人形たちが、ほんとうの役者になることを望んでいらっしゃるんですね」と、学生は言いました。
「そして、あなた自身が監督になれば、それであなたは、完全に幸福になると、信じていらっしゃるんですか?」
学生はそれを信じませんでしたけど、わたしは信じました。
わたしたちは、さらにそのことについて、いろいろと話しあい、とうとう、意見もほとんど一致しました。
そこで、わたしたちは、グラスをかちあわせて、かんぱいしました。
ブドウ酒はたいへん上等なものでしたが、その中には、なにか魔法のくすりでも、はいっていたんでしょうよ。
なぜって、いつもなら、いい気持になって、酔ってしまうのですが、このときは、そうではなくて、逆に、わたしの目は、はっきりとしてきたんです。
と、きゅうに、部屋の中に太陽がさしこんできたように、明るくなりました。
その光は、工科大学の学生の顔から、さしているのです。
思わず、わたしは、永遠の若さで、地上を歩きまわっていたという、大昔の神さまたちを、思わずにはいられませんでした。
わたしが、そのことを言うと、学生はほほえみました。
わたしは、この学生こそ、姿をかえた神さまか、そうでなければ、神さまの家族のものにちがいない、と、ちかってもいいとさえ、思ったほどでした。
――ところが、ほんとうに、そうだったんですよ――わたしのいちばんの願いが、かなえられたんです。
人形たちが生きて、わたしは生きた、ほんとうの人間の一座の、監督になったんです。
わたしたちは、お祝いのかんぱいをしました。
学生は、わたしの人形を一つのこらず、木の箱につめて、それを、わたしの背中にしばりつけました。
そして、わたしを、ドスンと、コイルの中に入れました。
そのとき、ドスンと落ちた音が、いまでも、わたしの耳にきえてきますよ。
わたしは、床の上に横たわりました。
これは、ほんとうの話ですよ。
すると、一座のものが、みんな箱から飛びだしてきました。
つまり、霊気が、みんなの上に働きかけたってわけです。
人形という人形が、すばらしい芸術家になりました。
みんながみんな、自分で、そう言うんです。
そして、このわたしは、監督になったんです。
第一回めの上演の準備は、もうすっかりできあがりました。
ところが、一座のものがひとりのこらず、なにか、わたしに話したいことがあるというんです。
お客さんもおんなじです。
踊り子は、自分が片足で立たないと劇場はつぶれてしまう。
なにしろ、自分は舞踊界の大家なんだから、それにふさわしいように、待遇してもらいたい、と、言いだしました。
すると、皇后の役をやった人形は舞台の外でも、皇后としてあつかってもらいたい、そうでないと、へたになってしまうから、と、言いました。
また、手紙を持って登場する役の人形は、一座の中でいちばんの色男役のつもりで、もったいぶっていました。
なぜって、芸術の世界では、小さいものも、大きいものと同じように重要なのだから、と、この男は言いたてました。
いっぽう、主人公役は、自分が出るときは、いつも幕切れのまえでなければこまる、なぜなら、お客さんはそこで拍手するのだから、と、言いました。
それから、プリマドンナは、自分が出るときは、赤い照明にしてもらいたい、それが、自分にはよく似合うのだから、と言いました――そして、青い照明ではいやだ、と言うのです。みんなが口々にがやがやと文句を言うものだから、まるでハエがびんの中でブンブンと飛び回っているみたいでした。
しかも、このわたしは、そのびんの中にいなければならないのです。
なにしろ、一座の監督なんですからね。
息はつまりそうになるし、頭はくらくらしてくるしで、わたしはこの上もなくみじめな人間になってしまいました。
今までに見たこともないような、とんでもないわがままな人間たちの中に入り込んでしまったのです。
わたしは、もう一度みんなを箱の中に入れてしまいたい、と思いました。
もうどんなことがあっても、こんな劇場の監督にはなるまい、と思いました。
わたしは、みんなに向かってきっぱりと、――きみたちは、なんのかんと言ったって、けっきょくはただの人形じゃないか! と言ってやったのです。
すると、みんなは、いきなりわたしに殴りかかってきました。
ハッと気がついてみると、わたしは、自分の部屋のベッドに寝ていました。
わたしがどんなふうにしてそこへもどってきたのかは、あの工科大学の学生なら知っていたに違いありません。
けれども、わたしにはまったくわかりませんでした。
月の光が、床の上にさしこんでいました。
そこには、人形の箱がひっくりかえっていて、人形たちは、大きいのも小さいのもひとつのこらず、つまり、わたしの商売道具がみんな、まわりにほうり出されていたのです。
わたしはのろのろせず、すぐさまベッドから飛びだしました。
すると、人形たちは自分から箱の中に入っていきました。
ある者は頭のほうから、ある者は足のほうから、というぐあいに。
わたしはすぐにふたをして、その箱の上に、どっかと腰をおろしました。
そのときのようすは、絵にでもかいておきたいほどでしたよ。
あなたには想像できますか?
わたしには、今もなおこの目でハッキリと見えているようです。
「さあ、おまえたちは、ずっとその中に入りなさい」と、わたしは言いました。
「わたしはもう、おまえたちが血と肉を持つようになることなど、二度と願わないよ」
そう言うと、わたしはたいへん気が楽になりました。
わたしは、この世でもっともしあわせな人間になりました。
あの工科大学の学生が、わたしの心をきれいにしてくれたのです。
わたしは、なんともいえない幸福な気持にひたっているうちに、箱に腰かけたまま、いつの間にか眠りこんでしまいました。
そして、朝になっても――いや、ほんとうはもうお昼になっていました、
びっくりするほど寝坊をしてしまったものですが――わたしはまだ箱の上に腰かけていました。
あいかわらず、しあわせな気持のままでした。
なにしろ、前から胸にいだいていたあのたった一つの願いが、いかにばかばかしいものであるかということを、すっかり思い知らされたのですから。
わたしは目を覚ましてから、あの工科大学の学生のことをたずねてみました。
すると、あの学生は、まるでギリシャやローマの神さたちのように、もうどこかへ消えうせてしまっていたのでした。
このときからというもの、わたしは、世にもしあわせな人間なんですよ。
ほんとうにしあわせな、人形の監督なんです。
わたしの一座のものは、もう二度とへ理屈をこねたりしません。
お客さんたちも、おんなじです。
みんな、心の底からよろこんでくれています。
わたしは、自分の芝居を、自由に組み立てることができます。
いろんな古い芝居から、自分の好きな、いちばんいいところだけを取り出してきても、だれひとり文句を言う者や腹をたてる者はいません。
大きな劇場では、いまやもう見向きもされないけれど、三十年前にはお客さんたちの心をひきつけて、あたたかい涙を流させた――そんなすばらしい作品を、わたしは取りあげて、小さいお客さんたちに見せてあげるのです。
初級翻訳・人形つかい 第2話
アンデルセン ハンス・クリスチャン
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