しかし、またすぐ食べ始めます。木を降りるのも惜しいようです。
と、一口かじりかけたところで、また「チクリ」。
「ちぇっ」と舌打ちをして襟首をなでると、今度はなでた手が「チクリ」と刺されました。
「なんだろう、さっきから――」
そっと探ってみると、なんと不思議なことに針が刺さっていました。キラリと光る、二寸ばかりの女物の縫い針です。
「あッ!」
そのとたんに、竹童は思わず肘を曲げて顔をよけました。
前の萱葺き屋根の家から、射るような鋭い目がキラリとこちらを光らせています。
「降りろ、小僧!」
見ると、百姓家の破れた廂(ひさし)の下から、白い煙がすーっと這い上がっています。
そこにはひとりのお婆さんが座っていました。麻のような髪を後ろに垂らし、鍋や糸かけを前に置いて、繭を煮ながら湯の中の白い糸をほぐしています。
四
柿の木から飛び降りた竹童は、はじめてそこに人がいることに気づき、軒先に近づいて家の中を覗き込みました。奥には雑多な蚕の道具が散らばっており、土間の隅にある土のへっつい(かまど)の前には、ひとりの男が後ろ向きにしゃがんで、スパリ、スパリと煙草を吸いながら火を見つめていました。「ごめんよ、あれ、おばあさんの柿の木だったのかい?」
竹童は繭を煮る鍋をのぞき込みながら、たった一つだけペコリとお辞儀をしました。
おばあさんは、ギョロッとした目を釣り上げて言いました。
「人見知りもしないガキだね。なんだって人の家の柿を黙って盗み食いするんだい」
「だから謝ってるじゃないか。ああ、そうそう。おいらも用があってこの村へ来たんだっけ。おばあさん、どこかこのへんに、物を売っている家はないかなあ」
「でまかせを言うんじゃないよ。この村には、ここ以外には鍛冶屋が一軒あるだけで、ほかに人は住んじゃいないんだ。そんなことは分かっていて、柿泥棒に来たんだろう?」
「ほんとだよ、おいら本当に買いたい物があって来たんだ。おばあさんの家にあったら譲ってくれないか」
「なんだい」
「松明(たいまつ)さ」
「松明?」
「ああ、二十本ばかりほしいんだけどなあ」
「ガキのくせに、松明なんて何にするんだい」
「ちょっと必要なことがあるんだよ。おばあさんの家に持ち合わせはないかな?」
「ないね、そんなものは!」
そう言ったおばあさんの顔を見て、竹童は思わず「あっ!」と叫びました。
おばあさんの口の中で、キラリと光るものがあったからです。三、四本のバラバラな歯の間から、出たり入ったりしているのは、間違いなく四、五十本の縫い針でした。
これだ!
さっき柿の木の上まで飛んできて、頬っぺたを刺した針の正体は――竹童はムッとして言いました。
「たぬき婆さん。もう、松明なんか頼まない!」
「なんだと、この小僧!」
「よくも、おいらをさんざん悩ませてくれたな!」
いきなり腰の棒切れを抜いて振りかぶり、蚕を飼うおばあさんの肩をピシリと打とうとした、その瞬間です。なんと奇怪なことに、身をかわしたおばあさんの口から、ピラピラと糸のような細い光線が、竹童の顔めがけて吹きつけられました。それは含み針でした!
