と、そのとき、だれかが戸の鍵穴に鍵をつっこんで、しずかにまわす音が聞こえました。
きっと人間が来たのにちがいありません。
けれども、いまのようにこまりきっているときには、人間もこわくはありません。
それどころか、大よろこびで、すぐさま戸口へ駆けていきました。
ちょうどそのとき戸があいて、目の前にふたりの子どもがあらわれました。
でも、その子どもたちが小屋が燃えているのを見たとき、どんな顔をしたか、見ているひまはありませんでした。
ニールスはふたりのそばをすりぬけて、おもてにとびだしました。
でも、遠くへ走っていく気にはなれません。
なぜって、キツネのズルスケが待ちぶせしているにきまっているからです。
だから、この子どもたちのそばにいるのが、いちばん安全です。
そこでニールスは、どんな子どもたちかと思ってふりかえってみました。
ところが、ひと目見るより早く、ふたりのそばにかけよってさけびました。
「やあ、こんにちは、オーサちゃん、マッツちゃん。」ニールスは、ふたりの子どもを見た瞬間、自分がどこにいるのかをすっかり忘れてしまいました。カラスのことも、燃えている小屋のことも、動物たちのことも、なにもかも忘れてしまったのです。自分は西ヴェンメンヘーイの畑でガチョウの番をしながら歩いていて、すぐ近くの畑では、スモーランド生まれのこのふたりの子どもたちが、同じようにガチョウの番をしているような気がしたのです。
そこでニールスは、ふたりの姿を見るやいなや石垣の上に駆け上がり、「やあ、こんにちは、オーサちゃん、マッツちゃん!」と叫びました。
ところが、子どもたちは、そんなちっぽけな生き物が両手を広げて自分たちのほうへ駆けてくるのを見て、生きた心地もしないほどびっくりしてしまいました。そして、ふたりは互いにしっかりと抱き合って、一、二歩あとへ下がりました。
ニールスも、ふたりが驚いたのを見てハッと我に返り、今の自分の身の上を思い出しました。同時に、魔法にかけられている自分のちっぽけな姿を、この子どもたちに見られることほどまずいことはない、と思いました。自分はもう人間ではないという恥ずかしさと悲しさに打ちのめされ、身をひるがえして、いちもくさんに駆け出しました。あてもなく、ただひたすらに。
ところが、あの荒れ地まできたとき、うれしいことが待っていました。ヒースのあいだに、なにか白いものがチラチラしているではありませんか。と思っているうちに、白いガチョウが、灰色ガンのダンフィンを連れてニールスのほうへやってきました。ガチョウは、ニールスが一生懸命走ってくるのを見て、すぐさま「恐ろしい敵に追いかけられているに違いない」と察しました。そこで、ニールスを背中に乗せるが早いか、大急ぎで空高く飛び上がりました。
17 百姓のおばあさん
四月十四日 木曜日
ニールスとガチョウのモルテンと灰色ガンのダンフィンは、疲れ切った体で、日が暮れてからもまだ夜の隠れ場所を探し歩いていました。ここは、北部スモーランドの荒れ果てた地方です。でも、三人はやわらかい寝床や気持ちのいい部屋を欲しがるような弱虫ではありませんから、きっとどこかに、みんなが我慢できるような休み場所が見つかるはずでした。
「このずっと続いた山の頂きが、もっと高くて険しかったら、キツネも登れなくていい寝場所になるんだけどなあ」と、ひとりが言いました。
「今まで通ってきた大きな湖の氷が緩んでいて、キツネが渡れないようになっていたら、もってこいの場所なんだけどなあ」と、もうひとりが言いました。
困ったことに、お日さまが沈んでからは、モルテンとダンフィンが眠くなってきて、今にも地上に落ちそうになるのでした。ニールスだけは目を覚ましていられましたが、だんだんあたりが暗くなってくるにつれて、心配になってきました。
「ぼくたちが湖や沼の凍りついている土地へやってきたのは、運が悪かったんだ。これじゃ、どこからでもキツネがやってくる。ほかのところはみんな氷が溶けてしまっているのに、ここは一番寒いスモーランドだから、まだ春にならないんだ。どうやっていい寝場所を見つけたらいいんだろう。早く安全な場所を見つけないと、夜のうちにズルスケに襲われちまうぞ」
どこを見回しても、都合のいい隠れ場所は見当たりません。今夜はまた、風と霧雨をまじえた、うすら寒い真っ暗な夜です。おまけに、あたりは刻一刻と気味悪くなってくるではありませんか。
こう言うと変に聞こえるかもしれませんが、ニールスたちはどうも、農園に泊めてもらう気にはなれないらしいのです。今までにもたくさんの部落を通りすぎてきたのですが、どの家にも寄ってみようとはしませんでした。森のはずれの丘のそばにあった小さな小屋などは、疲れ切った旅人ならだれでも大喜びをして泊めてもらうところですが、ニールスたちは気にもとめませんでした。ですから、せっかく差し伸べられた救いの手を受け入れようとしないのでは、困るのも当たり前だと言われても仕方がないかもしれません。
そのうちに、いよいよ空の薄明かりもすっかり消えて、真っ暗になりました。モルテンたちも、もう眠いのを我慢できなくなって、うつらうつらしながら飛び始めました。そのとき、一軒だけぽつんと立っている百姓家が見えてきました。見れば、荒れ果てているうえに、人は住んでいないようです。煙突からは煙ものぼってはいませんし、窓からは明かりも漏れておりません。家の中には、だれもいないように見えます。
ニールスは、この家を見たとき、こう思いました。
「さあ、いまとなっては、とにかくこの家に入ってみるよりほかはない。これよりいいところは見つかりそうもないんだから」
それからまもなく、三人はその農家の庭に降りました。ガチョウたちは降りると同時にすぐ眠りこんでしまいましたが、ニールスはどこか屋根になるようなところはないかと思い、一生懸命にあちこちを見まわしました。よく見ると、この家はただの小さな百姓家ではありませんでした。母屋をはじめ、牛小屋や馬小屋があるばかりでなく、乾燥場や穀物倉、物置なども並んでいました。しかし、どれもこれも壊れていて、ひどくみすぼらしいものばかりでした。コケの生えた灰色の壁は傾いていて、今にも倒れそうです。屋根には大きな穴が口をあけていますし、戸は蝶番が壊れて外れかかっています。ひと目見ただけで、長いあいだほったらかされていたものであることが分かりました。
そのうちに、ニールスは牛小屋らしい建物を見つけました。そこでガチョウたちをゆり起こして、その入口へ連れていきました。ありがたいことに、戸は軽く鍵がかけてあるだけでしたので、すぐに棒で押し開けることができました。ニールスは、これでやっと安心して眠れるぞと思って、ほっとため息をつきました。
ところが、戸がギイッと開いたとたんに、一匹の牝牛が鳴き出しました。
「奥さん、遅かったですね。今夜はもう夕飯がいただけないのかと思いましたよ」
ニールスは、牛小屋が空っぽではなかったのでびっくりして、戸口に立ち止まってしまいました。けれどもよく見ますと、牝牛が一匹と、ニワトリが三、四羽いるだけです。それでまた元気をとり戻しました。
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