すると驚いたことに、学校帰りの子供たちが五十人も集まって、一列になって歩調を合わせながら、杉の木の間を行進しているではありませんか。
杉の並木道は、どこを通ってもまるで立派な街道のようでした。
そのうえ、青い服を着たような杉の木たちも、一緒に列を組んで歩いているように見えたので、子供たちの喜びようといったらありません。みんな顔を真っ赤にして、モズのように元気に叫びながら、杉の列の間を歩き回っていました。
杉の列には、「東京街道」「ロシヤ街道」「西洋街道」などと、どんどん名前がつけられていきました。
けんじゅうも嬉しくなって、杉の木の向こうに隠れながら、口を大きく開けて「はあはあ」と息を弾ませて笑いました。
それからは、毎日毎日、子供たちが集まるようになりました。
ただ、子供たちが来ないのは雨の日だけでした。
そんな日は、真っ白でやわらかな空から雨がさらさらと降る中で、けんじゅうがたった一人、全身ずぶ濡れになって林の外に立っていました。
「けんじゅうさん、今日も林の番人だな。」
蓑(みの)を着て通りかかる人が、笑いながら声をかけました。
その杉には鳶(とび)色の実がなり、立派な緑の枝先からは、透き通った冷たい雨のしずくがポタリポタリと垂れていました。
けんじゅうは口を大きく開けて「はあはあ」と息をつき、雨の中で体から湯気を立てながら、いつまでもいつまでもそこに立っていました。
ところがある霧の深い朝のことです。けんじゅうは萱場(かやば)で平二とばったり出くわしました。
平二は周りをキョロキョロと見回してから、まるで狼のような嫌な顔をして怒鳴りました。
「おいけんじゅう、お前のところの杉を切れ。」
「どうして?」
「俺の畑が日陰になるだろうが。」
けんじゅうは黙って下を向きました。
平二の畑が日陰になるといっても、杉の影はせいぜい五寸(約15センチ)ほど入り込んでいるだけでした。おまけに杉は、南から吹く強い風を防いでくれていたのです。
「切れ、切れ。切らないのか。」
「切らない。」けんじゅうは顔を上げて、少し怖がりながら言いました。
その唇は、今にも泣き出しそうに引きつっていました。
実はこれが、けんじゅうの一生のうちで、人に対して言い返したたった一度の言葉だったのです。
ところが平二は、人のいいけんじゅうにバカにされたと思い込み、急に怒り出して肩を怒らせると、いきなりけんじゅうの頬をなぐりつけました。
どしり、どしりと何度もなぐりつけました。
けんじゅうは手を頬に当てたまま黙ってなぐられていましたが、とうとう周りが真っ青に見えてきて、よろよろと倒れそうになりました。
すると平二も少し気味が悪くなったのか、急いで腕を組んで、のっしのっしと霧の中へ歩いて行ってしまいました。
さて、けんじゅうはその秋、チフスにかかって亡くなりました。
平二も、ちょうどその十日ほど前に、同じ病気で亡くなっていました。
ところがそんなことには一向にかまわず、林にはやはり毎日毎日、子供たちが集まりました。
お話はどんどん進みます。次の年、その村に鉄道が通り、けんじゅうの家から三町(約300メートル)ほど東の場所に駅ができました。
あちこちに大きな瀬戸物の工場や製糸場が建ち、そこらの畑や田んぼはどんどん潰されて家が立ち並びました。いつの間にか、すっかり町になってしまったのです。
その中で、けんじゅうの林だけはどういうわけか、そのまま残っていました。
杉の木もようやく一丈(約3メートル)ほどになり、子供たちは毎日毎日集まりました。
学校がすぐ近くに建っていたので、子供たちはその林と林の南側の芝原を、自分たちの運動場の続きのように思うようになっていました。
けんじゅうのお父さんも、もう髪が真っ白でした。真っ白で当然です。けんじゅうが亡くなってから、もう二十年近くになるのですから。
ある日、昔その村から出て、今はアメリカの大学で教授になっている若い博士が、十五年ぶりに故郷へ帰ってきました。
どこに昔の畑や森の面影があるでしょうか。町の人たちも、ほとんどが新しく外からやってきた人たちばかりでした。
それでもある日、博士は小学校から頼まれて、講堂でみんなに向かって、遠い外国の話をすることになりました。お話が終わると、博士は校長先生たちと一緒に校庭へ出て、それからあの「虔十(けんじゅう)の林」の方へと歩いていきました。
すると若い博士はびっくりした様子で、何度も眼鏡をかけ直していましたが、とうとう独り言のように言いました。
「ああ、ここは昔のままじゃないか。
木まで、あの頃のままなんだ。
いや、木はむしろ小さくなったみたいだね。
みんながここで遊んでいる。
ああ、あの中に私や、昔の友達の姿はないだろうか。」
博士は、ふと何かに気がついたような笑顔になると、校長先生に尋ねました。
「ここは、今の学校の運動場なんですか?」
「いいえ。
ここは向こう側の家の土地なのですが、家の人たちが全く気にせずに子供たちが集まるままにしておいてくれるので、まるで学校の運動場のように使わせてもらっていますが、実はそうではないのです。」
「それは不思議な方ですね。一体どういう理由なのでしょうか。」
「ここが町になってから、みんなが『売ってしまえ』と勧めたそうですが、おじいさんは『ここは虔十が残してくれたたった一つの形見だから、どんなに生活が苦しくても、これだけはなくすわけにはいかない』と答えているそうです。」
「ああ、そうそう、思い出しました。いました、いましたよ。
その虔十という人は、少しおつむが足りないんじゃないかと、僕らは思っていました。
いつでも『はあはあ』と笑っているような人でした。
毎日、ちょうどこの辺りに立って、僕たちが遊ぶのを見ていたんです。
この杉の木も、みんなその人が植えたものなんですね。
ああ、本当に誰が賢くて、誰が賢くないかなんて、誰にも分かりませんね。
ただ、どこまでも十力(じゅうりき)の働きは不思議なものです。
ここはもう、いつまでも子供たちの美しい公園ですね。
どうでしょう。ここに『虔十公園林』と名前をつけて、いつまでもこのままの形で残してあげては。」
「それは素晴らしいお考えです。そうなれば、子供たちもどれほど幸せか分かりません。」
さて、すべてはその通りになりました。
芝生の真ん中、子供たちの林の前に、「虔十公園林」と彫られた青いカンラン岩の石碑が建ちました。
昔この学校に通っていて、今は立派な検事になったり、将校になったり、海の向こうで小さな農園を営んでいたりする人たちから、たくさんの手紙とお金が学校に集まってきました。
虔十の家族は、本当に心から喜んで泣きました。
この公園林の杉の、黒く立派な緑の枝、爽やかな木の香り、夏の涼しい日陰、月明かりのような色の芝生が、これから何千人もの人たちに「本当の幸せとは何か」を教えてくれるのか、数え切れないほどでした。
そして林は、虔十がいた時と同じように、雨が降れば透き通った冷たいしずくを短い草の上にポタリポタリと落とし、お日さまが輝けば、新しいきれいな空気を爽やかに吐き出していました。
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