もとのら猫たちの遊び場だったつつじの根もとのちょっとくぼんだ場所は、やっぱりどの猫にとってもお気に入りの場所のようで、ボールを追いかけながら元気に走り回る途中で、決まってその場所へピューと駆け込むのでした。
そして、まるで獲物をねらう猛獣のようなかっこいい姿勢をして、忍び足でスーッと出てくると、いよいよ飛びかかる直前には、腰を左右にフリフリと振り立てるのです。
かと思うと、クマザサの茂みの中に隠れて長いあいだじっと動かずにいるので、どうしたのかと思ったら、突然、鯉が水面からはね上がるようにピョンと高く飛び出して、次の瞬間にはキョトンとしてとぼけた顔をしていたりすることもありました。
またある時は、四つの足を両側にパーッと開いて、おなかを芝生にピタッとくっつけさせ、まるで空飛ぶモモンガのようなかっこウをしていることもありました。
きっと、おなかを冷やしているだけなんじゃないかなあと、みんなで笑い合いました。
庭の芝生をハサミでチョキチョキと刈っていると、いつの間にか忍び寄ってきて、ふいにハサミの先に向かって飛びかかってくるので、危なくてしかたありませんでした。
気をつけて芝を刈っていると、時々、子どもたちの「あ、猫がねらってるよ!」という叫び声が聞こえてくるのでした。
この芝刈りハサミに対する猫の好奇心のようなものは、ずっと後になっても変わらずに続きました。
もうただの切れ端の紐やボールなどにはまったくじゃれつかなくなった後でも、ハサミを持って庭に下りていく私の姿を見つけると、すぐにトコトコとついて来るのでした。
時には、私がしゃがんでいる腰の下からそっと入り込んできたり、私の両ひざの間に顔をピョコっと出したりしました。
そして、ハサミの先にちょこっと触れると、それで満足したかのようでのそのそと向こうへ歩いていき、植え込みの八つ手(やつで)の葉の下でチョウチョをねらったり、ガマガエルをからかったりして遊んでいました。
ガマガエルに対しては、どうやら一番初めに手痛い失敗をしたようでした。
おそらく食いつこうとして何か大変なめにあったとみえて、口から白いヨダレのようなものをだらだらと垂らしながら、両方の前足で自分の口を力いっぱいもぎ取るようなヘンな仕草をして苦しんでいました。
それはまるで、カエルがタバコをなめた時のヘンテコな動きとそっくりでした。
それ以来というもの、二度と口をつけようとはせず、ただ前足でカエルの頭をそっと押さえてみたり、横腹をちょんと突いてみたりしては、首をかしげてじっと見つめているだけでした。
そんな愚直なガマガエルは、触られるたびにカチカチに体を引きつらせてパンパンにふくらんでいました。
その土色の不格好な体は、まるで怒りのカタマリそのもののようでした。
でも、絶対に自分が一番えらいと信じているような子猫の三毛は、時々よそ見なんかをしながら、ちょいちょいと前足を出してカエルをからかってみるのです。
ただ、とても困ったことに、いつの間にかトカゲを捕まえて食べるというクセがついてしまいました。
はじめのうちは、捕まえたトカゲを必ず畳の上に持って来て、食べる前にまずは手でおもちゃにして遊ぶのでした。
時には、トカゲの大きなシッポだけをくわえて持って来ることもありました。
体から切り離されたはずのシッポが、まるでそれだけで生きているかのようにビクビクと動くのでした。
私はトカゲを見つけるたびに、すぐに猫をひっつかまえて、無理やり口から取り上げて、二度と猫に見つからないように処分しましたせっかく捕まえた獲物を横取りされた猫は、しばらくの間、くやしそうに畳の上をクンクンとかぎながら歩き回っていました。
トカゲをとって食べることがどうしてダメなのか、猫には分かるはずもありませんでした。
私自身にとっても、なぜトカゲを食べてはいけないのかを猫に説明することはできませんでした。
だから、猫の方でも後にはわざわざ畳の上へ持って上がるのをあきらめて、捕まえたその現場ですぐに食べてしまうという方法を発見したようでした。
時々、口のまわりをペロペロと舌なめずりをしながら縁側に上がって来る猫を見ると、なんだかゾッとして気持ちが悪くなりました。
私たち人間の食事の一部を食べていて、我が家の大切な家族の一員であるはずのこの猫が、トカゲなんかを生々しく食べるのを見ると、他の家族の食卓全体を汚されているような、そんな妙な気持ちがしたのです。
それほどまでに、この小さな四足の動物は、私たちの頭の中でまるで人間のようになっていたのだと思います。
私は、夜がふけてからひとりで仕事をしている時に、長い縁側をトコトコと歩いて来る軽やかな足音を聞くことがあります。
そして、私の椅子の下へとまり込んできて、そっと私の足を優しくなでたりすると、思わず「どうしたんだい」とか「なんだい」といった言葉が口からポロッとこぼれます。
それは決してただのひとり言ではなく、私の言葉をちゃんと理解してくれる「相手」に向かって話しかけるような、そんなあたたかい心持ちで言うのです。
そうすると相手の猫は何も言わずに、ただ私がひざに抱き上げてやると、いつもの心地よいゴロゴロという音をすぐに響かせ始めるのでした。子供のいないさびしい人や、自分の思い通りになる愛情の対象を人間界に見失ったお年寄りなどが、ひたすらに猫をかわいがり、いわゆる「猫かわいがり」にする心持ちが、だんだんと分かるような気がしてきた。
ある西洋人がカラスを飼って、畑仕事の相棒にしていたという気持ちも、少し理解できた。
孤独なエゴイストにとっては、こうした動物のほうが、中途半端な人間よりも、どれほど頼もしい生活の友であるかもしれないのだ。
不思議なことに、あんなにも猫ぎらいだった母親が、時々ひざに上がってくる子猫を追い払うこともせず、それどころか隠居部屋の障子を破られても、あまり気に留めない様子だった。
四
我が家に来てからというもの、いちばん猫の好奇心を刺激したのは、どうやら蚊帳(かや)だったらしい。
なぜだか蚊帳を見ると、ものすごく興奮するのである。
とりわけ、部屋の中に人がいて、自分だけが外にいるという状況のときにはそれが顕著だった。
背中を高くそびえ立たせ、耳を伏せて、恐ろしい表情をつくる。
そして、命がけのような勢いで飛びかかっていくのだ。
猫にとっては、おそらく不思議なほど柔らかくて強い蚊帳の抵抗に、自分の全身を投げ出す。
蚊帳のすそは引きずられながら袋のようになって、猫の体をすっぽりと包み込んでしまうのである。
これが猫にとっては、たまらなく不思議に違いなかった。
とにかく、普通のじゃれ方とはどうも様子が違う。
あまりに真剣なので、見ているこちらが少しゾッとするような気さえした。
おとなしい性質はすっかり消え失せて、野獣の本性がむき出しになって現れるのだ。
蚊帳そのものか、あるいは蚊帳越しに見える人の影が、猫には何か恐ろしいものに見えているのかもしれない。
あるいは、蚊帳の中の青みがかった光が、森の月光の中で獲物を求めて歩いた遠い祖先の本能を呼びさますのではないだろうか。
もし色の違うさまざまな蚊帳があったら、試してみたいものだと思った。
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