。
「おお、あったぞ! ボロンのビンがあったぞ!」
丸木は、その場で躍り上がって喜びました。
そのとき、丸木の後頭部をめがけて、野球のバットが飛んできて、ガツンと大きな音を立てました。
店員の一人が、この乱暴者を大人しくさせようと、そこにあったバットで後ろから丸木の頭をぶん殴ったのです。
けれど、丸木はそんなものにはまったく驚きませんでした。
事故のように殴られても気にせず、ボロンのビンを愛おしそうに、何度も何度もなでまわしました。
「えっ、こいつ……!? びくともしないぞ。おかしいぞ!」
店員はもう一度力まかせにバットを振り回し、丸木の頭を殴りつけました。
丸木の頭から、ゴツンと激しい音が響きました。
その凄まじい音を聞いて、誰もが頭が割れてしまったかと思いましたが、やはり丸木は平気な顔をしていました。
しかし、どうしたわけか、その瞬間から丸木の首が急にぐにゃりと曲がってしまったのです。
それはとても不自然な曲がり方で、まるでおもちゃの人形の首を無理やり曲げたような格好でした。
それでも、丸木は平気でした。
首を曲げたままの格好で、ボロンのビンをお腹のところに大事そうに抱えると、そのまま店の外へと飛び出しました。
店の前には、当然、この大騒ぎを見ようと大勢の野次馬たちがわいわい集まって店の中を覗き込んでいましたが、丸木は恐れる様子もなく、その人垣をまるで生け垣でも押し倒すかのように突き破って、一心不乱に外へ走り出しました。
「おい、待て! 泥棒、待てーっ!」
店員と野次馬たちが一緒になって、丸木の後を追いかけました。
店を閉めて静かになったばかりの銀座は、思いもよらない出来事から、まるで火事の現場のような大騒ぎになりました。
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