僕の目に映るお医者さんは、世間の悪いウワサとは裏腹に、どこかむやみに人見知りするような内気さと、お坊ちゃまとして育ったワガママっ子らしいところと、そして目立たない優しさが入り交じっていました。その一方で、子供の頃から東京で長い間教育を受けた人が、島の中でいつしかこういう暮らしに染まってしまったらこうなるのだろうなと思わせるような、なんだかやり場のない退屈が行き着いた先のような、ぼんやりとした憂鬱(ゆううつ)さが感じられました。
彼はよく猟の獲物を手土産に持ってきてくれたので、僕もお相伴(しょうばん)に預かりました。
だけど、そのお医者さんがやってくるのをのぞけば、そして毎朝近くのおうちから牛乳の缶を下げた女性たちがバター作りの土間に集まってくるほかは、この家では何もかもがのろのろと、半分眠っているかのようにゆっくりと時間が流れていました。
奥さんは時々、とても長いお昼寝をしているようでした。
「ほんとうに、島の女の人たちはみんなよく眠るんですよ。
お仕事なんてありませんからね。
だから眠ってばかり」
と、彼女は笑いながらそう言うのです。
畑仕事や、水をくんできたりするお仕事は、主に正代という小さな女の子がやっていました。
彼女は本当によく働く子でした。僕がこの家に来たばかりの夜のことです。僕の部屋は母屋から少し離れた、家のいちばん端っこにある広い土間で区別されていたのですが、あるとき、その土間にスルスルと入ってきた人がいました。その人は何も言わずに、お茶の入ったヤカンをそっと差し出してくれたのです。
頭には風呂敷みたいな布をかぶって首の後ろで結んでいて、目がどこにあるのか分からないくらい細くなっていました。
笑っているのか、それとも最初からそういう顔なのか、さっぱり見当がつきません。
この家には、大震災のときに亡くなったアナキスト(無政府主義者)の甥っか姪っかにあたる、ちょっと知能に障害のある人がいると聞いていたので、「もしかしてその人かな?」と思いました。
でも、正代(しょうだい)という名のその娘さんは、そうではありませんでした。
この家には、もうすっかりおじいちゃんになった「種牛(たねうし)」が1頭だけいます。
その暴れん坊の牛を思い通りにできるのは、まだ16歳になるこの少女だけでした。
ほかの誰かが近づこうものなら、危なくって仕方がありません。
血走ったぎょろりとした目で草を食べていますが、人が近づいてくると、遠くの方からちゃんとそれに気づいて、だんだんと頭を地面のほうへ下げていきます。
うっかり気を抜いていると、するどい角を持ち上げてグイッと迫ってくるのです。
その牛は、肩から首にかけてものすごく大きくて、牛というよりもむしろ猛獣に近い迫力でした。
だけど正代は、少しも怖がらずにその牛の鼻づらをつかまえてしまうのでした。
時々、近所の人たちがメスの牛を連れて、この種牛のところへやってきますが、それもみんな正代の仕事でした。
この女の子は、だんだん僕に慣れてきて、お散歩のときなんかに出会うと、ニコッと笑ってみせてくれるようになりました。
と言っても、やっぱりあの目を細めるだけの笑顔なのですが。
ときどき向こうから話しかけてくるのですが、なんだか単語を一つずつ並べるような話し方なんです。
「これ、マグサだ。牛は好きだ」
「どこ行く? ウン、海か」
そんなふうに言って、例の微笑みを浮かべるのです。
島の女の人たちの習慣なのか、正代もいつも風呂敷などの布きれですっぽりと頭を包み込んでいます。
それはまるで、ロシアの農婦がかぶる「プラトオク」というスカーフのようです。
そんな格好をしているものだから、どんなに土砂降りの雨が降ってきても平気です。
時には頭から肩まですっかりずぶ濡れになりながら、照りつける太陽の下を歩くときと同じように、黙々と仕事をこなしていました。
奥さんに聞いてみたところ、雨の日はもちろんのこと、冬であっても布団をかけて寝るようなことはしないのだそうです。
いつも縁側でそのままゴロンと寝てしまうんだとか。
彼女は知能に障害があるわけではありませんでしたが、そのお母さんがそうでした。そして正代は、その母親から生まれた子どもだったのです。
正代は自分の生まれた事情を知っていて、そのお母さんのことをとても嫌がっているということでした。
その知能に障害のあるお母さんは、僕が滞在している間にも一度やってきたことがありました。でも、正代のお母さんとは思えないほど若々しく、やっぱり別の赤ん坊をおんぶしていました。
家は阿古村のほうにあるらしいのですが、ちっとも家に帰ろうとせず、地面の上だろうと石垣のすき間だろうと、どこででも眠ってしまうんだそうです。
そのお母親がやってきたとき、正代はプイッとどこかへ姿を隠してしまいました。
お家のすぐ前にある畑の脇には、4坪(畳8畳分くらい)ほどの小さな小屋がありました。
トタンの屋根で、ちゃんとした板の壁というよりは、ただ板を並べて囲っただけの簡素なものです。
窓らしきものは見当たりませんでしたが、古い雨戸のような板が、押し出し窓みたいに上の方にとりつけられているだけでした。
中に入ると、半分は土間になっていて、作り付けのかまどが2つ並んでいました。その隅には、かまどの上にそのまま乗っけて固定したようなお風呂の釜もあります。
もちろん煙を外に出す煙突なんかないので、小屋の中はいつも煙がモコモコとこもっていて、どこも真っ黒にすすけていました。
もう半分のスペースは、畳や、その上に敷物(上敷き)が敷いてあって、どうにか部屋らしく整えられていました。そこが、牧夫の民(たみ)さんと、もう一人の昌(まさ)さんの住まいだったのです。
僕は、頭の働きがすこし不自由なのは昌さんだけだと思っていたのですが、実は民さんのほうもそうでした。
民さんは40代いくつだということで、小柄で、顔も同じように小さかったのですが、目鼻立ちはきちんとした整った顔立ちをしていました。
彼は毎朝、牛を連れて山へ行き、夕方になると薪(まき)を背負って牛といっしょに家へ帰ってくるのです。
一方の昌さんは、30歳を過ぎていると言われていましたが、どう見ても23、4歳くらいにしか見えません。
それに、ひょろりと背が高いのです。
目はひどいヤブ医者ならぬ「ヤブ斜視(ものすごく目が寄っている状態)」なのですが、いつも上のまぶたがトロンと下がっているので、一体どこを見ているのかさっぱり分かりません。おまけに、なんだか人をバカにしているような目つきに見えるのでした。
僕が初めて彼を見たとき、一番驚いたのは、そのあまりにも陰気で憂鬱そうな表情でした。
だれかが彼の目の前に現れると、彼はサッサと逃げていってしまうのですが、そうでないときは、じーっとどこか一点(どこを見ているのかは分かりませんが)を見つめながら、おでこいっぱいにシワを寄せているのです。
まるで、どうしていいか分からず思い悩んで、その場に立ちすくんでしまったかのような様子でした。
そんなときは、声をかけてもダメでした。
返事をしてくれないし、たまに答えたとしても「ええ、そうです」「そうです」とそればかり。
コメント