ところが、ちょうどその同じころ、岬の村でも大さわぎだった。
昨日は舟にのってきたとかで、気がつかぬうちにまた舟で帰ったのをきいた村のおかみさんたちは、今日こそ、どんな顔をして道を通るかと、その洋服をきているという女先生を見たがっていた。
ことに村の入り口の関所とあだ名のあるよろずやのおかみさんときたら、岬の村へくるほどの人は、だれよりも先にじぶんが見る権利がある、とでもいうように、朝のおきぬけから通りのほうへ気をくばっていた。
だいぶ永らく雨がなかったので、かわいた表通りに水をまいておくのも、新らしい先生を迎えるにはよかろうと、ぞうきんバケツをもって出てきたとき、向こうから、さあっと自転車が走ってきたのだ。
おやっと思うまもなく、
「おはようございます」
あいそよく頭をさげて通りすぎた女がある。
「おはようございます」
返事をしたとたんに、はっと気がついたが、ちょうど下り坂になった道を自転車はもう走りさっていた。
よろずやのおかみさんはあわてて、となりの大工さんとこへ走りこみ、井戸ばたでせんたくものをつけているおかみさんに大声でいった。「ちょっと、ちょっと、いま、洋服きた女が自転車にのって通ったの、あれがおなご先生かいの?」
「白いシャツきて、男みたような黒の上着きとったかいの」
「うん、そうじゃ」
「なんと、自転車でかいの」
昨日入学式に長女の松江をつれて学校へいった大工のおかみさんは、せんたくものを忘れて、あきれた声でいった。
よろずやのおかみさんは、わが意を得たという顔で、
「ほんに世もかわったのう。
おなご先生が自転車にのる。
おてんばといわれせんかいな」
口では心配そうにいったが、その顔はもうおてんばときめている目つきをしていた。
よろずやの前から学校までは自転車で二、三分であろうが、すうっと風をきって走っていって十五分もたたぬうちに、女先生の噂はもう村中にひろまっていた。
学校でも生徒たちは大さわぎだった。
職員室の入り口のわきに置いた自転車をとりまいて、五十人たらずの生徒は、がやがや、わやわや、まるで雀のけんかだった。
そのくせ女先生が話しかけようとして近づくと、やっぱり雀のようにぱあっと散ってしまう。
しかたなく職員室にもどると、たったひとりの同僚の男先生は、じつにそっけない顔でだまっている。
まるでそれは、話しかけられるのは困りますとでもいっているふうに、机の上の担当箱のかげにうつむきこんで、なにか書類を見ているのだ。
授業のうちあわせなどは、きのう小林先生との事務ひきつぎですんでいるので、もうことさら用事はないのだが、それにしてもあんまり、そっけなさすぎると、女先生は不平だったらしい。
しかし、男先生は男先生で、困っていたのだ。
――こまったな。
女学校の師範科を出た正教員のぱりぱりは、芋女出え出えの半人前の先生とは、だいぶようすがちがうぞ。
からだこそ小さいが、頭もよいらしい。
話があうかな。
昨日、洋服をきてきたので、だいぶハイカラさんだとは思っていたが、自転車にのってくるとは思わなんだ。
困ったな。
なんで今年にかぎって、こんな上等を岬へよこしたんだろう。
校長も、どうかしとる。
――
と、こんなことを思って気をおもくしていたのだ。
この男先生は、百姓の息子が、十年がかりで検定試験をうけ、やっと四、五年前に一人前の先生になったという、努力型の人間だった。
いつも下駄ばきで、一枚かんばんの洋服は肩のところがやけて、ようかん色にかわっていた。
子どももなく年とった奥さんと二人で、貯金だけをたのしみに、倹約にくらしているような人だから、人のいやがるこのふべんな岬の村へきたのも、つきあいがなくてよいと、じぶんからの希望であったという変り種だった。
靴をはくのは職員会議などで本校へ出むいてゆくときだけ、自転車などは、まださわったこともなかったのだ。
しかし、村ではけっこう気にいられて、魚や野菜に不自由はしなかった。
村の人と同じように、垢をつけて、村の人と同じものを食べて、村のことばをつかっているこの男先生に、新任の女先生の洋服と自転車はひどく気づまりな思いをさせてしまった。
しかし、女先生はそれを知らない。
前任の小林先生から、本校通学の生徒のいたずらについては聞いていたのだが、男先生についてはただ、「へんこつよ、気にしないで」とささやかれただけだった。
だが、へんこつというよりも、まるでいじわるでもされそうな気がして、たった二日目だというのに、うっかりしていると、ためいきが出そうになる。
女先生の名は大石久子。
湖のような入り江の向こう岸の、大きな一本松のある村の生まれである。
岬の村から見る一本松は盆栽の木のように小さく見えたが、その一本松のそばにある家ではお母さんがひとり、娘のつとめぶりを案じてくれている。
――と思うと、大石先生の小さなからだは思わず胸をはって、大きく息をすいこみ、
「お母さん!」
と、心の底から呼びかけたくなる。
ついこのあいだのこと、
「岬は遠くて気のどくだけど、一年だけがまんしてください。
一年たったら本校へもどしますからな。
分教場の苦労は、さきしといたほうがいいですよ」
亡くなった父親と友だちの校長先生にそういわれて、一年のしんぼうだと思ってやってきた大石先生である。
歩いてかようにはあまりに遠いから、下宿をしてはとすすめられたのを、母子いっしょにならせるのをただ一つのたのしみにして、市の女学校の師範科の二年を離れてくらしていた母親のことを思い、片道八キロを自転車でかよう決心をした大石先生である。
自転車は久子としたしかった自転車屋の娘の手づるで、五か月月賦で手にいれたのだ。
着物がないので、母親のセルの着物を黒く染め、へたでもじぶんで縫った。
それともしらぬ人びとは、おてんばで自転車にのり、ハイカラぶって洋服きていると思ったかもしれぬ。
なにしろ昭和三年である。当時はまだ普通選挙がおこなわれても、自分には関係のないことだと思っているような、へんぴな村のことである。
その自転車が新しくピカピカ光っていたから、その黒い手作りのスーツに汚れがついていなかったから、その白いブラウスが真っ白だったから、岬の村の人たちにはすごく贅沢(ぜいたく)に見えたし、おてんばに見えたし、近寄りがたい女の人のように見えたのだろう。
しかしそれも、大石先生にとってはまだ納得がいかない、赴任してまだ二日目のことだった。
まるで言葉の通じない外国へでもやってきたような心細さで、一本松がある自分の家のほうばかりを見つめていた。
カッ カッ カッ カッ
授業のはじまりを知らせる板木(ばんぎ)がカンカンと鳴り響き、大石先生はハッと驚いて現実に引き戻された。
この学校で一番上の四年生の学級委員に、昨日選ばれたばかりの男の子が、精一杯背伸びをしながら板木を叩いていた。
校庭に出ると、今日初めておうちの人から離れて、一人で学校へやってきたという意気込みと、少しの不安を隠せない一年生の一団だけが、独特な、静かなざわめきを見せている。
コメント