初級翻訳・灰色の巨人 第13話

江戸川 乱歩

三人の男のうちの一人は、もうぶらんこの真上まで来ていました。
そのあたりの棒の上に体を横たえ、手を伸ばしてぶらんこの綱をつかもうとしています。
しかし、女王さまのほうがすばやかったのです。
彼女はぶらんこがいちばん高く上がった瞬間、パッと手を放し、天井の木の棒へと飛びつきました。
そして、その棒の上にすっくと立ち上がると、大テントの継ぎ目をぐっと押し開き、そこをくぐってテントの外へ出てしまいました。
つまり、サーカスの屋根の上へ登ったのです。
三人の男たちはいそいでその後を追いました。
そして、同じテントの継ぎ目から、次々と屋根の上へ出ていきました。
見物人たちには、もうその姿は見えません。
ただ、テントの布に、四つの黒い影が映っているばかりです。
その黒い影が、高い高いテントの屋根の上で、恐ろしい鬼ごっこを始めたのです。

灰色の巨ゾウ

その大騒ぎの最中に、テントの外で「ワーッ」というときの声が上がりました。
「ゾウだっ、ゾウが逃げた!」
サーカスの裏手を見張っていた五人の警官が、一目散に逃げてきます。
そのうしろから、一頭の大きなゾウが、のそりのそりと歩いてきました。
サーカスの前につながれていた足の鎖を切って、逃げ出したのです。
サーカスの人たちもこれに気づくと、テントの外へとび出しましたが、ゾウ使いの男がどこかへいってその辺りにいないため、どうすることもできません。
ただ、ゾウを遠巻きにしてワアワアと騒いでいるばかりです。
そのとき、大テントの屋根の上の宝冠の少女は、三人の男に追い詰められ、ちょうどゾウが歩いている真下のテントの端まで逃げていました。
そこはテントの屋根の端っこですから、もう逃げ場がありません。
うしろからは、男の曲芸師たちが恐ろしい顔で迫ってきます。
少女はテントの端から下をのぞき込みました。
そこに誰もいなければ飛び降りるつもりだったのです。
ところが、その下には大勢の人が、逃げ出したゾウを取り囲んで騒いでいるではありませんか。そんなところへ飛び降りたら、たちまち捕まってしまいます。
しかし、いまとびおりなければ、次の瞬間にはうしろから迫ってくる曲芸師につかまってしまいます。
少女はいそがしく頭を働かせているうちに、はっと一つの考えがひらめきました。
いちかばちかの大冒険です。
でも、いまとなっては、もうほかに逃げる道はありません。
ゾウはちょうど少女の真下をのそのそと歩いていました。
少女は、そのゾウの背中をめがけて、パッと身を躍らせたのです。
一歩間違えば、ゾウに踏み殺されてしまうところでした。
しかし、さすがは曲芸で鍛えた腕前です。
少女は見事にゾウの背中に飛び降りてそこにしがみつき、たちまちゾウの首にまたがってしまいました。
のんきに歩いていたところへ、不意に天から人が降ってきたものですから、ゾウはびっくりしてしまいました。
ひと声「ゴウッ」とうなると、長い鼻をまっすぐに伸ばし、いきなり「タッタッタッ」と駆け出したではありませんか。
遠巻きにしていた人びとは、「ワーッ」と叫んでクモの子を散らすように逃げ出しました。
ゾウ使いがいないので、誰もゾウをなだめることができません。
うっかり前に回ろうものなら、たちまち踏み殺されてしまいます。
少女を乗せたゾウはどんどん走って、八幡神社の森の中へ入り込んでいきました。おまわりさんやサーカスの人たち、そしてさわぎを聞きつけてテントから出てきた見物人たち――合わせて百人近い人たちが、ずいぶん後ろからゾウを追いかけましたが、みんなワアワアと言っているだけで、とても近くへ行く勇気はありませんでした。

いちばん勇敢だったのは、二十人の少年探偵団員たちです。
みんなは小林団長の指示で、十人ずつの二つのチームに分かれました。一チームは神社のむこうにある二つの出口へ先回りしてゾウが出てくるのを待ちかまえ、もう一チームはゾウの後ろから、たくさんの大人たちの先頭に立って走っていったのです。

ゾウが神社の森に入ったときも、少年たちはその入口のすぐそばまで来ていました。
ところがそこで、おそろしいことが起きたのです。
ゾウが、いきなりクルッと後ろを向いたのです。
そして、長い鼻をふり回し、大きな耳をパタパタさせ、白いキバをむき出しにして、まっかな口を大きく開き、「ゴーッ」というものすごいうなり声をあげて、いまにもとびかかろうとしました。

さすがの少年たちも、そのものすごい顔つきを見ると、一目散に逃げだしました。
それに釣られて、おっかなびっくり少年団員の後ろからついてきていた人たちも、「ワーッ」と波のように押し寄せて逃げていくのでした。

みんなが逃げていくのを見ると、大きなゾウはまた向きを変え、頭にかぶった宝冠の少女を背中に乗せたまま、神社の森の中へと姿を消してしまいました。

あんなにおそろしい思いをしたので、もう誰も森の中へ入ろうとする人はいません。
入口を遠くから囲んで、がやがやとさわいでいるばかりです。

それから十分ほどたったでしょうか。
神社のむこう側の出口にまわっていた少年探偵団員のひとりが、息を切らして走ってきました。
そして、こちらにいた小林団長を見つけると、そのそばへかけよって、
「小林さん、ゾウはむこうから出ていきました!
でも、宝冠をかぶった女の人は、ゾウに乗っていないんです。
この森の中に隠れたんだと思いますから、ぼくたちはあちらの見張りを続けます!」
と報告し、そのまま引き返していきました。

小林少年がそのことをそばにいたおまわりさんたちに伝えると、おまわりさんのひとりが、まだサーカスの中にいた中村警部を呼びに走り、やがて警部と三人の刑事たちがかけつけてきました。

それから、森の入口にいた五人のおまわりさんを、神社の三つの出入り口や、まわりの土塀の外の見張りに立たせてから、警部と三人の刑事たちは、神社の森の中の捜索を始めました。

小林少年は、そこにいた団員のうちの五人に、おまわりさんと同じようにお留守番の見張りをさせ、あとの四人を引き連れて警部のあとから森の中へ入り、捜索のお手伝いをしました。

むこう側の入口には石の鳥居があり、そこから社殿までずっと石畳の道が続いています。道の両側にはたくさんの石灯ろうが並び、社殿の前には二匹の大きな石のコマ犬が、石の台の上にじっとうずくまっています。
そのあたりはもちろん、森の木々の間、社務所の建物の中、社殿の中まで、のこりなくくまなく調べました。

中村警部は、社務所の神職にお願いして、一年に一度しか開けない社殿のおくの扉まで開けさせてみました。
社殿や社務所、お堂の床の下までも調べました。

中村警部と三人の刑事、そして小林くんたち五人の少年に加えて、むこう側の入口で見張りをしていた十人の少年のうちの五人が途中から捜索に加わったので、いまや少年団員は十人になっていました。
それだけの人数で、一時間以上もさがしにさがしましたが、あの宝冠の少女は、どこにも見つからなかったのです。

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