これこそ、剣や槍、薙刀といった武術のほかに伝わる隠し技、「吹針の術」というもの。竹童も話には聞いていましたが、実際に食らうのは今日が初めてでした。
「吹針を仕掛けられたら、目に気をつけろ。敵の目をとるのが吹針の極意だ」
そうかねてから教わっていたので、竹童はハッとして、とっさに顔をそむけて飛びのきました。
五
その時でした。竹童とおばあさんのやり取りをよそに、土間のへっつい(かまど)の火に向かって煙草をくゆらせていた脚絆・わらじ姿の男が、ふいに戸外へ飛び出してきました。
男は、やにわに竹童の首へ後ろから太い腕を回すと、かんぬき縛りにしてグイグイと締め上げました。
「鞍馬山の小僧、いいところへ来たな!」
「くっ、くっ……」
竹童は喉を締め上げられて声が出ません。顔を真っ赤にして、喉首にかかった男の腕をめちゃくちゃに引っかきました。
「ちっ、畜生。今日ばかりは逃がさねえぞ」
「だれだいッ、くっ、くるしい!」
「ざまあみやがれ。小っぽけな分際で、よくも武田伊那丸の隠密になって人穴へ飛び込み、お頭をはじめ多くの者をたぶらかしてくれたな。その返報だ、こうしてやる! こうしてやる!」
男は何度も竹童をなぐりつけました。
「くそっ! おいらだって、こうなりゃ鞍馬山の竹童だ!」
竹童も必死に反撃しました。体は小さいけれど、必死の力を振り絞ると大人も及ばないほどの力強さで、ねじ伏せられている体をもがき、男の鼻と唇へ指を突っ込んで、鷲のように爪を立てました。
「あッ!」
これにはさすがの男も、ややたじろいだようです。
その隙を見逃さず、竹童は腕のゆるみを振りほどくやいなや、一目散に走り出しました。
「おまえみたいな下っ端に、かまってなんかいられるもんか!」
捨て台詞を吐いて、振り返りもせずに逃げ出しました。
「バカ野郎」
男は割合に落ち着いて、その背中を見送っています。
「そうだそうだ、もっと十町でも二十町でも先に逃げてゆけ。はばかりながら、てめえなんかに追いつくには、この燕作(えんさく)さまにはひと飛びなんだ」
この男こそ、燕作でした。なるほど、竹童を伊那丸の手先だと見て組みついたわけです。
彼は丹羽昌仙の密書を無事に届け終えて戻ってきたものの、人穴城の洞門は固く閉ざされ、そこかしこに伊那丸の一党が見張っているため、山寨へ帰るに帰れず、この蚕を飼うおばあさんの家に隠れていたようです。
「あの竹童のやつをひっ捕らえて行ったら、さだめし呂宋兵衛(るそんべえ)さまもお喜びになるだろうし、おれにとってもいい出世仕事だ。どれ、一つ追いついて捕まえてやろうか」
言うかと思う間に、もう燕作は礫(つぶて)が飛ぶような速さで走り出していました。その足取りはなるほど稀代の早足で、日頃から「胸に笠を当てて走れば、笠を落とすことはない」と自慢している通り、ほとんど踵が地についているようには見えません。
竹童も、逃げに逃げました。折角村から蛭ヶ岳の裾を縫い、街道に沿って、足の続く限り、根の尽きるまでドンドンドンドン駆け出しました。そして、
「もう大体大丈夫だろう」
と立ち止まり、ひょいと後ろを振り返ってみると、とんでもないこと、もうすぐ後ろまで追い付いてきているではありませんか。
「あっ!」
竹童はまた駆け出しました。
燕作も一段と足を早めながら叫びます。
「やあい、竹童! いくら逃げても、俺の前を走るのは無駄なことだぞ!」
「驚いた早足だな。早いな、早いな、早いな!」
さすがの竹童も、敵ながらその速さに感心しているうちに、とうとう再び燕作の太い腕が竹童の襟首を掴み、ドスンと仰向けざまにひっくり返しました。
そこは、釜無川の下流、富士川の上流にあたる、蘆山の河原に近い場所です。
燕作は、思いのほかすばしっこい竹童を持て余し、生け捕りにすることを諦めました。その代わり、彼はにわかに凄まじい殺気を眉間にみなぎらせて、
「面倒くせえ。いっそ首にして呂宋兵衛さまへお供えするから覚悟をしろ!」
と怒鳴りました。
引き抜いたのは二尺四寸の道中差。竹童はギョッとしてはね返りました。
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