初級翻訳・猿飛佐助 第3話

猿飛佐助

老人はますます自分の思い通りになったとばかりに面白がり、おかしくおならを放ちながら歌い続けましたが、やがて興奮のあまり、突然おいおいと大声をあげて泣き出し、
「ああ、我はついに、世にも珍しいほどの超人的で、かつ最高に醜い者にめぐり会えたぞ!」
 と、なんだかわけのわからないことを口走り、見ていられないほどみすぼらしい様子でした。

 さて、興奮がようやくおさまると、老人は、
「わしが、お前に『鳥人(ちょうじん)』の術を教えてやろう。
わしが長年にわたり、諸国の高い山の峰から峰へと、空を飛んでさまよい続けてきたのは、ほかならぬ――この世離れした素晴らしい若者にめぐり会い、このわしの『鳥人の術』を伝授したいという願いからじゃった。そして今宵、お前というまさにふさわしい者を見つけたぞ。
『わしは人間を見るのが好きではない』と言うお前と、『貴様は人間に見られるのが好きではない』と言うわし。つまり、お前とわしは、同じくらいはみ出し者で醜い同士じゃ。
お前は、黒々とした断崖と赤茶けた断崖がそびえ立ち、鳥の声すら聞こえない深い場所に隠れ住んでいる。言葉では言い表せないほど、鬼神すら同情して泣くような大変な醜男でありながら、同時にその醜さを深く恥じることができる者だ。
そんなお前こそ、わしの鳥人の術を使って身を隠すにふさわしい男じゃ!」
 老人は「わし」と言ったり「我」と言ったり「俺」と言ったり、一人称がめちゃくちゃになっていましたが、それは頭が少し混乱している証拠のようでした。しかし佐助は、「鳥人の術」という言葉にすっかり心を惹かれて、思わず、
「で、その術とは一体……?」
 と、大声で尋ねました。

「鳥人の術とは、わしに伝わる秘法の『飛行の術』、そして『火遁(かとん)・水遁(すいとん)・木遁(もくとん)・金遁(きんとん)・土遁(どとん)』の忍術をあわせたもののことじゃ。
まず『飛行の術』とは、甲賀五十三家の中でも、とりわけわしの戸沢図書虎(とざわずしょとら)の家にだけ代々伝わる、秘法中の秘法じゃ! 日の光を浴びて空を舞う誇り高き鷲よりもすばやく飛び、たとえば江戸にいる男を長崎まで、一晩のうちに討ち取ることができるという、神がかり的で不思議な術なのじゃ。
また、『忍術』とは、まさに『忍ぶ』ための術である。
どんなにつらい苦しみにも耐え抜くことを『よく忍ぶ』と言い、一瞬のうちに自分の体をすっかり隠してしまう、いわゆる『五遁の術』を使いこなすことも『よく忍ぶ』と言う。
この二つをしっかりと忍びこなせる者こそが、忍術の名人なのだ。
忍術の名人であり、さらに飛行の術も使える者、それこそが『鳥人』なのだ!
お前がもし人間の限界を超えて『鳥人』となれば、そのアバタ面も自由自在に隠すことができ、もう恥ずかしい思いをすることもなくなるだろう。
だから、今すぐこの場で伝授してやろう!」

 老人がそう言い放ったのと同時に、耳が聞こえなくなるほどのものすごい豪快なおならを放ちました。しかし次の瞬間、その姿は強烈な臭いとともにスッと消え失せてしまったのです。
「さては、イタチにでも化けた土遁の術か」
 と佐助がうっとりしていると、老人はふたたび忽然(こつぜん)と姿を現し、
「忍術に、おならの音は本当は必要ないんじゃ。だが、おならをしたりおしっこをしたりするようなわずかな間でも、夢幻のような忍術を使いこなせるというところを見せるために、わざと一発放ってみたんじゃよ」
 と、ケラケラと笑いました。

