入道はびっくりして慌てて身をかわした拍子に、ドンと見事に尻もちをついてしまいました。
その瞬間、どこからかカラカラと楽しそうな笑い声が聞こえてきました。
「いったい誰だ、笑っているのは……?」
と、入道は頭に血を上らせて、
「――海野、お前か?」
「いや違うぞ」
「穴山、お前だな?」
「いや、俺じゃない」
「筧、お前だろう!」
「知らないね」
「さては、望月だな?」
「違う違う。
だいたいお前の弟だろ」
「おい、
伊三、お前もか。
この頼もしい兄貴をバカにするとは、いい度胸だな」
「バカを言うなよ。
俺は昨日から歯が痛くて、笑い声一つ出せないなんて、さっきから知ってただろ」
「ふーむ……」
そのとき、またしても笑い声がしました。
「おや、また笑ったぞ。
この野郎!」
と、入道がカッとなってパッと目を向けたその目の前に、なんと突然現れたのは、六尺三寸(約190センチ)もの大男でした。
「おっ、おっ、空から降ってきたのか、それとも地中から湧き出たのか!」
と入道が叫ぶと、その男は、まるで劇の舞台に登場する役者のような、気取った口調でこう名乗りました。
「流れ星のように、天から降ったと言おうか。
キノコのように、地から湧いたと言おうか。
流れ星なら尻尾も見えそうなものだし、キノコの仲間なら変な匂いもしそうだが、尻尾もなく匂いもなく、火遁(かとん)・水遁(すいとん)・木遁(もくとん)・金遁(金遁)、さらには土遁(どとん)の合図すらないまま、ふわりと現れてふわりと消える。白い雲よりもなお体が軽い、白雲(はくうん)師匠の秘伝を受けて、受けて返すはヘボ弓、ヘボ矢! 返ってこないと最初から分かっていればいいものを、まるで泣き面に蜂みたいにおかしくて、つい笑ってしまったがね。笑えば笑窪(えくぼ)がアバタに隠れる、信州じゃ誰もが知っているアバタ男、鷲塚の佐助とは、この俺のことだ!」
と元気に名乗ったものの、まだ名乗り足りないと思ったのか、さらに続けました。
「――遠くの者は噂に聞いてくれ、近くの者は寄ってきてこの目でよく見ろ!
見ればびっくりアバタの旗印、顔じゅうにひるがえる、見ているだけであきれ返るほどのこの大醜男(しゅうだん)こそ、日本中どこを探しても隠れもない、鷲塚佐助のこの顔だ。さあ、とっくりと拝んでおけ!」
これには、さすがの三好入道も、思わず吹き出しそうになりました。
しかし今は男同士が名乗り合う大事な場面だと思い直し、ぐっと笑いをこらえて、こう切り返しました。
「お邪魔するぜ!
この俺こそは、信州上田の鬼小姓! 笛も吹けば法螺貝も吹く。吹けば飛ぶような世間の決まりやルールもバリバリ破ってきた数は数え切れない! 白い衣を真っ黒な墨に染め替えて、入道の姿をしているのは誰もが知るところ、この俺こそが三好清海入道だ!」
そして、お互いの名乗りが終わるやいなや、三好入道はいきなり長い槍をしごき、佐助の胸をめがけて、
「エイッ!」
と思い切り突き出しました。しかし佐助は、身を翻してパッと木の枝へと飛び上がり、ケラケラと笑いながら言いました。
「おい、入道とやらはいいがね。
その坊主頭、よーく見ると、なんだか特徴がなさすぎて寂しそうだな。だから、枯れ木も山の賑わいってことで、コブを二つか三つ、その丸い坊主山のてっぺんに植え付けてやろうか?
お前の目から火が出るくらいの派手な山火事には、十分気をつけるんだな!」
そう言い終わるか終わらないかのうちに、佐助はパッと木から飛び降りる勢いのまま、三好入道の頭を鉄扇でガツンと思い切り叩きました。入道は目がクルクルと回り、その場で気絶してしまいました。
一部始終を見ていた幸村は、何かを考えたのか、佐助に声をかけました。こんなに素晴らしい不思議な腕前を持ちながら、山奥に隠れて埋もれてしまうのは本当にもったいないと、ぜひ家来にならないかと口説き落としたのです。もともとちょっと自惚(うぬぼ)れ屋なところがあった佐助は、すっかりその気になってしまいました。
やがて、幸村から「猿飛(さるとび)」というカッコいい名字をもらった佐助は、
「今日からは、鳥居峠を『さる(去る・猿)飛』佐助だ!」
なんておちゃめなダジャレを飛ばしながら、ウキウキとした気分で幸村たち家臣のあとをついて、上田のお城へと入っていったのでした。
しかし佐助は、さすがに白雲師匠の教えをしっかり守っていたのか、鳥人の術なんてすごい技を持っている素振りは一切見せず、もっぱらアバタの穴だらけの自分の顔をわざとあちこちに振りまいて歩きました。すると、案の定、人々にとても好かれたのです。
その頃、同じお城の中に、病気のために鼻が欠け落ちてしまった男がいました。ところがこの男、なぜかちゃっかりとモテまくっていると言いふらしていて、しかもそれは嘘でもなく、実際に何人かの女性と浮き名を流しているらしいという噂があったため、まわりからはかなり評判が悪かったのでした。ところが、佐助はこの男と違って、かつて楓と肩を並べて歩いたこともあったなんてことは少しも口に出さず、いかにも自分はモテませんという顔を城内の集まりのときなどに見せて、
「こんな顔だから、女の人は諦めているんだ」
と、聞こえるか聞こえないかくらいの声でつぶやきながら、アバタの顔にえくぼを浮かべたりしていました。そのため佐助は、お世辞ばかり言う男たちよりもずっと人々に好かれ、お城の女の人たちの中には、
「あんなふうな不器用そうな男を夫に持ったら、絶対に浮気なんてされなくて安心でしょうね」
となんだか妙に理屈に合ったアプローチをしてくる女性もいたほどでした。
しかし、佐助はそんな女性の顔を、ひそかに心のなかで楓の顔とくらべてみては、まったく見向きもしませんでした。
そして、自分のアバタ面のせいでかえって人に好かれていることに気づくたび、
「人とつきあうときは、人はだいたい相手の良いところよりも、悪いところを面白がるものだと心得ておくべきだ」
と自分に教えてくれた白雲師匠への尊敬の気持ちを新たにするのでした。
もっとも、もしも佐助に人に隠れて頼りにできるようなすごい忍術がなかったとしたら、きっと自分の短所ばかり面白がられることに卑屈になっていたに違いありません。そして、そんなふうに卑屈になっていたら、今度は逆に人から短所を面白がって好かれることもなかったことでしょう――果たして白雲師匠は、そこまで見越してあの教えをくれたのでしょうか。
ところで、佐助があまりにも自分のアバタ顔をあちこちにさらけ出しすぎたせいか、それともアバタの穴から風邪の冷たい空気が入り込んでしまったのか、あるいはまだ下の世界の気候に体が慣れていなかったのか、佐助は間もなく風邪をひいて、床に寝込んでしまいました。
そんなある日のこと、三好清海入道がやって来ました。病気のお見舞いにしては、やけに慌てふためいた様子です。
「おい、体の具合はどうだ?」
「ありがとう。
今日あたり、やっと起きられそうだよ。
どうも下界の風ってやつは、どうも俺の体に合わないらしい。
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