「下小屋(したごや)」というのは、現場のすみに建てられた小屋のことで、見回りに来た人がひと休みしたり、道具をしまったりする場所をかねていました。
女房のおまさも、そうすれば毎日ごはんを運ぶ心配がなくなってラクちんだと思ったので、「それがいいわね」と賛成しました。
もちろん、山沢さんが「そうしなさい」と言ってくれたんだと、すっかり思い込んでいたのです。
それで次の日、三郎は仕事場へ行く途中に、背負いきれないほどの荷物を頭の上のほうまで高く積み上げてかついでやって来ました。
そしてお昼の休憩時間にもう一度家に戻ると、今度は荷車に、布団から鍋や釜までたくさんの荷物をのせてガラガラと引いてきました。
小さな子どもをおんぶしたおまさも、三分心のランプや下駄(げた)、ビンなどを両手にぶら下げて二、三回往復するだけで、あっという間に引っ越しは終わってしまいました。
荷物をちょこっと部屋のすみに片寄せると、目を丸くしてびっくりしているおまさを放っておいて、三郎は悠々と山沢さんのところへ引っの報告に出かけたのでした。
ちょうどそのとき、奥さんに温かいお茶を淹れさせていた山沢さんは、三郎のあまりにもあっさりした報告を聞くと、少し驚いたような顔をしました。
でも、すぐに何か文句でも言いたげな奥さんの口元を見ると、なんだか楽しそうにニコニコしながら、相変わらずゆったりした調子で、
「それもいいだろうよ、自分の好きなようにしなさい」
と言いながら、大きな頭をぶんぶんと振って、ハハハハと豪快に笑いました。
それまで住んでいた家をどうするのかさえ聞かない旦那様は、ちょうどお茶請けに出ていた東京名物の栗饅頭を三つ、「ふたりで仲よく食べなさい」と言って三郎にくれたのです。
こんな出来事は、山沢さんと三郎の間では、お互いの信頼関係にヒビが入るような心配なんて絶対にない、どうってことのない小さな出来事でした。
けれど、まわりの人たちの目から見ると、ただ「ハハハハ、そいつは面白いな」で済む話ではありませんでした。
「山沢さんをうまく言いくるめたんだ」とか、「すっかり手のひらの上で転がされているぞ」と、みんなで大騒ぎしたのです。
でも、三郎はそんなまわりの非難が、本当は自分と山沢さんの仲の良さをうらやましがっているだけなんだとちゃんと分かっていたので、心配するどころか平気な顔をしていました。
心の中ではますます得意になって、「自分はまるで『山沢家の大久保彦左衛門(おおくぼひこざえもん)』みたいだ!」と、自信を深めるばかりだったのでした。
泥まみれの「大久保彦左衛門」気取りの三郎は、立派な新しい家ができていくのが楽しみなのはもちろんですが、足りなくなった木材を上手にやりくりしたり、少ない職人たちをうまく動かしたりして、山沢さんから「よくやってくれたな」と褒められるのが、何よりも嬉しかったのです。
「仕事のことは、あの三郎に聞けばいい」と山沢さんに言われると、三郎はもううれしくて顔がほくほくしてしまいます。
偶然居合わせたお客さんの前などで、「この男がよくやってくれてね」と山沢さんに一言でも褒められると、彼は大きな目を細め、首をすくめながら、とろけそうになりながらニコニコと喜んだのでした。
十
晩ごはんをすませたあと、ほんのひと息つくだけで、あとは山沢さんのところへ行って褒められるのが楽しみでたまらない三郎は、金鎚(かなづち)と指金(さしがね=大工道具)をしっかりと握りしめ、仕事場中を見回りました。
壁の裏板の張り方ひとつとっても、いい加減な仕事は絶対に許しません。
ちょっとでも手を抜こうものなら、破れ鐘のようなものすごい大声で怒鳴りつけ、職人たちを震え上がらせました。
大工たちが「やってられないよ」と嘆くのも無理はないと思われるほど、三郎の現場監督ぶりはものすごく厳しかったのです。
それで、きっと大工たちの間で、こっそりと作戦会議でも開かれたのでしょう。
仲間の一人で、東京からやってきた口のうまい男に酒を飲ませて、三郎の小屋へ送り込んだのです。
うまくおだてて、仕事を手抜きするように頼んでこいとでも言われたのかもしれません。
けれど、その男はあいにく少し飲みすぎて酔っ払っていたため、三郎の顔を見るなり、江戸っ子みたいな巻き舌でいきなり悪態をつきました。
「おめえさんの家を建ててるわけじゃねえんだから、そんなにやいやい言うんじゃねえよ! やるだけのことはやってらあ。こっちはプロなんだ、ちょんまげ頭の爺さんの世話になんてなるもんか!」
それを聞いた三郎爺は、まるで仁王様のように恐ろしい姿になり、しばらくその男の顔をじっと睨みつけていましたが、次の瞬間、酒の酔いも一気に吹き飛ぶような鋭い声で、
「貴様、明日からもう来なくていい!」
と怒鳴りつけました。
そして、その男がすごすごとしおれて小屋から出て行くまで、くるりと背中を向けたまま、頭ひとつ動かそうとしませんでした。
それでも、大工のほうでは、「昨日は酔っ払っていたんだから、謝れば機嫌を直してくれるだろう」と甘く考えて、翌朝ものこのこと仕事場にやって来ました。
そして、ニヤニヤしながらお世辞を言おうとしたその瞬間、三郎はわざとまわりのみんなに聞こえるような大声で言い放ちました。
「おめえ一人が、酒の勢いでつい悪態をついたって言うなら、俺も許してやったさ。だがな、今回はそういうのとは違うから、どうしても許さねえ。
さあ、帰った帰った、おめえに来てもらう用事はもうねえんだ。
いくら俺がちょんまげ頭の爺さんだからって、山沢の旦那様から何もかも任されたこの俺を、てめえみたいな生意気な小僧っこにバカにされてたまるか!」
と、ものすごい剣幕で啖呵(たんか)を切ったのです。
そして、途方もなく大きなゲンコツをブンブンと振り回しながら、一気に相手を言い負かしてしまったその様子を目の当たりにした他の職人たちは、思わず顔を見合わせて、大きなため息をつくばかりだったのでした……。
そんなトラブルが一度や二度ではありませんでしたが、それでも工事はどんどん進んでいきました。そして、翌年の春の盛りにおめでたい新築祝いが開かれたとき、彼は立派な紬(つむぎ)の紋付きを着て、旦那様のお下がりでもらった仙台平(せんだいひら=高級な袴)をはき、みんなの前で、彼が「かんじょう」と呼ぶお褒めの言葉と、いくらかの賞金をもらいました。
それがよほど嬉しかったとみえて、「旦那様にお見せするんだ!」と言いながら、庭に広げた毛氈(もうせん=赤い敷物)の上で、彼は赤い手拭いを頭にかぶり、後にも先にもたった一度きりの「タコ踊り」を陽気に踊ったのでした。
このように、山沢さんが元気だったころは、三郎にとっても働きがいがあって、本当に楽しい日々でした。
けれども、新しい家に引っ越してから間もなく、若いころから無茶ばかりしてきた山沢さんの体には、そろそろと悪い影が忍び寄り始めました。
重いリウマチで足が思うように動かなくなったのがもとで、おいおいと中風(ちゅうふう=体が不自由になる病気)のようになっていったのです。
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