初級翻訳・ポラーノの広場 第12話

ポラーノの広場

わたくしは丁寧に礼をして室を出ました。
それからその辞令をみんなに一人ずつ見せて挨拶してあるき、おしまいに会計に行きましたら、会計の老人はちょっと渋い顔つきはしていましたが、だまってわたくしの印を受け取って大きな紙幣を八枚も渡してくれました。
ほかに役所の大きな写真器械や双眼鏡も借りました。

うちへ帰ると、わたくしは持っていたレコードをみんな町の古時計屋へ売ってしまいました。
そして大きなふちのついたパナマの帽子と、卵色のリンネルの服を買いました。
次の朝、わたくしは番小屋にすっかりかぎをおろし、一番の汽車でイーハトーヴォ海岸の一番北のサーモの町に立ちました。
その六十里の海岸を町から町へ、岬から岬へ、岩礁から岩礁へ、海藻を押葉にしたり、岩石の標本をとったり、古い洞穴や模型的な地形を写真やスケッチにとったり、そしてそれを次々に荷造りして役所へ送りながら、二十幾日の間にだんだん南へ移って行きました。
海岸の人たちは、わたくしのような下級の官吏でも大変珍しがって、どこへ行っても歓迎してくれました。沖の岩礁へ渡ろうとすると、みんなは船に赤や黄の旗を立てて十六人もかかって櫓をそろえて漕いでくれました。
夜にはわたくしの泊った宿の前でかがりをたいて、いろいろな踊りを見せたりしてくれました。
たびたびわたくしはもうこれで死んでいいと思いました。
けれどもファゼーロ、あの暑い野原のまんなかでいまも毎日はたらいているうつくしいロザーロ、そう考えて見るといまわたくしの眼のまえで一日一ぱいはたらいてつかれたからだを、踊ったりうたったりしている娘たちや若者たち、わたくしは何べんも強く頭をふって、さあ、われわれはやらなければならないぞ、しっかりやるんだぞ、みんなのために、とひとりでこころに誓いました。
そして八月三十日の午ごろ、わたくしは小さな汽船でとなりの県のシオーモの港に着き、そこから汽車でセンダードの市に行きました。
三十一日わたくしはそこの理科大学の標本をも見せて貰うように途中から手紙をだしてあったのです。
わたくしが写真器と背嚢をたくさんもってセンダードの停車場に下りたのは、ちょうど灯がやっとついた所でした。
わたくしは大学のすぐ近くのホテルからの客を迎える自動車へほかの五六人といっしょに乗りました。
採って来たたくさんの標本をもってその巨きな建物の間を自動車で走るとき、わたくしはまるで凱旋の将軍のような気がしました。
ところがホテルへ着いて見ると、この暑いのに窓がすっかり閉めてあるのです。
室へ通されてみると仲々むし暑いので、わたくしは給仕に、
「おい、どうしたんだ。窓をあけたらいいじゃないか。」と云いました。
すると給仕はてかてかの髪をちょっと撫でて、
「はい、誠にお気の毒でございますが、当地方には、毒蛾がひどく発生して居りまして、夕刻からは窓をあけられませんのでございます。只今、扇風機を運んで参ります。」と云ったのでした。
なるほど、そう云って出て行く給仕を見ますと、首にまるで石の環をはめたような厚い繃帯をして、顔もだいぶはれていましたから、きっと、その毒蛾に噛まれたんだと、私は思いました。
ところが、間もなく隣りの室で、給仕が客と何か云い争っているようでした。
それが仲々長いし烈しいのです。
私は暑いやら疲れたやら、すっかりむしゃくしゃしてしまいましたので、今のうち一寸床屋へでも行って来ようと思って室を出ました。
そして隣りの室の前を通りかかりましたら、扉が開け放してあって、さっきの給仕がひどく悄気て頭を垂れて立っていました。
向うには、髪もひげもまるで灰いろの、肥ったふくろうのようなおじいさんが、安楽椅子にぐったり腰かけて、扇風機にぶうぶう吹かれながら、
「給仕をやっていながら、一通りのホテルの作法も知らんのか。」と頬をふくらして給仕を叱りつけていました。
私は、ははあ扇風機のことだなと思いながら、苦笑いをしてそこを通り過ぎようとしますと、給仕がちょっとこっちを向いて、いかにも申し訳ないというように眼をつぶって見せました。
私はそれですっかり気分がよくなったのです。
そして、どしどし階段を踏んで、通りに下りました。
なるほど、毒蛾のことがわかって町をあるくと、さっき停車場からホテルへ来る途中、いろいろ変に見えたけしきも、すっかりもっともと思われたのです。
人道にはたくさんたき火のあとがありましたし、みんなは繃帯をしたり白いきれで顔を擦ったりしながら歩いていました。
また並木のやなぎにいちいち石油ランプがぶらさがっていたのです。
私は一軒の床屋に入りました。
それは仲々大きな床屋でした。
向側の鏡が、九枚も上手に継いであって、店が丁度二倍の広さに見えるようになって居り、糸杉やこめ栂の植木鉢がぞろっとならび、親方らしい隅のところで指図をしている人のほかに職人がみなで六人もいたのです。
すぐ上の壁に大きながくがかかって、そこにそのうちの四人の名前が理髪アーティストとして立派にならび、二人は助手として書かれていました。
「お髪はこの通りの型でよろしゅうございますか。」私が鏡の前の白いきれをかけた上等の椅子に坐ったとき、そのうちの一人が私にたずねました。
「ええ。」私はもう明日は帰るイーハトーヴォの野原のことを考えながらぼんやり返事をしました。
するとその人は向うで手のあいているもう二人の人たちを指で招きながら云いました。
「どうだろう。お客さまはこの通りの型でいいと仰っしゃるが、君たちの意見はどうだい。」
二人は私のうしろに来て、しばらくじっと鏡にうつる私の顔を見ていましたが、そのうち一人のアーティストが、白服の腕を組んで答えました。
「さあ、どうかね、お客さまのお(※原文表記:てへん+頁)が白くて、それに円くて、大へん温和しくいらっしゃるんだから、やはりオールバックよりはネオグリークの方がいいじゃないかなあ。」
「うん。僕もそう思うね。
もう一人のアーティストもそう言って賛成しました。
私の担当のアーティストは、俺もそう思っていたんだというようにうなずいて、私に言いました。
「いかがでしょうか、さっきの髪型よりも、ネオグリークのほうがお顔によく似合うと思いますよ。」
「そうですね、じゃあそれでお願いします。」
私も丁寧に答えました。
なぜなら、この人たちはみんな素晴らしい芸術家だと思ったからです。
さて、私の髪はどんどんキレイになり、旅の疲れもだいぶ取れました。
これなら今夜はぐっすり眠って、明日は大学のあの地下にある標本室で、現地の助手といち日中過ごしても大丈夫だぞと思いながら、心地よい気分で青い植木鉢や、アーティストの白い指の動き、そしてチャキチャキと鳴るハサミの影を眺めていました。
すると突然、私の隣の人が、
「あ、いけない、いけない、押さえてくれ!
畜生、畜生!」
とものすごく高い声で叫んだのです。
びっくりして私はそっちを見ました。
アーティストたちもみんな駆けつけました。
その叫んだ人は、片方だけヒゲを剃ったままでとっても痩せてはいましたが、しかしそれはまぎれもなくデストゥパーゴでした。
私は「しめた!」と思いました。

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