初級翻訳・レモンの花の咲く丘へ 第17話

レモンの花の咲く丘へ

二羽、三羽と羽ばたいたので、水しぶきが銀の砂みたいにパッと空へ舞い上がりましたよ。
女子 ううん、違うわ、あれは悪い前兆よ。
どう見ても、死んだ人を運ぶお葬式のひつぎの舟に見えるじゃないか。
使女A またお嬢様はそんな気味の悪いことをおっしゃる。
どうしてあれが葬式のひつぎでしょうか。
水鳥が連なって泳いでいるだけでございますよ。
(空で大きな鳥が飛ぶ羽音がする)
女子 (空を見上げて)あの恐ろしい音はなに?
使女B ダイアナの五、六羽が空を飛んでいったのでございます。
あの鳥が空をかける時は、ほんとに星が飛ぶように素早くて、まるで嵐のような恐ろしい羽音を立てるのです。
女子 空を飛んで、どこへ行くのだろうね。
使女A 寒い北の国へでございます。
女子 (ハッとしたように)その国では、たくさんの人が死ぬのじゃないかえ?
使女B (Aと顔を見合わせて)お嬢様……!
女子 (悲しそうに)死んだ人たちの魂を迎えに行くのじゃないかしら。
使女A もうお嬢様、窓からのぞくのはおやめになってくださいませ――なんだか今夜も昨晩のようで、また魔が差してしまいそうな晩でございます。
――早く寝室にお入りになって、お休みになってくださいませ。
女子 (悲しげに)どうして私が眠れるものですか。
今夜で私の運命が(と言葉を濁し)決まってしまうのじゃないかえ。
使女B (困ったように)それはそうかもしれませんが……。
女子 私の運命は、もうすぐ音楽堂に灯るランプの色で決まってしまうのじゃないかえ。
使女A まだまだ時間はございますよ。
女子 時間があると言ったって、ほんのわずかなものよ(と音楽堂を眺めながら)、あの頂上の窓に赤いランプが灯る時は、たくさんの音楽家の中から誰かが桂(かつら)の冠をもらう時――ああ、そして私の運命が決まる時だわ! (と忍び泣く。
二人の使女は顔を見合わせ、気の毒そうな表情をする。
――静けさ。
やがて使女たちが小声で話し始める)
使女A 音楽堂の中は、今どうなっているんでしょうね。
使女B 桂の冠といっしょにお嬢様を妻に迎えようと、何百人もの騎士や音楽家たちが、チェロやヴァイオリンをかき鳴らして、競い合っていることでしょうね。
使女A 誰が勝つんでしょうね。
使女B 誰が勝つんでしょうね。
使女A 一体、どなたがお美しきお嬢様を射止めるんでしょうね。
使女B 若様がお弾きになるのは「死に行く人魚」の歌とか言って、世界中で若様だけが知っていらっしゃる、とても悲しい歌なのだそうですね。
使女A (女子を盗み見しながら)若様が勝って、お嬢様を嫁にお迎えになれたなら、若様はどんなにお喜びになることでしょう。
使女B お嬢様もどんなに安心なさることでしょう。
使女A 私はなんとなく、若様がお嬢様をおもらいになるんじゃないかと思うんですけれど。
使女B 私もそう思います。
もうすぐあの音楽堂の窓に赤いランプが灯り、知らせの者が馬にムチを打ってこの館の門の前まで駆けつけ、勝利者の名前を高々と読み上げる時が来るわ。
使女B その勝者の名前は、きっと若様のお名前に違いありません。
(女子は二人の使女の話を黙って聞いていたが、ここで使女に向かって)
女子 若様のお相手をする人は、どんな人だか知っているかい?
使女A 若様と音楽の勝負をなさる方のことでございますか。
女子 今夜、若様と競い合うその相手の人を知っているかい?
使女B (Aと顔を見合わせる)昨日の夜の大変な出来事が起こる前までは……。
女子 前までは?
使女A 銀の竪琴を持った、白髪の老人が、若様のお相手と決まっていたのでございます。使女B あの大騒ぎが起きてからというもの、その白髪の老人の行方がわからなくなってしまいましたので、若様のお相手がどなたに変わったのか、私たちにはまったくわかりません。
女子 昨夜の大事件が起きる前までは、若様のお相手はあの白髪の老人だというのだね。
使女A 左様でございます。
女子 それなら今夜の若様のお相手も、あの白髪の老人にちがいないわ。
使女B どうしてでございますか。
女子 どうしてと言われてもね。
使女A どうしてなのでしょう。
使女B あんな大騒ぎを引き起こした老人が、今夜あたり音楽堂に姿を現すなんて心配はございませんでしょうに。
女子 そう思うとまちがえるよ。
使女A それでは、あの老人は今夜の競技に出るとお嬢様はお思いになられるのでございますか。
女子 しかも、銀の竪琴を持ってね。
使女B 本当になんとお思いになられるのでございますか。
女子 あの老人は、昨夜一度だけ姿を現して、それっきり隠れてしまうような卑怯な者ではないんだよ。
使女A どうしてお嬢様はそんなことがおわかりになるのですか。
女子 (小声で)Fという魔法使い、Fという魔法使いだからさ!
使女B どうしてお嬢様は、あの老人が再び現れるとおっしゃるのですか。
女子 私の呪われた神経が、そうだと私に教えているからだよ。
使女 呪われた神経が、ですか?
女子 私の呪われた神経が、今夜ふたたびあの老人が音楽堂へ現れると教えているんだ。
使女B 呪われた神経とはいったいどういうことなのでしょう。
女子 私にもよくわからないくらいなのだから、どうしてお前たちにわかるものかね。
ただ、私の心持ちが、私の理性を打ち破り、理性以上の大きな力で、今夜のことについて私に教えてくれているんだよ。
使女A 今夜のことを教えている、ですか?
女子 今夜あの老人が音楽堂へ現れるということを、なぜかこの私に教えてくれているんだ。
使女A それがおわかりになるくらいなら、それ以上のこともおわかりになられるのでございましょう。
使女B 誰が最後の勝者になるのか、誰がお嬢様を妻にお迎えになるのか、それもお嬢様にはおわかりになるはずではありませんか。
女子 それがわかるくらいなら、世の中の人たちはこんなに不幸に沈むことはないよ。
使女A おわかりにならないのでございますか。
女子 私の身の上だけは、私にはわからないもの……。
(三人はしばらく無言。
はるか音楽堂からオーケストラの音が聞こえてくる)
使女B オーケストラの音が、津波のように聞こえてきます。
使女A 音楽の津波のようなあのオーケストラの演奏のあとで、いよいよ優勝者同士による最後の競技が行われるのでございます。
使女B (女子を振り返り)お嬢様にもあのオーケストラの音が聞こえますか。
女子 ええ、ええ、とてもよく聞こえているわ。
(耳を澄ませて)そしてあのオーケストラの音の中で、二つの音が恐ろしいほどはっきりと聞こえてくる……。
二つの音がね。
使女A どんな音でございますか。
女子 ヴァイオリンの音と、銀の竪琴の音よ。
使女B 私にはただ、海のざわめきのような音のほかには何も聞こえませんわ。
女子 銀の竪琴の音は、つむじ風のようにヴァイオリンの音を吹き消していくわ。
使女A そのヴァイオリンは誰が弾いているのでございましょう。
使女B 若様ではございませんか。
女子 ヴァイオリンの音は、深山の鈴蘭が谷の陰で泣いているように、細く細い声になったわ。
使女A 銀の竪琴は誰が弾いているのでございましょう。

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