「うわっ、なんとも見苦しい!」
と、佐助はすぐに得意の木遁の術(もくどんのす術)を使おうとしましたが……なぜかいつも通りに体が動かず、まるで魔法の金縛りにあったようになってしまいました。そして、まるで頭の悪い子どものように、ただ同じ言葉を繰り返すばかりで、
「名を名乗れ! 名を名乗れ!」
と、わめき散らしていると、いきなり、
「お前のようなたわけ者に、名乗る名前など持っておらんわ!」
という声が、どこからともなく聞こえてきました。
「あ、先生……!」
さすがの佐助も、大好きな白雲斎師匠の声を聞き逃すことはありませんでした。
「――おなつかしゅうございます!
この佐助でございます!」
すると、空から聞こえる声は、
「知っておるわ」
「どうぞお顔を見せてくだされませ!」
「このたわけ者が! お前のような愚か者に、見せる顔など持っておらん!」
「えっ……?」
「お前はもう、わしの教えを忘れてしまったのか」
「えっ……?」
「忍術とは、一体なんだ……?」
といきなり聞かれたので、佐助はすかさず、
「忍ぶの術にございます」
「忍ぶとは……?」
「どんなにつらい苦しみにも耐え抜くこと、これがよく忍ぶということでございます。また、火遁(かとん)・水遁(すいとん)・木遁(もくどん)・金遁(きんとん)・土遁(どとん)の五つの術を使って、自分の体を隠すこと。これもまた、よく忍ぶということでございます」
「忍術の名人とは……?」
「よく忍び、よく隠れる。これこそが忍術の名人にございます」
佐助がスラスラと答えると、師匠はすかさず、
「お前は、本当にしっかり忍んだか?」
と問いかけました。これにはもう、佐助は返す言葉がありませんでした。
「はっ……! あのう……」
「答えられまい。
お前は、身を隠すことはよくやっても、肝心の『忍ぶ』という修行をすっかり忘れておる者だ。
目の前の簡単な五遁の術の便利さにばかり頼って、すぐに勝ちたいあまり、不意打ちのような卑怯な術に夢中になり、試合になればちゃんとした一太刀の勝負すらしようともしない。おまけに、自分が世界で一番強いと思い込み、わしが教えた飛行の術まで鼻歌まじりに使っているとは……!
なんという軽くて薄っぺらな態度、いい気になるな、調子に乗りすぎるのもいい加減にしろ! あまりに見苦しいので、お前の術を封印してやった。今日から一年の間、この封印は絶対に解いてやらないからな。
これが、お前への罰じゃ――。
それじゃあな!」
「あっ、先生!」
と叫びましたが、もう師匠の声はどこにも聞こえませんでした。
「たった一度だけでもいいから、お姿を見せてくださいませ! なつかしいお顔を見せてくだされませ。
先生! 先生っ!」
しかし、ついに白雲斎が姿を現すことはありませんでした。
それは、厳しすぎる師匠の愛情ゆえだったのでしょうか。それとも、いつぞやの鼻血事件で見せたかっこ悪い姿を恥ずかしく思い、「一生、佐助の前に顔を見せない」と誓っていたからなのでしょうか。
佐助はポカンと口を開けたまま、ぼうっとして尻もちをついたままでした。
術を破られたことよりも、術を封じられたことよりも、「調子に乗って偉そうにしている」と、日頃の自分の調子に乗りすぎた態度をズバッと指摘されたことが、胸に突き刺さるほど辛くてたまりませんでした。
「ああ、俺はなんてダメなんだ……」
佐助は急に自信をなくし、すっかり誇らしかった気持ちも消え去ってしまい、とぼとぼと山を降りていきました。
やがて鈴鹿峠(すずかとうげ)のふもとにある茶店(ちゃみせ)の縁側に腰を下ろすと、
「お茶を一杯くだだい……」
と、ひどく心細そうな声で頼みました。
