これに対して心を痛めたのが、フランスにいたロシア公使のクラキンでした。クラキンは本国へ向けて、フランス国内の反ロシア熱を報告し、「今のうちにナポレオンの増長した慢心を砕いておかなければ、ロシアに対して何をしでかすか分からない」と警告しました。そこでアレキサンダー一世は、頑固で強気な大官チェルニシェフを特派大使としてフランスへ派遣しました。世界征服を狙うナポレオンと、強気なチェルニシェフが顔を合わせたのですから、事あるごとに意見がぶつかるのは当然のことで、おかげでナポレオンのロシアに対する悪感情はますます強まってしまいました。
このナポレオンの心理を深く読み取り、彼を操ってロシア征伐という暴挙に出させようと裏で糸を引いていたのが、オーストリアの大外交家で、食えない悪党とも呼ぶべきメッテルニッヒでした。彼はこれより前、ナポレオンがロシア皇帝の妹を妻に迎え損なったと見るや、ナポレオンに対してオーストリアの皇女マリア・ルイゼをめとるよう勧めました。また、オーストリア皇帝に対しても、政治的な理由からルイゼ姫をナポレオンへの人身御供として差し出すよう進言し、見事に成功させました。こうして、ヨーロッパ随一の名門ハプスブルグ家の姫君は、コルシカ島出身の成り上がり者の妻となったのです。
一代の英雄ナポレオンも、マリアを皇后に迎え、一人の息子(後のローマ王)を授かってからは、わが国の秀吉が淀君を側室にして秀頼をもうけて以来、どこか凡人に戻ってしまったように、すっかり家庭的な男になってしまいました。マリア皇后の機嫌を取るためなら何でもしようという心持ちになっていたのです。そこへ付け込んだのがメッテルニッヒで、「新しい皇后さまのお心を喜ばせるためにも、一つ派手にロシアを叩いてみては……」などと焚きつけました。こうして起こったのがロシア遠征であり、その結末は失敗に終わったのです。
十 残心
剣道において、「残心」ということは非常に大切にされています。私も少し剣道をかじっているので、残心について書いてみることにしましょう。この残心という心構えは、剣道に限らず人生のあらゆる場面で役に立つものです。だからこそ、一国の運命を背負っている外交官などには特に必要なのです。そこで、残心について語ります。
宮本武蔵が、佐々木小次郎を木刀で真向から打ち据えて倒した時のことです。「それから、しばらく様子を見ていたが、やがて、ゆっくりと進み、小次郎の鼻へ手をかざして、その生死を確かめ」た。それから初めて、検分役の人々へ一礼し、船に乗って立ち去りました。「 」で囲ったこの間こそが、残心なのです。
今度は、残心が欠けていた外交上の失敗について書きましょう。その一つは、日清戦争のあと、ロシア・フランス・ドイツの三ヶ国が結託して、日本に対し「せっかく手に入れた遼東半島を中国へ返せ」と理不尽な要求をしてきた際、日本が寝耳に水とばかりに驚いて、その言いなりになってしまったことです。二つ目は、日露戦争が終わり、小村寿太郎侯がアメリカでロシアのウィッテを相手に講和交渉をしている時、アメリカの鉄道王ハリマンが日本へやって来て、日本の元老たちを説き伏せ、国民が血を流して勝ち取った満鉄を買い取ろうとしたことです。元老たちはそれを承知して、仮調印までしてしまいました(幸い、この話は直後に帰国した小村侯によって覆されましたが)。
さて、こう書いてきましたが、「残心とは何か」について説明しましょう。残心とは――。
一つのことをやり遂げた(武蔵が小次郎を倒したことや、日清・日露戦争で日本が勝ったことなど)あとに、「果たして本当に倒したか?」「果たして本当に勝ったのか?」と、しっかり確かめること。これが残心です。
これが残心の第一です。そしてもう一つは、倒したにしても勝ったにしても、その後から相手の反撃が来はしないかと、周囲をよく見回して、その反撃に対して用心すること。これです。これが残心の第二です。
わが国民の期待を背負う、日本外交界の獅子である松岡さんは、一方で大きな風呂敷を広げながら、もう一方で細心かつ緻密な人として定評があります。残心についても特に留意されていることとは思いますが、独ソ戦争が始まった今日においては、より一層の注意を払っていただきたいものです。ただし、残心ばかりに気を取られてしまうと臆病になり、改革も進歩もできなくなってしまうので注意が必要ですが。
コメント