「燕、おまえは本当に親切もので、この寒いのもいとわずよく働いてくれた。だが、私にはもう人にやるものがなくなってしまって、こんなみにくい体になってしまったから、さぞやおまえも私といっしょにいるのがいやになっただろう。
もうお帰り、寒くなったし、ナイル川には美しい夏がおまえを待っているから。
この町ももうすぐ冬になるとさびしくなるし、おまえのようなしなやかな美しい鳥は耐えられないだろう。
それにしても、おまえのような良い友だちと別れるのは悲しいよ」
燕はこれを聞いてなんとも言えない切ない気持ちになり、いっそこの王子の肩で寒さにこごえて死んでしまおうかとも思いながら、しおたれてお返事もしないでいました。すると、誰か二人が王子の像の下にあるテラス(露台)に腰かけて、ひそひそとおしゃべりをしているのが聞こえてきました。
王子も燕も気がついて見てみると、そこには一人の若い武士と、見目麗しい乙女が腰をかけていました。
二人は自分たちの話を聞く人などいるとは思っていなかったので、しきりにたがいに心のありたけを打ち明けて語り合っていました。
やがて武士がこう言いました。
「私たちは一刻も早く結婚したいのだけれど、大切なものがないせいでそれができないのが残念だ。
というのも、私の家では結婚するときに、必ず先祖から伝わってきた名玉を結婚指輪にはめなければならないというしきたりがあるんだ。ところが、何者かにそれを盗まれてしまったものだから、どうしても結婚式をあげるわけにいかないのだよ」
乙女はもちろん、この武士が若くはあるけれど勇気があって強く、度重なる戦いで武功をあげてきたのを慕っていたので、どうか彼の奥さんになりたいと心から願っていました。それだけに、涙をはらはらと流しながらため息をつき、なんの言葉も出すことができません。
しまいには、二人は手を取り合って泣いていました。
燕は「世の中にはあわれな話もあるものだなぁ」と思いながらふと王子を見上げますと、王子の目からも涙がしきりと流れ落ちていました。
燕はおどろいて、ちかぢかとすり寄りながら「どうなさいましたか?」と尋ねますと、王子はこうおっしゃいました。
「気の毒な二人だ……」かの若い武士の言う名玉というのは、今は私のひとみになっている二つのオパールのことだが、昔、王が私の立像を造られようとなされた時、私のひとみに使うほど立派な玉がどこにもなかったので、王様がたいそう心を痛めておいでになられた。それを見たへつらいずきの家来が、「それはお安い御用でございます」と言ってあの若い武士の父上をおとずれて、よもやま話のまぎれにそっとあの貴重な玉を盗んでしまったのだ。
私はもう目が見えなくなってもいいから、どうか私の目からひとみを抜き出して、あの二人にやってくれ」
とおっしゃりながら、王子はなおも涙をはらほらと流されました。
およそ世の中で、目が見えないほど気の毒なものはありません。
毎日きれいに照らす日の光も、毎晩美しくかがやく月の光も、青いわか葉も紅い紅葉も、水の色も空のいろどりも、みんな見えなくなってしまうのです。
試みに目をふさいで、一日だけでも我慢ができますか、できるはずがありません。
それを年中、死ぬまでしていなければならないのだから、本当にお思いやりするのも哀れなほどでしょう。
王子はありったけの身のまわりのものを哀れな人におやりになっただけでなく、今度はまた何よりも大切な目までつぶそうとなさるのです。
燕はほとほと何とお返事をしていいのかわからないで、うつぶいたままで同じようにしくしく泣き出しました。
王子はやがて涙をはらって、
「ああ、これは私が弱かった。
泣くほど自分のものをおしんでそれを人にほどこしたとて、なんの役に見あろうか。
心から喜んでほどこしをしてこそ、神様のお心にもかなうのだ。
昔キリストというお方は、人間のためには十字架の上で身を殺してさえ、喜んでいらっしたではないか。
もう私は泣かぬ。
さあ、早くこの玉を取ってあの若い武士にやってくれ、さあ、早く」
とお急ぎになります。
燕はなおも心を定めかねて思いわずらっていますうちに、若い武士と乙女とは立ち上がって、悲しそうに下を向きながらとぼとぼとお城の方へと帰って行きました。
もう日がとっぷりと暮れて、巣に帰る鳥たちが飛び連れて、カーカーと夕焼けのした空の向こうに見えています。
王子はそれをご覧になるとお叱りになるばかりで、燕をせいて早くひとみを抜けとおっしゃいます。
燕は引くに引かれぬ立場になって、
「それではしかたがございません、ご免こうむります」
と申しますと、観念して王子の目からひとみを抜いてしまいました。
遅れてはなるまいと、その二つをくちばしにくわえるが早いか、力をこめて羽ばたきしながら二人のあとを追いかけました。
王子はもとのとおり町を見下ろした形で立っていらっしゃいますが、もう何も見えるのではありませんでした。
燕がものの四、五町も走って行って二人の前にオパールを落としますと、まず乙女がそれに目をつけて取り上げました。
若い武士は一目見ると驚いてそれを受け取って、しばらくは無言で見つめていましたが、
「これだ、これだ、この玉だ。
ああ、私はもう結婚ができる。
結婚をして人一倍の忠義ができる。
神様のおめぐみ、ありがたい、かたじけない。
この玉を見つけた上は、明日にでも御婚礼をしよう」
と喜びがこみ上げて、二人とも身をふるわせて神にお礼を申します。
これを見た燕は、どんな結構なものをもらったよりも嬉しく思って、心も軽く羽根も軽く王子のもとに立ち戻って、お肩の上にちょんとすわり、
「ご覧なさい、王子様。
あの二人の喜びはどうです。
踊らないばかりじゃありませんか。
ご覧なさい、泣いているんだか笑っているんだかわかりません。
ご覧なさい、あの若い武士が玉を押しいただいているでしょう」
と息もつかずに申しますと、王子は下を向いたままで、
「燕や、私はもう目が見えないのだよ」
とおっしゃいました。
さて、次の日に二人の御婚礼がありますので、町中の人はこの勇ましい若い武士とやさしく美しい乙女とを祝おうと思って朝から往来をうずめ、何もかも華やかな事でありました。
家々の窓からは花輪や国旗やリボンなどが風にひるがえり、愉快な音楽の声で町中がどよめきわたります。
燕はちょこなんと王子の肩にすわって、今馬車が来たとか、今小児が万歳をやっているとか、美しい着物の坊様が見えたとか、背の高い武士が歩いて来るとか、詩人がお祝いの詩を声高らかに読み上げているとか、娘の群れが現れたとか、およそ町に起こった事を一つ一つ手に取るように王子にお話をしてあげました。
王子は黙ったままで下を向いて聞いていらっしゃいます。
やがて花よめ・花むこが騎馬でお寺に乗りつけて、たいそう盛んな式がありました。
その花むこの雄々しかったこと、花よめの美しかったことは、燕の早口でも申し尽くせませんでした。
天気のよい秋日和は、日が暮れると急に寒くなるものです。さすがに大にぎやかだった結婚式も終わると、町はまた元のとおりにしんと静まり返り、夜がだんだんふけていきました。
初級翻訳・燕と王子 第3話
有島 武郎
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