初級翻訳・ハス仙人 第7話

ハス仙人

「違います」
「それじゃあ分かったわ、刺激ね」
「はい」
「それがきっかけになって、まるで腫瘍みたいにどんどん成長するの?」
「はい、成長し切ると分裂します」
「ええっ、それってただの腫瘍じゃないか」
 とハムが顔をしかめた。
パットはピシャリと言い放つ。
「お黙りなさい。
赤ちゃんだって、みんな最初は正常な腫瘍みたいなものよ」
「正常な腫瘍だって?
ふうむ、生物学者や女の人じゃなくて本当によかったよ」
 パットはすました顔で言い返す。
「私も同感よ。
ねえオスカー、あなたの持っている知識はどれくらいなの?」
「あらゆるものです」
「私たちがどこから来たのか知っている?」
「光の向こうからです」
「そうよ、でもその先は?」
「知りません」
 パットが感慨深げにつぶやいた。
「私たちは別の惑星から来たのよ」
 オスカーが黙り込んでしまったので、パットは続けたち。
「何という惑星か知っている?」
「はい」
「でも、私が言う前に知っていたの?」
「はい、ずっと前に」
「でもどうして? 機械の作り方は? 武器の作り方は?」
「知っています」
「それなら、どうして反撃しないの?」
「必要ありません」
 パットはあきれ返って言った。
「必要ないですって? 光、いやせめて火だけでもあれば、あの3つ目の怪物を防げるでしょう、つまり追っ払えるのよ。
そうすれば食べられずに済むのに!」
「必要ありません」
 パットはしかたなくハムの方を向き直った。
「あいつら、うそをついているんだ」
 とハムが耳打ちする。
パットは首を横に振ってつぶやいた。
「私はそうは思わないわ。
私たちの理解を超えた何かが、ほかにちゃんとあるのよ。
オスカー、どうすればすべてが分かるの?」
「知性です」
 隣の穴で、また別の莢がブスッと音を立ててはじけた。
「でも、その方法は? 真実を見つけ出すやり方を教えてちょうだい」
 氷の上の生物がカシャカシャと答えた。
「どんな真実からでも、知性が造り上げる映像とは……」
 ここで言葉が途絶えた。
「宇宙のこと?」
 とパットが言葉を促す。
「そうです。
宇宙です。
一つの真実から始め、そこから理由を組み立てます。
宇宙の映像を一つ造り上げます。
別の真実をつかみ、また理由を組み立てます。
そうして描いた宇宙は、最初のものと同じであることが分かります。
その映像は、本物なのです」
 2人はすっかり圧倒され、畏れながらその生き物をじっと見つめた。
ハムがごくりとつばを飲み込んで言ったおいっ、それが本当なら、オスカー、何だって分かるってことじゃないか。
オスカー、俺たちが知らない秘密を教えてくれよ」
「できません」
「どうしてできないんだ?」
「最初に単語をもらわねばなりません。
単語のないものは、言葉にできません」
 パットがつぶやくように言った。
「その通りだわ。
じゃあオスカー、ここに言葉をあげるわね。
時間、空間、エネルギー、物質、法則、原因。
ねえ教えて、宇宙の究極の法則を」
「法則は……」
 また沈黙が訪れた。
「保存の法則? エネルギーや物質や重力の?」
「違います」
「神?」
「違います」
「生命?」
「違います。
生命は重要ではありません」
「じゃあ何の法則なのよ? 私にはもうほかに言葉が思いつかないわ」
「ほかの言葉を知らないだけってこともあるさ」
 とハムが強調する。
するとオスカーがカシャカシャと鳴った。
「そうです。
偶然の法則です。
ほかの言葉はすべて、偶然の法則の異なる側面にすぎません」
 パットが思わず口走った。
「なんてこと……。
オスカー、あなたは知っているの? 私が言った星とか、太陽、星座、惑星、星雲、それに原子や陽子や電子のことについても?」
「はい」
「でも、どうやって? 今までに星を見たことがあるっていうの?
頭の上は永遠に分厚い雲に覆われているのに。
氷の壁の向こうにあるはずの太陽だって……」
「見たことはありません」充分な理由があるからよ。
宇宙が存在できるやり方は、たった一つしかないのだから。
本当に存在するということだけが真実であり、真実でないものは存在できないのよ」
「なんだか奥が深い話だなあ。
正確にはよく分からないけどさ。
だけどオスカー、どうしてそのすごい知識を自分の身を守るために使わないんだい?」
「その必要はありません。
何もする必要はありません。
百年のうちに、わたしたちは……」
 そこでオスカーはぱたりと口を閉ざしてしまった。
「安全になるの?」
「そのとおりです……いや、違います」
 ぞっとするような恐ろしい考えが、パットの頭にひらめいた。
「ななんですって?
それじゃあ、もしかして絶滅しちゃうってこと?」
「そのとおりです」
「でも、ああ、オスカー、あなただってもっと生きたいと思わないの?
みんな、ずっと生き残りたくないの?」
 するとオスカーが叫んだ。
「タイ、タイ、タイ、タイ。
タイに意味は何もありません」
「ねえ、生きる希望とか、そういう強い欲求のことよ」
「願望は取るに足りません。
欲求、それもいりません。
生き残る必要などありません」
「まあ、それじゃあ、どうして子どもを増やしたりするの?」
 まるでその質問に答えるかのように、近くでまた莢(さや)がプツンとはじけ、ツンと鼻をつく煙のような匂いがあたりにふわっと広がった。
オスカーはカシャカシャと音をたてながら答えた。
「増える理由は……胞子がくっつくと、そうしなければならないのです」
 パットはゆっくりとつぶやいた。
「なるほどねえ。
ハム、わかったわ。
すべてが理解できたわ。
もう宇宙船へ戻りましょう」
 パットはさよならも言わずにくるりと身を翻し、ハムは頭をフル回転させながらその後をついて歩いた。
ふたりはなんだか妙なだるさに包まれていた。
じつは道すがら、ちょっとした危ない事件があったのだ。
大きな雪山の尾根の後ろに隠れていたはぐれものの3つ目が、いきなり石を投げつけてきたせいで、パットのヘルメットについていた左側のランプが粉々に壊れてしまっていたのだ。
でもパットは、少しもびっくりする様子がなかった。
ちらっと壊れたランプを横目で見てから、そのままスタスタと歩いていったのだ。
それでも帰り道の間中、左側の真っ暗な闇のなかからは、あの恐ろしい怪獣が「ホーホー」「キーキー」と意地悪くあざ笑いながら、ずっとふたりを追いかけてきていた。
やっとの思いでロケットに戻ると、パットはすっかり疲れ果てて標本袋をテーブルにドスンと投げ出し、ぶ厚い重いコートを脱ぎもしないままイスにドカッと腰を下ろした。
ハムもコートを脱がなかった。
中はうだるように暑かったけれど、面倒くさそうに寝台へバタンと身体を放り出した。
しばらくして、パットが口を開いた。
「あーあ、疲れた。

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