「お侍様、これからあの峠を越えられるのですか?」
声をかけてきた茶店の女性の顔は、ほんの少し美しく見えました。
せっかくきれいな女性なのに、自分の顔にあるあばたの跡を見られるのはとても辛いことでした。
ふだんの佐助なら、すぐに忍術を使ってパッと姿を消してしまうところですが、いまは術が封じられています。
佐助はそれを悲しみながらも、さすがにかっこつける癖は抜けず、
「ここまで越してきた道のりは、まるで夢のまた夢のようだったなぁ。昨日のことはずいぶん昔のことに思える。旅の衣を鈴鹿の峠で乾かすも乾かさないも、雨が降るか次第だが……どうやら今夜は雨になりそうだな」
としんみりした声でつぶやくと、茶店の女は心配そうに言いました。
「お侍様、そんな威張ったような旅はやめなさいませ。
あの峠には『木鼠胴六(きねずみどうろく)』といって、あの有名な大泥棒・石川五右衛門(いしかわごえもん)の一番弟子が山賊になって山奥に陣取っているのです。旅人を見つければ、持ち物をすべて奪い、命まで奪ってしまう恐ろしいところなんですよ」
「なんだって! 山賊だだって……?」
佐助の目は、急に生き生きと輝きだしました。
「――それは面白そうだ!
雨が降ろうが槍が降ろうが、絶対にあの峠を越えてみせなくてはな」
「まあ、なんて命知らずな方なんでしょう!
悪いことは言いませんから、やめておきなさいませ。
昨日も、お坊様なのがお侍様なのかよく分からない変な方が、『俺が山賊どもを退治してきてやる!』と言って山の中へ入っていかれましたが、いまだに下りてこないところを見ると……」
「あはは……。
退治られちゃった(やられちまった)って言うのかい?
いやいや、この俺は、あんな坊主だか侍だかよく分からない、宝蔵院崩れのヘナチョコとはちょっとわけが違うんだよ。
たとえ忍術を封じられたって、この猿飛佐助が、石川五右衛門の子分風情にやられるような、そんな弱虫に見えるかい!」――おいおい、何をそんなにじろじろそれがしの顔を見ておるのじゃ。
そんなに穴のあくほど見つめなくても、もともと顔にはアバタ(あばた)の穴があいておるわい。
あはは……」
そう笑い終えると、佐助は気合を込めて武者震いをしながら峠道を登っていった。
やがて大股で山賊の隠れ家(山塞)に近づくと、佐助は大きな声で言った。
「遠くの者は噂に聞け、近くの者は寄ってその目で見てみろ! 見ればアバタの旗印、顔一面にひるがえす、信州に隠れもないアバタ男、猿飛佐助とは俺のことだ!
鈴鹿峠の山賊ども! いざ勝負……!」
と、相変わらずの妙な名乗りをあげながら、木鼠胴六(きねずみどうろく)の隠れ家へ、猛々しい勢いで突撃していった。
【木遁巻】
ウソ八百とデタラメ仙人に、狐や狸の妖術をまぜこぜにして育てられた信州の新手村どころか信州じゅうに名の知れ渡ったアバタ男。あまりの醜さに形容する言葉もないその顔を見ては、千曲川(ちくまがわ)のカッパさえもかわいそうのあまり死んでしまい、老いぼれて人間嫌いの変人である仙人・戸沢図書虎(とざわずしょこら)すらも「お前ほどの強烈なブサイクめ」とあきれつつ、鳥人の思想と飛行の術、そして忍術を授けざるを得なかったという猿飛佐助が、「遠くの者は噂に聞け、近くの者は寄ってその目で見てみろ! 見ればアバタの旗印、顔一面にひるがえしながら!」と鈴鹿峠の山賊の隠れ家に乗り込んだ時の勢いたるや、猛将の進撃(樊※排闥)とはまさにこのことかと天狗も気絶するほどのものであった。
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