初級翻訳・ねずみと猫 第4話

ねずみと猫

海の中にもぐった時に聞こえる、波打ち際の砂利と砂利がこすれ合う音や、火山の火口の奥から聞こえてくる大釜でお湯がぐつぐつ煮えたぎるような音なども思い出させる。
もし獅子(しし)やトラも同じような音を立てるのだとしたら、この音はいっそう不思議なものに違いなく、ぜひ聞いてみたいような気もする。
畳の上に下ろしてやると、もうすぐそこにある紙切れなどにじゃれつき始めるのだった。
その動きはいかにも軽やかで、そして優雅に見えた。
人間の子供などは、とても自分の体をこれほど上品に使うことはできまい。
イギリスあたりの貴族はどうか知らないが。
それでいて、一挙一動がいかにも子供子供しているのである。
人間の子供のもつ子どもらしさと、どことはうまく言えないけれど非常に似通っている著しい共通点があった。
のら猫の子に比べて、なんとまあ見事な違いだろう。彼は生まれ落ちると同時に人類を敵として見なければならない運命を授けられるのに、この猫ははじめから人間の好意に絶対の信頼をおいている。
見ず知らずの家にもらわれて来て、そしてもうそこをわが家として少しも疑わず恐れてもいない。
どんなにひどく扱われても、それはすべてよい意味にしか受け取られないように見えるのである。
それはそうと、私はうちで猫を飼うという事に承認を与えた覚えはなかったようである。
子猫をもらうという事について相談はしばしば受けたようであるが積極的な同意はまだしなかったはずであった。
しかし今眼前にこの美しいそして子供子供した小動物を置いて見ているうちにそんな問題は自然に消えてしまった。
子猫がほしいという家族の大多数の希望が女中の口から出入りの八百屋に伝えられる間にそれが積極的な要求に変わってしまったらしい。
突然八百屋が飼い主の家の女中といっしょに連れて来たそうである。
台所へ来たのを奥の間へ連れて行くとすぐまた台所へかけて行って、連れて来た人のあとを追うので、しばらく紐でつないでおこうかと言っていたが、連れて来た人がそれはかわいそうだからどうか縛らないでくれというのでよしたそうである。
夜はふところへ入れて寝かしてやってくれという事も頼んで行ったそうである。
私が見に来た時はもうかなり時間がたってよほど慣れて来たところであったらしい。
もとの飼い主の家ではよほどだいじにして育てられたものらしい。
食物などもなかなかめったなものは食わないでいた。
牛乳か魚肉、それもいい所だけで堅い頭の骨などは食おうともしなかった。
恐ろしいぜいたくな猫だというものもあれば、上品だといってほめるものもあった。
膳の上のものをねらうような事も決してしないのである。
子供らの猫に対する愛着は日増しに強くなるようであった。
学校から帰って来ると肩からカバンをおろす前に「猫は」「三毛は」と聞くのであった。
私はなんとなしにさびしい子供らの生活に一脈の新しい情味が通い始めたように思った。
幼い二人の姉妹の間にはしばしば猫の争奪が起こった。
「少しわたしに抱かせてもいいじゃないの」とか「ちっともわたしに抱かせないんだもの」とか言い争っているのが時々離れた私の室まで聞こえて来た。
おしまいにはどちらかが泣きだすのである。
私は子供らがこのためにあまりに感傷的になるのを恐れないわけには行かないのだった。
猫もかわいそうであった。
楽寝のできるのは子供らの学校へ行っている間だけである。
まもなく休暇になるともう少しの暇もなくなった。
大きい子らは小さい子らは三毛をおもちゃにしているのを見ると、かわいそうだから放してやれなどと言っていながら、すぐもう自分でからかっているのである。
逃げて縁の下へでも隠れたらいいだろうと思うが、どこまでも従順に、いやいやながら無抵抗に自由にされているのがどうも少し残酷なように思われだした。
実際だんだんにやせて来た時とは見違えるように細長くなるようであった。
歩くにもなんだかひょろひょろするようだし、すわっている時でもからだがゆらゆらしていた。
そして人間がするように居眠りをするのであった。
猫が居眠りをするという事実が私には珍しかった。
大きな発見でもしたような気がして人に話すとは知っている人はみんな笑ったし、たまに知らない人があってもだれもこの事実をおもしろがらないようであった。
しかし私は猫のこの挙動に映じた人間の姿態を熟視していると滑稽やら悲哀やらの混合した妙な心持ちになるのである。
このぶんでは今に子猫は死んでしまいそうな気がした。
時々食ったものをもどして敷き物をよごすような事さえあった。
夜はもう疲れ切ってたわいもなく深い眠りにおちて、物音に目をさますようには見えなかった。
それでも不思議な事にはねずみの跳梁はいつのまにかやんでいた。
まれに台所で皿鉢のかち合う音が聞こえても三毛は何も知らずに寝ていた。
おそらくまだねずみというものを見た事のない彼女の本能はまだ眠っているのだろうと思われた。
あんまりいじめると、もうどこかへやってしまうとか、もとの家へ返してしまうとかいうおどかしの言葉が子供らの前で繰り返されていた。
とうとう飼い主の家に相談して一両日静養させてやる事にした。
猫がいなくなるとうちじゅうが急にさびしくなるような気がした。
おりから降りつづいた雨に庭へ出る事もできない子供らはいつになくひっそりしていた。
いつもは夜子供らが寝しずまった後に、どうかすると足音もしないで書斉にやって来て机の下からそっと私の足にじゃれるのを、抱き上げてひざにのせてやると、すぐに例のゴロゴロいう音を出すのであったが、その夜はもとよりいないのだから来るはずはなかった。仕事がひと段落して、ゆっくりと煙草をくゆらせながら、静かに響く雨の音を聞いているうちに、ふしぎな想像が頭に浮かんで来ました。
三毛が本当にどこかへ捨てられてしまって、この冷たい雨の中をびしょぬれになりながらさまよい歩いている姿が、心の中にハッキリと描かれたのです。
お腹がすいて寒さに震えながら、どこかのごみ箱のまわりをうろうろしている姿です。
そして、見知らぬ家々の雨戸のすき間から漏れてくるあたたかい灯りを恋しがって、哀しい声を出して鳴いているような気がしてなりませんでした。

しかし、次の日の夕方に迎えに行って連れて帰ってくると、ほんの二日しかたっていないというのに、見違えるほどふっくらと太っていました。
ツンととがっていた顔がふっくろとして、目もなんだか急にパッチリと細くなったように見えました。
目のまわりにあったピリピリとしたしわはすっかり消えて、おっとりとしたやさしい表情に変わっていたのです。
いったい、もとの家でどんなにごちそうや良いおもてなしを受けて来たのだろうかと、みんなで話題にするほどでした。
お母さん猫のミルクでも飲んできたからだろうか、という説を言う人もいました。

夏も本番になると、夕方には家族みんなが庭に出るようになりました。
三毛も、もちろん楽しそうについて来ます。

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