初級翻訳・ひかりの素足 第1話

ひかりの素足

一、山小屋

 鳥の声があまりにもやかましいので、一郎は目をさました。
 もうすっかり夜があけていたのだ。
 小屋のすみから、3本の青い日光の棒がななめにまっすぐ、兄弟の頭の上をこえて、向こうの萱の壁にかかった山刀やはむばきを照らしていた。
 土間のまん中では、まきが赤く燃えていた。
 日光の棒もそのけむりのせいで青く見え、またそのけむりは色々な形になって、すーっとその光の棒の中を通りぬけていくのだった。
「ほう、すっかり夜が明けたな」
一郎はひとりごとを言いながら、弟の楢夫(ならお)の方に向き直った。
 楢夫の顔はりんごのように真っ赤で、口をすこしあけたまま、まだすやすやと眠っていた。
 白い歯がすこしだけ見えていたので、一郎はいきなり指でカチンとその歯をはじいた。
 楢夫は目を閉じたまま、ちょっと顔をしかめたが、またすうすうと息をして眠った。
「起きろ、楢夫、夜が明けたぞ、起きろ」
 一郎は言いながら、楢夫の頭をぐらぐらとゆすぶった。
 楢夫はいやそうな顔をして何かぶつぶつと言っていたが、ついにうすく目を開けた。
そして、いかにもびっくりしたように、
「ほお、山さ来てらたもな(おや、山に来ているんだなあ)」
とつぶやいた。
「昨日の夜、今朝方だっけかな、火が消えてたな、おぼえてるか」
 一郎が言った。
「知らなーい」
「寒くてさあ。お父さんが起きて、また燃やしたみたいだぞ」
 楢夫は返事をしないで、何かぼんやりとほかのことを考えているようだった。
「お父さんは外で働いてるぞ。さあ、起きようぜ」
「うん」
 そこで二人は、いっしょにくるまって寝た小さなどこ一枚の布団から起き出した。
 そして火のそばに行った。
楢夫はけむそうに目をこすり、一郎はじっと火を見ていたのだ。
 外では谷川がごうごうと流れ、鳥がツンツンと鳴いていた。
 そのとき、急にまぶしい黄金(きんいろ)の日光が、一郎の足もとに流れてきた。
 顔をあげてみると、入り口がパッとあいて、向こうの山の雪がツンツンと白くかがやき、お父さんがまっ黒に見えながら入ってきたのだった。
「起きたのか。昨日の夜は寒くなかったか」
「ううん、ちがうよ」
「火が消えてたな。おれは二度起きて燃やしたぞ。さあ、口をゆすげ、ご飯ができてるぞ、楢夫」
「うん」
「家と山と、どっちが好きだ?」
「山の方は……い、いや、だって学校に行けないもんなあ」
 するとお父さんが鍋を少し持ち上げながら笑った。
 一郎は立ち上がって外に出た。
楢夫も続いて出た。
 何てきれいなのだろう!
空がまるで青い光でツルツルしていて、その光はツンツンと二人の目にしみこみ、また太陽を見ると、それは大きな空の宝石のようで、オレンジや緑やかがやきの粉をちらしている。まぶしくて目を閉じると、今度はその青黒い暗闇の中に、あおあおと光って見える。新しく目を開けると、さっきの青空に、桔梗色(ききょういろ)や黄金色や、たくさんの太陽の影ぼうしが、くらくらとゆれてかかっているのだった。
 一郎は、かけひ(とい)の水を手にうけた。
かけひからはつららが太い柱になって下までとどき、水はすきとおって日にかがやき、また湯気をたてていかにも温かそうに見えたのだったが、本当はつめたくて寒かったのだ。
 一郎はすばやく口をすすぎ、それから顔も洗った。
 それから、あまり手が冷たいので、お日さまの方へ手を伸ばした。
 それでも温まらなかったので、のどにあてた。
 そのとき、楢夫も一郎のまねをしてやっていたが、ついに冷たくてやめてしまった。
 まったく楢夫の手は、しもやけで赤くふくれていたのだ。
一郎はいきなり走っていって、
「冷たいのか?」と言いながら、そのぬれた小さな赤い手を両手で包んで温めてやった。
 そうして二人はまた小屋の中に入った。
 お父さんは火を見ながらじっと何か考え、鍋はことことと鳴っていた。
 二人も座った。
 日はもうよほど高くなり、3本の青い日光の棒もだいぶななめになっていた。
 向こうの山の雪は青空にくっきりと浮かび上がり、見ているとなんだか心が遠くの方へいくようだった。
 急にその山の上に、パッとけむりか霧のような白いぼんやりしたものが現れた。
 それからしばらくたって、フィーと鋭い笛のような声が聞こえてきた。
 すると楢夫は、しばらく口をゆがめて変な顔をしていたが、ついにどういうわけか、しくしくと泣きはじめた。
 一郎も変な顔をして楢夫を見た。
 お父さんがそこで、
「どうした、家に行きたくなったのか、どうした?」とたずねたが、楢夫は両手を顔にあてて、返事もしないで、かえってひどく泣くばかりだった。
「どうした、楢夫、おなか痛いのか?」
一郎もたずねたが、やっぱり泣くばかりだった。
 お父さんは立って楢夫の額に手をあてて見て、それからしっかり頭をおさえた。
 するとだんだん泣きやんで、ついにただしくしくと泣きじゃくるだけになった。
「何して泣いたんだ……」「家さ行ぐだぃぐなったべぁな」
お父さんが言いました。
「うんにゃ」
楢夫はしくしくと泣きながら首を横に振りました。
「どごが痛くてが」
「うんにゃ」
「そだらなして泣ぃだりゃ、男などぁ泣がなぃだな」
「怖っかなぃ」
まだ涙を流しながら、楢夫はやっとのことで答えました。
「なして怖っかなぃ。お父さんも居るし兄なも居るし昼まで明りくて何っても怖っかなぃごとぁ無いぢゃぃ」
「うんう、怖っかなぃ」
「何ぁ怖っかなぃ」
「風の又三郎ぁ云ったか」
「何て云った。風の又三郎など、怖っかなぐなぃ。何て云った」
「お父さんおりゃさ新らしきもの着せるって云ったか」
楢夫はまたわっと泣き出しました。
一郎も、なぜかぞっと背筋が寒くなりました。
けれどもお父さんは笑いました。
「あははは、風の又三郎め、いい事を言ったなあ。四月になったら新しい着物を買ってやるからな。全然泣くことなんかないんだぞ。泣くな泣くな」
「泣くなよ」
一郎も横からのぞき込んでなぐさめました。
「もっと云ったか」
楢夫は目をこすりすぎてまっかにしながら言いました。
「何て云った」
「それがらお母さん、おりゃのごと湯さ入れで洗ふて云ったか」
「あはは、そいつは嘘だぞ。楢夫なんか、いつも一人でお風呂に入ってるじゃないか。風の又三郎なんて嘘つきだ。泣くな、泣くな」
お父さんはなんだか顔色を青くして、それに無理をして笑っているようでした。
一郎もなぜか胸が詰まって、笑うことができませんでした。
楢夫はまだ泣きやみませんでした。
「さあご飯を食べよう、泣くな」
楢夫は目をこすりながら、変に赤く小さくなった目で一郎を見つめ、また言いました。
「それがらみんなしておりゃのごと送って行ぐて云ったか」
「みんなしてめえのごと送って行くって? そいつはなあ、お前がりっぱになってどこかへ行く時は、みんなで送ってやるものなのさ。みんないいことばかりだよ。泣くな。な、泣くな。春になったら盛岡の祭りへ連れて行ってやるから泣くな。な」
一郎はまっ青になって黙って日光に照らされたたき火を見つめていましたが、この時やっと言いました。
「なあに、風の又三郎なんこわくないさ。

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