そのうちに、夕方になりました。
くらやみがあたりをつつんで、何も見えなくなりました。
すると、何もかもが妙にきみわるく、恐ろしく見えてきました。
ニールスはガチョウのはねの下にもぐりこみましたが、寒いのと、からだじゅうがびしょぬれなのとで、眠ることができませんでした。
おまけに、あたりにはサラサラ、ガサガサと、だれかがそっと歩くような足音や、おびやかすような声が聞こえますので、恐ろしくてたまりません。
もし、このままで、こごえ死にたくなかったら、どこかあたたかい火とあかるい光のあるところへいかなければなりません。
「こんや一晩だけ、人間のところへいったらどうだろう?」と、ニールスは思いました。
「そうして、ちょっとのあいだ火のそばにすわらせてもらって、たべものをほんのすこしもらうんだ。そうしたって、お日さまののぼるまえに、ガンたちのところへ帰ってこられるだろう。」
ニールスは、はねの下から這いだして、地面にすべりおりました。
ガチョウもガンたちも、目をさましませんでした。
それから、ニールスは、足音をしのばせて、だれにも気づかれずに、沼地をとおっていきました。
それにしても、ここはいったいどこなのでしょう? スコーネでしょうか、スモーランドでしょうか、それともブレーキンゲでしょうか。
さっき、沼地におりるまえに、大きな町がチラッと見えました。
そこで、ニールスはそっちのほうへ歩いていきました。
すると、すぐに道が見つかりました。
そして、まもなく、並木のある長い村道にでました。
その両がわには、農家がいくつもいくつもならんでいます。
ニールスはある大きな村にでました。
高い土地にはよくありますが、平地ではめったに見られない村です。
家々は木造でしたが、たいへんきれいに建ててありました。
たいていの家には飾りのついた破風があり、色ガラスのはまっているヴェランダも見えました。
壁はあかるいペンキでぬってありました。
戸や窓わくは青や緑にかがやいていました。
また赤くかがやいているのも見えました。
ニールスがそのあたりを歩きまわって、家々をながめていますと、あたたかい部屋の中から人々の話し声が聞こえてきました。
話していることはわかりませんでしたが、人間の声を聞くのは、たまらなくなつかしく思われました。
「ぼくが戸をたたいて、中へ入れてくださいと言ったら、みんなはなんて言うだろう?」と、ニールスは考えました。
もちろん、ニールスはそうしようと思ってやってきたのです。
こうして、いまあかるい窓を見ていますと、くらやみをこわがる気もちはなくなってしまいました。
でも、そのかわり、人間のそばに近づくとき、いつも感じるあのこわいような気もちが、またまた、起こってくるのでした。
「中へ入れてもらって、たべものをくださいって言うまえに、もうすこしこの村を見ておこう。」と、ニールスは思いました。
とある家の前をとおりかかったとき、露台の戸が開いて、黄色い光が、すきとおった軽いカーテンをとおして流れでてきました。
そして、ひとりの美しい若い女のひとが出てきて、手すりによりかかりました。
「雨だわ。もうすぐ春ね。」と、そのひとは言いました。
ニールスはそのひとの姿を見たとき、なんともいえないふしぎな気もちになりました。
なんだか泣きたいような気がしてきました。
じぶんは、人間の世界からすっかり遠くはなれてしまっているのです。
ニールスは、いまはじめて心ぼそくなりました。
それからまもなく、ある店の前に来ました。
店の前には、赤い種まき機械がおいてありました。
ニールスは立ちどまって、それをながめていましたが、とうとうその上にはいあがりました。
運転台にすわって、舌打ちをしながら、それを動かすようなかっこうをしました。
そして心の中では、こんなすばらしい機械で畑がのりまわせたら、すてきなんだがなあ、と思いました。
ニールスは、ちょっとのあいだ、いまのじぶんを忘れていました。
けれど、すぐまた思いだして、いそいで機械からとびおりました。
そうすると、不安な気もちはますますつのってきました。
じっさい、動物のあいだにくらしてみたあとでは、人間というものは、まったくふしぎで、りこうなものでした。
そのうちに、郵便局のそばをとおりかかりました。すると、世界中で起こる新しいできごとを毎日知らせてくれる新聞のことを思い出しました。薬屋さんや医者さんの家を見たときには、人間というものは病気や死と戦うことができるほど、大きな力を持っているのだなと考えました。それから、教会の前に来ました。すると、人間が今住んでいる世界とはちがった世界のこと、つまり神さまや復活、永遠のいのちといったことについて教えを聞くために、こんな立派な教会を建てたのだということに思い至りました。こうして先へ進めば進むほど、人間というものがどんどん好きになっていきました。
子どもというものは、すぐ目の前のことしか考えないものです。今いちばん近くにあるものを欲しがって、その結果どうなるかということなんて考えもしません。このニールス・ホルゲルッソンが小人のままでいたいと願ったときも、自分がどれほど大切なものを失うことになるのか、ちっとも分かっていなかったのです。でも今では、もとのちゃんとした人間の姿にもどれないのではないかということが、心配で心配でたまらなくなりました。
だけど、人間にもどるためには、いったいどうしたらいいのでしょう? ニールスはそれを知りたくてたまりませんでした。ニールスは、ある家の階段に這いあがると、降りしきる雨の中に腰をおろして、物思いにふけりました。一時間も、二時間も座り込んで考えていました。ひたいにしわを寄せながら。でも、ちっともいい考えは浮かんできません。ただいろんな考えが、頭の中でグルグルと回っているような気がします。そして、そこに座り込んでいればいるほど、ますますどうしていいか分からなくなりました。
「ぼくみたいに、すこししか勉強しなかったものには、むずかしすぎるんだ」
ニールスはとうとう、こう決めました。
「とにかく、人間にならなきゃならない。そのためには、牧師さんとか、お医者さんとか、先生とか、そのほか学問があって、こういうことの治しかたを知っている人に聞かなくちゃだめだ」
ニールスはすぐにそうしようと決心しました。そして立ち上がると、ブルッと体を震わせました。だって、体じゅうが水たまりにはまった犬のように、びしょ濡れになっていたのですから。
ちょうどそのとき、大きなフクロウが一羽飛んできて、道ばたの木にとまりました。それを見ると、すぐ近くの家の蛇腹にとまっていた森のフクロウが話しかけました。
「チーヴィット、チーヴィット。沼フクロウさん、お帰りですか? 外国はいかがでした?」
「ありがとう、森フクロウさん。たいへん楽しかったですよ」と、沼フクロウは言いました。「ところで、わたしの留守中に何か変わったことはありましたか?」
「このブレーキンゲでは、なんにもありませんでしたよ、沼フクロウさん。でも、スコーネではとっても珍しいことがあったんですって。
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