初級翻訳・火星旅行 第4話

奥 増夫

近くに座っていたが、俺が起きた時はいなかった。
だが寝袋からごそごそ起きた時、鳴き声が聞こえて、やつが来た。
あの三階高さのスーリ崖から飛んできて、俺の横にくちばしで着地した。
俺は自分を指差し、北を指差した。
やつは自分を指して、南を指差した。
だが、俺が荷物をしょって、歩き始めると一緒についてきた。
なんとまあ、やつの移動方法は。
ひと飛びで四十五フィート、槍のように空中を突き進み、くちばしで着地する。
俺のノロノロ走行に驚いたようだったが、しばらくすると俺の横に戻ってきた。
但し、数分おきにひと飛びし、俺のひと区画先の砂上に鼻を突き刺した。
それから俺をめがけて飛んで戻った。
最初くちばしが俺に向かって槍のように突き進んでくるのが恐かったが、常に俺の横の砂地に着地した。
俺達二人クロニウム海をのろのろと進んだ。
ここも同じような場所だ。
同じ奇妙な植物や、砂上に生育するちっちゃな緑色の生物の塊が、行く手にうじゃうじゃいる。
知っての通り、お互いに言葉は通じなかったが、まさしく仲間だった。
俺は歌を歌った。
トウィールも歌ったと思う。
少なくとも、やつの鳴き声には形容しがたいリズムがあった。
それから、趣向を変えてトウィールが少しばかりの英単語を披露した。
露出した岩を指差してロック、小石を指差して同じことを言った。
あるいは俺の腕を触って、ティックと繰り返し言った。同じ単語が、同時に二つの意味を持っていることを、あいつは面白がっているようだった。
つまり、同じ言葉をまったく別のものに対しても使うんだ。
もしかすると、トウィールの言葉というのは、地球の昔の人びとが使っていたような、言葉のまとまりがまだ少ない原始的なものなんじゃないかって気付いたんだ。
ねえ、隊長、たとえばネグリト族の人たちには、「生き物」とか「食べ物」みたいな、広くまとめる言葉がないでしょう?
彼らには「ごちそう」や「毒物」、「雨」や「海」、「力持ち」や「弱虫」といった言葉はあるけれど、「一般的な名前」というものがないんだ。
ネグリト族の人たちはとても素朴だから、雨も海も、同じものがただ別の姿を見せているだけだということが分からない。
でも、トウィールにはそれは当てはまらないんだ。
お互いの考え方が、どこか不思議なかたちで食い違っているだけなのさ。
ぼくたちの心は、お互いにとってまるで外国人のようにすれ違っていた。
だけど、それでもぼくたちは、お互いのことが大好きだったんだよ」
 ハリソン隊長が、すかさず茶々を入れた。
「そいつは単に、お前がアホだからだ。
だからお互い、似た者同士で気が合ったってわけだな」
「おれは隊長のことも好きですよ」
 ジャービスはうまく言い返すと、話を続けました。
「とにかくね、トウィールがおかしいだなんて思わないでください。
実際、人間のすばらしい知恵を、あいつに少しぐらい分けてやることはできるはずだと思ったんです。
まあ、あいつが知のスーパーマンだというわけじゃない。
だけど、ぼくの心の動きをあいつが少しは理解してくれたという点を見落とさないでほしい。
もっとも、ぼくの方ではトウィールの考えていることなんて、ちっとも分からなかったんだけどさ」
「そりゃあ、トウィールの中に考える頭なんて無いからだろ」
 プッツとリロイは、まわりの人たちに気づかれないようにチラリと目を合わせました。
「隊長、どうか私の話を最後まで聞いてから判断してくださいよ。
ぼくたちはその日も、次の日も、一日中クロニウム海をのろのろと歩き続けた。
クロニウム海は、まるで時間の止まった海だった。
そうだなあ、この旅が終わる頃には、スキャパレリがつけた名前に心から賛成したくなる気分だったよ。
灰色で気味の悪い植物が、どこまでも果てしなく広がっているだけなんだ。
ほかに生き物の気配なんてまったくない。
あまりにも景色がワンパターンで退屈だったから、二日目の夕方になってザンサス砂漠が見えてきたときは、本当にうれしかったなあ。
ぼくはもうへとへとに疲れ果てていたけれど、トウィールは相変わらず元気いっぱいだった。
あいつが何かを食べたり飲んだりしているところなんて、一度も見たことがない。
あいつなら、クロニウム海くらい鼻のひとっ飛びで、数時間もかからずに渡り切ってしまえるはずなのに、ずっとぼくのそばについて歩いてくれたんだ。
ぼくは何度か水をすすめてみたよ。
カップを取って、その中にいくらか水を吸い込んでみせたんだけど、ぜんぶカップの中に吐き出して、ていねいにお辞儀をするみたいにして返してきたんだ。
ちょうどザンサス砂漠の、つまり二つの大地の境目にある崖が見えてきたとき、うっとうしい砂嵐が吹き荒れてきた。
前ほどひどくはなかったけれど、もろに向かい風だった。
ぼくは寝袋についていた透明なカバーを取り出して顔をすっぽり覆い、なんとかうまくやり過ごしたんだけど、トウィールの方を見ると、くちばしの下にあるヒゲのような羽毛をヒラヒラさせて自分の鼻の穴をふさぎ、同じような羽毛で目もしっかりと保護していたんだよ」
「さすがは砂漠の生き物ですね」
 と、小柄な生物学者のリロイが口をはさみました。
「ほう、どうしてそう言えるんだ?」
「水も飲まないし、あんな砂嵐にもちゃんと体が適応しているからです」
「君は何も分かっていないな。
この乾ききった火星のどこを探したって、水なんかないんだよ。
地球の基準からすれば、ここいらはぜんぶ砂漠みたいなもんじゃないか」
 ここでジャービスが一息ついてから、話を続けました。
「さて、砂嵐がぴたりと止んだあとも、肌をなでるようなそよ風が吹いていたけれど、砂を巻き上げるほどじゃなかった。
すると突然、ザンサス崖の上から、小さな透明な球体がフワフワと流れてきたんだ。
まるでガラスで作ったテニスボールみたいだった。
だけど、ものすごく軽いんだ。
こんなに薄い空気の中でもちゃんと浮いていて、しかも中身はからっぽなのさ。
とにかく、そのうちの二、三個を割ってみたんだけど、中から何も出てこないかわりに、変な悪臭がしたんだ。
トウィールに『これはいったい何だい?』と聞いてみたけれど、『ノー、ノー、ノー』と言うばかりで、何も知らない様子だった。
その球体たちは、シャボン玉か、あるいは風に転がる草みたいにポンポンとはずみながら、どこかへ飛んで行ってしまった。
それから、ぼくたちはザンサス砂漠の方へ向かって、またのろのろと歩きはじめたんだ。
トウィールはあの透明な球を指差しながら『ロック』と言ったんだけど、ぼくはそのときとても疲れていたから、まともに取り合わなかったんだよ。
だけど、あとになってから、あいつがあのとき何を言いたかったのかが分かることになるんだけどね。
そしてついに、ザンサス崖のふもとに到着した。
その頃には、空に残された日もだいぶ少なくなっていた。
できることなら、崖の上の台地のほうで眠りたいものだと思ったよ。
なぜなら、ザンサス砂漠の砂地よりも、クロニウム海の植物のすきまをうろついている何やら危険なやつのほうが気味悪かったからだ。
もっとも、危険な兆候なんて一つもなかったけれどね。

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