初級翻訳・灰色の巨人 第6話

江戸川 乱歩

一寸法師

 大泥棒が予告した三月七日の前の晩、大賞堂の主人と支配人は、店員たちがみんな寝てからそっと起きだして、明智探偵と相談した計画をきっちりやりとげました。
つまり、本物の宝石が入った古新聞の包みは物置部屋のガラクタの中にほうりこまれ、店の大金庫の中にあるたくさんの立派なケースには、ニセモノばかりが入れられたというわけです。
さて、いよいよ、三月七日の夜がやってきました。
その夜は、警察からやってきた三人の刑事のうち、ひとりは店員に変装して店の中に立ち、ふたりは夜の銀座をのんびりお散歩しているような顔をして、大賞堂のショーウィンドウの前を行ったりきたりしていました。
それとは別に、明智探偵のほうでも、どこかできっと見張りをしているはずです。
しかし、明智探偵がどんなすごい作戦を立てているのかは、大賞堂の主人にも支配人にも、まったくわかりませんでした。
その夜は、どんなお客さまがやってきても、金庫の中の大切な宝石は見せないことにきまりました。
支配人がそのことを店員たちに言い聞かせると、店員たちも灰色の巨人の予告のことはよく知っていたので、その言いつけをしっかり守りました。
お店には支配人のほかに七人の店員がいて(そのうちのひとりは刑事が変装したニセの店員です)、夜がふけていくにつれて、「今夜こそあの怪盗がやってくるんじゃないか」と、みんなドキドキハラハラしっぱなしでした。
ちょっとしたお客さまが入ってきただけでも、そのたびにビクッとして、相手の顔を穴があくほどジロジロ見つめてしまうほどでした。
ところが、みんながあれほど心配したわりには、夜の十時になって店を閉めるまでは、何ごとも起こりませんでした。
さすがの怪盗も、まだ人通りが多くて店が開いている時間には、どうすることもできなかったのでしょう。
じつは、お店を閉めてからこそが、本当のあぶない時間なのです。
店員たちは支配人の命令で、その日は一晩中ねむらずにがんばって、金庫の番をすることになりました。
本物の宝石が古新聞につつまれて物置部屋に投げこまれていることを、店員たちは少しも知りませんから、本気になって金庫を守ろうとしたのです。
お店の入り口の戸をしっかり閉めて、ガラスのショーケースには白い布のカバーをかけ、電灯の明るさも半分くらいに減らしました。
そして店員たちは、店内をあちこち歩き回ったり、金庫の前のいすに座ってボソボソと小さな声でおしゃべりをしたりしていました。
そんなふうに、ひとりの店員がショーケースの間をぶらぶら歩いていると、向こうの方にあるガラスケースの白いカバーが、ヒラヒラと動くのに気づきました。
風もないのに、カバーが勝手に動くはずはありません。
「おや、変だな。犬でも店の中に入りこんできたのかな?」
と思って、立ち止まってじっとそのほうを凝視してみましたが、犬や猫ではありません。もっとちがう生き物のようです。
「そこにかくれたりしているのは、だれだっ!」
店員は大声で怒鳴ると、そのほうへ早足で近づいていきました。
すると、その怪しい影はパッとどこかへ消えて見えなくなってしまいました。
まるでネズミがチョロチョロと走り回るような、ものすごいつばやさです。
もちろん、そいつはネズミのような小さなものではありません。
かといって、人間の大人のようにも大きくはないのです。
「あっ、あそこに何かがいるぞ! こらっ、お前はどこの子だ!」
別の店員がそれを見つけてさけびました。
ショーケースからショーケースへとすばやく姿をかくすようすが、なんだか十歳ぐらいの小さな子どものようにも感じられました。
「あっ、そっちににげたぞ! きみ、つかまえてくれ!」
声をかけられた店員は、いきなりショーケースのかげにかがみこんで、相手を待ちぶせしました。
すると、白いカバーがヒラヒラと動いて、何か得体の知れないものがこちらへ近づいてきます。
子どもではなさそうです。といって、動物でもありません。
その店員はゾーッと背中が冷たくなりました。
そいつは、なんだか世にも恐ろしい化けもののように思えたからです。
「ケラ、ケラ、ケラ、ケラ……」
と、白いカバーのかげで、じつに気味の悪い笑い声が聞こえました。
「やいっ、そこにいるやつは、いったい何ものだっ!」
店員は、今にも逃げ出したいのをがまんしながら、ふるえ声で怒鳴りました。
すると、ケラ、ケラ、ケラという笑い声がいっそう大きくなって、カバーのかげからニューッと大きな人間の顔があらわれたのです。その顔は、真っ赤なくちびるをヘラヘラと動かして、笑っているのです。
まるで、首だけが宙に浮いているように見えました。
たしかに、大人のおそろしい顔です。
しかし、それが、ガラスケースにかくれるほど低いところに、ただよっているのです。
顔の下に、胴体がないのでしょうか。
いや、なんだか小さな体のようなものがあるけれども、そんな顔の大きさに、ちっとも釣り合っていません。
十歳よりも、もっともっと小さい子どもの体です。
七、八歳の子どもの体に、三十歳のおとなの顔がのっかって、ケラケラと笑っているのです。

「ケラ、ケラ、ケラ……、おい、おまえたち、おれはずっと前から店の中にかくれていたんだよ。
おまえたち、気がつかなかったね。
ケラ、ケラ、ケラ……」

その怪しい生き物は、いきなり店員たちの前に姿をあらわして、子どものような高い声で、あざわらいました。
それは、手足の不自由な小さなこびとだったのです。
赤いセーターを着て、四十センチぐらいの短いズボンをはいた、まさに一寸法師だったのです。
店員たちは、それがまりにも不気味な姿だったので、あっけにとられて見つめたまま、口もきけないありさまでした。
しかし、店員に化けていた刑事は、さすがに勇敢です。
つかつかと一寸法師のそばへ歩み寄って、大声で怒鳴りつけました。

「きさま、サーカスから逃げ出してきたのか。
いったい、なんのためにこの店の中に隠れていたんだ!」

一寸法師は、少しもひるまず、またケラケラと笑いました。

「そのわけが、知りたいのか?」
「ずうずうしいやつだ。早くわけを言え!」
「おまえたち、なぜ戸を閉めてから店の中でうろうろしているんだ?」
「そんなことは、どうだっていいんだ!」
「ケラ、ケラ、ケラ……隠したって知ってるぞ。灰色の巨人がこわいんだろう。今にもやってくるかと、びくびくしているんだろう」
「やっ、きさま、灰色の巨人のなかまだな!」
「ふふん、まあそんなところだね」

一寸法師は、両方の腕をまげて腰にあて、顔をつんと上にむけて、すまして見せました。
刑事はもう我慢ができません。
おそろしい顔つきで、一寸法師につかみかかっていきました。
ところが、短い足の一寸法師が、あんがいものすごくすばやいのです。
彼は刑事の手の下をスルスルとすりぬけて、陳列台のあいだの、せまいすきまへ逃げ込んでしまいました。
相手がこびとだけに、なかなか厄介です。
おとなの体ではとても通れないような狭いところばかりを選んで逃げ回るものですから、ぜんぜんつかまりません。
そうして鬼ごっこをしているうちに、とつぜん、パッと店中の電灯が消えてしまいました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました