初級翻訳・ワンダ・ブック――少年・少女のために―― 第36話

ホーソーン ナサニエル

実は、子供たちの中でも年下の子たちは、この丘の長い登り道が、自分たちの小さな足では最後まで登りきれないということが分かってしまったのです。
そこで従兄のユースタスは、ほかの連中が頂上まで行って帰ってくるまで、登り道のちょうど中腹あたりに、スウィート・ファーン、カウスリップ、スクウォッシュ・ブロッサム、そしてダンデライオンを残しておくことに決めました。
しかし、彼らが不平を言ってあまり残りたがらないので、彼はポケットからリンゴをいくつか取り出して分け与え、その上、とても素敵な話を聞かせてあげると約束しました。
すると彼らは機嫌を直し、泣きべそをかいていた顔が、とたんにニコニコ笑顔に変わりました。
その物語のことなら、ちょうど私はその辺の藪の陰にいて聞いていましたので、次のページから改めて、読者の皆さんにお伝えしようと思います。

不思議の壺

ずっと昔のある夕方のことです。フィリーモンおじいさんと、その奥さんのボーシスおばあさんが、自分たちの小さな家の戸口に座って、静かで美しい日暮れ時を楽しんでいました。
彼らはもう質素な夕食を終えて、寝るまでのひと時を穏やかに過ごそうとしていたのです。
そんなわけで、彼らは家の庭のことや、乳牛のこと、蜜蜂のこと、そして葡萄の木のことなどを語り合いました。
葡萄の木は家の壁いっぱいに這っていて、実が紫色に色づき始めていました。
しかし、すぐ近くの村から聞こえてくる子供たちの乱暴な叫び声や、激しく吠える犬の声がだんだんと高くなってきて、とうとう最後には、ボーシスとフィリーモンはお互いが何を言っているのか、ほとんど聞き取れないほどになってしまいました。
「ああ、おばあさん」とフィリーモンが叫びました。「誰か気の毒な旅人が、向こうの村で宿を乞うているのに、村の人たちは食事を出したり宿を貸したりするどころか、またいつものように犬をけしかけているんじゃないかなあ!」
「本当にねえ!」とボーシスが答えました。「村の人たちが、もう少し他人に対して親切な気持ちを持ってくれたらいいのにねえ。それに、子供たちをあんな悪い育て方をして、よその人に石を投げつけると頭をなでて褒めるような真似をしているんですからねえ!」
「あの子供たちは、決してろくな大人にならないね」フィリーモンは白髪の頭を振りながら言いました。「本当のところ、お前さん。彼らが行いを改めなければ、あの村の人たち全体の上に、何か恐ろしいことが起こりそうだ。でも、お前さんと私とは、神様がパンの一かけらでも恵んでくださる間は、宿のない気の毒な旅人が通りかかって『何か食べさせてほしい』と言ったら、いつもその半分を分けてあげることにしようじゃないか」
「そうしましょうとも、おじいさん! 私たちがそうしましょう!」ボーシスは言いました。この老人夫婦は――いいですか――とても貧しくて、食べていくためには、毎日ひどく一生懸命に働かなければなりませんでした。
フィリーモンおじいさんは、畑で朝から晩まで精を出して働いていました。
一方、ボーシスおばあさんは、いつも忙しそうに糸をつむいだり、飼っている牛の乳から少しばかりのバターやチーズを作ったり、そのほかにも家の中でやるべき仕事が山ほどあって、片時もじっとしていませんでした。
二人の食事といえば、パンと牛乳と野菜、それから時々、自分たちの家の蜜蜂の巣から採れた蜂蜜が少し。たまには、家の壁に絡みついた葡萄の木から取れた一房の葡萄を食べるくらいで、他に美味しいものなどほとんどありませんでした。
しかし、二人はこの上なく親切な老夫婦でした。戸口に疲れ切った旅人がやってくると、自分たちの分である一切れの黒パンや一杯の新鮮な牛乳、一匙の蜂蜜を差し出すことを、少しも惜しいとは思いませんでした。それどころか、自分たちが食べる分を減らしてでも、喜んで旅人をもてなそうとしたのです。
彼らにとって、そんな旅人たちは、どこか神聖な存在のように感じられました。
だからこそ、自分たちよりもずっと大切に、心を込まてもてなさなければならないと思っていたのです。
彼らの小さな家は、谷底にある村から少し離れた、小高い丘の上にありました。その谷の幅はおよそ半マイルほどでした。
その谷というのは、まだこの世界が生まれたばかりの遠い昔には、きっと湖の底になっていた場所でしょう。
その湖では、深いところを魚たちが元気に泳ぎ回り、岸辺には水草が生い茂り、木々や丘の姿がその広く静かな水面に美しく映っていたはずです。
しかし、長い時間をかけて水が少しずつ引いていくと、人々がそこに土を耕し、家を建てるようになりました。
今ではすっかり豊かな土地となり、かつての湖の面影は、村の中をうねうねと流れる小さな谷川以外には、何も残っていませんでした。村人たちはその川の水を生活に使っていました。
湖の水が引いてからというもの、もう随分と長い年月が経ちました。その間に樫の木が芽生えて大きく育ち、やがて枯れてはまた次の木が生え、最初の木と同じくらい立派で高くなるということを何度も繰り返してきました。
これほど美しく、実り豊かな谷は、他にはどこにもありませんでした。
周りのすべてがこんなにも豊かであるということを目の当たりにすれば、そこに住む人々は、神様の恵みに感謝して、お互いにやさしく親切に助け合って暮らすようになるはずでした。
ところが困ったことに、この美しい村の人々は、神様がこれほどまでに慈しみを注いでくださった場所で暮らすには、あまりにもふさわしくない人たちでした。
彼らはとても自分勝手で薄情で、貧しい人を憐れむこともなければ、帰る家のない人に同情することもありませんでした。
もし誰かが「人間というものは、神様から愛と守りを受けているのだから、その恩返しとして、お互いに愛し合わなければならないのです」と説いたとしても、彼らはただ鼻で笑い飛ばしたことでしょう。
これから僕が話すことは、信じられないかもしれませんが、本当の話です。
これらの心の悪い大人たちは、自分の子供たちに「人には親切に」なんて決して教えませんでした。それどころか、小さな男の子や女の子が、通りかかった気の毒な旅人の後ろを追いかけて、囃し立てたり石を投げたりしているのを見ると、「よくやった!」とばかりに、いつも手を叩いて喜んでいたのです。
また彼らは、大きくて凶暴な犬をたくさん飼っていました。もし旅人が勇気を出して村の通りへ足を踏み入れようものなら、すぐさまこの悪質な犬の群れが飛び出してきて、吠えたり唸ったり、鋭い牙をむき出しにしたりしました。
そして、旅人の足や着物に、手当たり次第に噛みついたのです。
ですから、元々ぼろぼろの服を着ていたような旅人は、やっとのことで逃げ出したときには、もう目も当てられないほどボロボロの姿になってしまうのでした。
君たちにも想像できるでしょうが、気の毒な旅人が病気だったり、体が弱っていたり、足が不自由だったり、あるいはお年寄りだったりした場合には、これは特におそろしいことでした。

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