 そして、ふと真面目で渋い顔になり、
「――そもそも忍びの術とはな、大昔に道臣命(みちのおのみこと)が天皇の命令を受けて、たとえ歌や言葉に隠して秘密を守ったことは『日本書紀』にも書かれておる。のちの時代にこの法が近江の甲賀に伝えられ、天・地・人の調和を大切にして行われるようになったのが、『甲賀流忍術』なのじゃ……」
 などと、忍術の講義をはじめているうちに、どこからか一番鶏の鳴き声が聞こえてきました。
すると老人は急に慌てふためき、
「もう一番鶏の声が聞こえたか……。やがて山里の下品な奴らのうるさい声が響き渡ってしまう。
三町四方を飛ぶノミの羽音すら聞こえるこの敏感な耳には、うるさくてたまらんわい!」
 と言い残すやいなや、煙のように消え去りました。「さらばじゃ!」という声はるか天井の上から聞こえてきましたが、それからというもの、毎夜「乾(いぬい:北西方)」の方向に星が流れる頃になると、老人は必ず現れました。
まずマムシの頭をペロペロとなめながら平らげたあと、鳥人の術の修業と伝授が始まり、それが丸三年続いたのです。

そしてある夜のこと。
「鳥居峠のマムシを食べるのも、今宵が最後だな」と言いながら、老人はいつもより倍の十匹もの、しかも春先の一番おいしいマムシを、尻尾の一本まで残さずきれいに平らげました。
あまりにごちそうを食べすぎたせいか、急にのぼせてしまったらしく、老人の鼻から大量の鼻血がドバッと噴き出しました。
びっくりした佐助が、ヘビの抜け殻を丸めて師匠の鼻の穴に突っ込み止血しようとすると、老人は、
「おいおい、そんなに見苦しい真似をするでない!
鼻血が止まったところで、そんな姿を他人に見られたら吹き出されてしまうわい!」
 と、佐助の手をパッと振り払いました。その瞬間、老人の姿はもうどこにもなく、
「――よく聞け、佐助よ。お前はすでに『鳥人』の極意をのこすところなく完全に会得した。
これ以上、師弟として交わりを続けるのは、雲や雨のように不自然ではかないことだ。
この年になって鼻血を噴き出すなど、あまりに見苦しかったので思わず姿を消してしまったが、これこそが本当の『師弟の別れ』だと思え。
お前はもう立派な『鳥人』なのだ。
そのアバタ面を下品な俗人どもに見られることももうまいだろう。
何も恐れず、恥ずかしがることなく、世に出て人々の中へ交わりなさい。そしてチャンスがあれば、ふさわしい主君に仕えるのだぞ」しかし、人とつきあうときは、人はだいたい相手の良いところよりも、悪いところを面白がるものだと心得ておくべきだ。
つまり、お前のアバタ面は人に面白がられるかもしれないが、鳥人の術のほうは驚かれて警戒されるだけだから、使うときは十分に気をつけなさい。
それじゃあな」
 という声は、もうはるか山のてっぺんのほうから聞こえてきましたが、そのときの佐助は、すでにその遠くの声を聞き取れるほどの、すごい極意に達していたのです。
それから一ヶ月ほどたったある日のことです。
「知恵と工夫に満ちた」上田の城の主、真田幸村は、三好清海入道をはじめとして、三好伊三、穴山、望月、海野、筧(かけい)という六人の強い武士たちを引き連れて、鳥居峠へ狩りに出かけました。
法螺貝(ほらがい)と笛の名人である三好清海入道が笛を吹くと、まわりから大小たくさんの猿が集まってきました。そこでまず幸村自身が矢を射たのですが、幸村の矢は、なんと獲物に届く前にポキリと真っ二つに折れてしまいました。
「これはどうにも変だ!」
 と驚いて、今度は清海入道が試してみると、入道の矢は空中でピタッと止まったかと思うと、いきなり入道の喉笛めがけてビューンと戻ってきたのです。

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