こういうことは、夏でないと、よく見えないのですが、それでもニールスは、自然はなんておだやかでやさしいんだろうと思いました。そして、まえよりも、ずっと心がおちついてきました。
と、とつぜん、鋭くきみのわるいうなり声が聞こえてきました。立ちあがって見ますと、露台の下の芝地に、一ぴきのキツネが、銀色のお月さまの光をあびて、立っていました。もちろん、ズルスケです。またも、ガンたちのあとを追ってきたのでした。けれども、ガンたちが寝ているところを見ますと、とうてい近づくことができないとさとりました。それで、あまりのくやしさに、おもわずうなってしまったのでした。
ズルスケがうなったので、アッカは目をさましました。ほとんど何も見えませんが、その声でズルスケとわかりました。
「ズルさんかい? こんやもおでかけかね?」と、アッカはたずねました。
「うん、おれだよ」と、ズルスケは答えました。「ところで、どうだね、こんやのおれのやりくちは?」
「テンやカワウソをけしかけたのは、あんただって言うのかい?」と、アッカがききました。「今度は、おれの番だからな」と、ズルスケは言いました。
「この前、おまえたちはおれにいたずらをしやがったから、今度は逆におれがおまえたちにいたずらを仕掛けてやるのさ。おまえたちが一羽でも生きているうちは、絶対にやめやしないぜ。たとえ国じゅうどこまでだって追っかけ回してやるからな」
「ズルさん、鋭い歯と爪という武器を持っているあんたが、何も防ぐすべのないわたしたちを、こうして執拗に追い回すなんて、いったいそれが正しいことだと思うのかい? 少しは自分の胸に手を当てて考えてみるんだね」と、アッカは言いました。
ズルスケは、アッカが自分を怖がっているのだと思い込みました。そこで、すかさずこう言いました。
「アッカさん、おまえさんがいつもおれの邪魔ばかりする、あのオヤユビ小僧をこっちへ放り投げてよこせば、おまえさんたちとは仲直りしてやってもいいぜ。そうすれば、もう二度とおまえさんたちのあとを追っかけたりはしないよ」
「オヤユビくんは渡せないねえ」と、アッカは答えました。
「わたしたちの仲間には、若いものでも年寄りでも、オヤユビくんのために喜んで命を投げ出さないような者なんて一人もいないんだよ」
「きさまたちが、そんなにあいつを大事に思っているというなら」と、ズルスケは怒鳴りました。
「まずは、その生意気なあいつからやっつけて、怨みを晴らしてやるからな。覚えてろよ」
アッカはもう何も言いませんでした。ズルスケはまた二、三度うなりました。それから、あたりはひっそりと静まり返りました。
ニールスはずっと目が覚めたままでした。今アッカがキツネに対して言った言葉が頭にこびりついて離れず、眠ることができません。今まで、自分のために命を捨ててくれるような存在があるとは、夢にも思ったことがなかったからです。ニールスは露台の手すりからたくさんの島々を眺めながら、胸がいっぱいになるような思いに浸っていました。
9 カールスクローナ市
四月二日 日曜日
ここはカールスクローナです。
月が輝く、静かで美しい夕方でした。でも、ついさっきまでは激しい嵐が吹き荒れていました。街の人々はまだ天気が回復していないと思い込んでいるに違いありません。なぜなら、通りには人っ子一人いないからです。この街がこんなにひっそりと静まり返っているときに、ガンのアッカとその仲間たちは、ヴェンメンヘーイやパンタルホルムを越えて、カールスクローナへやってきました。ガンたちは、島の上に安全な寝場所を見つけようとして、夕方遅くまで飛び続けていたのです。
陸の上には、どこにも安心して休める場所がありませんでした。どこへ降りても、キツネのズルスケに邪魔されてばかりいたからです。ニールスが高い空から海と島を見下ろしたときには、何もかもがひどく不気味で、まるで幽霊の世界のように見えました。空はもう青くはなく、緑色のガラスの丸い蓋のように、頭の上に重苦しく覆いかぶさっていました。海はミルクのように白く、目の届く限り、小さな白い波をうねらせ、銀色にきらめくさざなみを立てていました。すべてが白い景色の中で、様々な形をした島々が、あちこちで黒々と突き出ていました。大きいものも、小さいものも、草原のように平らなものも、岩だらけのものも、みんな同じように真っ黒に見えました。それどころか、人の住居も教会も風車も、普段なら白や赤に見えるはずなのに、今は緑色の空に向かって、くっきりと黒い影絵のような姿をさらしています。ニールスは世の中が変わってしまったような気がして、まるで別の世界へ迷い込んでしまったかのように感じました。
ニールスは、今夜こそ勇気を出して、怖がらないようにしようと決心しました。ところが、そう思っているうちに、ぞっとするような光景が目に飛び込んできました。それは、大きな尖った岩がごつごつと並ぶ山がいちめんに広がる島でした。そして、その黒い岩の間には、金のようなものがキラキラと光っていました。ニールスは、なんだか魔法の石を見ているような不思議な気持ちになりました。
それにしても、島のまわりに大きな恐ろしい影が、あんなにうようよしていなかったら、それほど怖いことはなかったでしょう。その恐ろしい影は、なんだかクジラやサメ、あるいは巨大な海の怪物の群れのように見えました。けれども、ニールスはそれを海の神さまたちだと思いました。そして、海の神さまたちが島に住んでいる陸の神さまたちと戦おうとして、今まさに島のまわりに集まって、よじ登ろうとしているのだと想像しました。
ところで、その陸の神さまたちは、きっと恐れおののいているのでしょう。というのは、島のいちばん高いところに一人の巨人が立っていて、自分と島とに降りかかってくる恐ろしい災いに絶望したかのように、両腕を高く空へ突き上げているのが、はっきりと見えたからです。アッカはこの島へ降りようとしました。それを見て、ニールスは驚いて息を呑みました。「だめだよ、だめだよ!」と、ニールスは叫びました。
「あそこへ降りちゃいけない」
けれども、ガンたちはどんどん舞い降りました。
まもなく、ニールスは、なにもかもがただあんなに奇妙に見えていただけだったのだと知り、驚いてしまいました。
大きな岩だと思っていたものは、人間の家ではありませんか。
そして、島全体は一つの市で、金色にキラキラ光っていたところは、街灯や明るい窓ガラスの光だったのです。
島の一番上に立って、両腕を高く上げていた巨人は、二つの塔のある教会でした。
海の神さまや海の怪物に見えたのは、島のまわりに停泊しているボートや大きな船でした。
陸の近くにあるのはたいていボートや帆船や小さな蒸気船でしたが、海に向いているほうには軍艦が浮かんでいました。
ところで、ここはなんという市だろう? ニールスは、たくさんの軍艦が見えたので、だいたい見当がついたような気がしました。
ニールスは、昔から船が大好きでした。
といっても、池で小さな船に乗ったことしかありませんでしたけれど。
それでもニールスは、こんなにたくさんの軍艦がいる市は、カールスクローナにちがいないと思いました。
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