初級翻訳・人柱の話 第3話

人柱の話

少し『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』の記録に従って見てみると、初めてこの長柄の橋を架けたとき、川の神様のためにどうしても人ばしらを入れなければならないということになり、関(せき)を垂水村(たるみむら)に構えて、人ばしらにする人間を捕まえようとしました。
そこへ、その村に住む「岩氏(いわし)」という名前の男がやってきて、「人ばしらに使う人間は、袴(はかま)につぎ(継ぎ当て)があるやつにするといい」と、自分で勝手に提案しました。
ところが、「そんなことを言うお前こそ、袴につぎがあるじゃないか!」とまわりの人たちに見つかり、捕まってしまって、あっという間に人ばしらにされてしまったのです。
その岩氏をかわいそうに思って弔うために「大願寺(だいがんじ)」というお寺が建てられました。
岩氏の娘は河内の禁野の里(きんやのさと)に嫁ぎましたが、「口は災いのもとだ」とお父さんの失敗にこりて、それからずっと一言もしゃべらない「唖(おし:話せない人)」として生きていくことにしました。
夫は、「いくら年月が過ぎても、愛のささやき一つ聞かせてくれない。姿かたちはあっても、女としての魅力(愛嬌)がなければまるで人形と同じだ」とすっかり愛想を尽かし、妻を実家に送り返すことにしました。その途中で交野の辻(かたののつじ)を通ったとき、雉(きじ)が鳴くのを聞いて、夫が「あの雉を弓で射止めよう」と狙いを定めると、駕籠(かご)の中から妻が突然、生き生きとした声で、
「物いはじ 父は長柄の人ばしら 鳴ずば雉も射られざらまし
(何も言うまい。父は長柄の橋の人ばしらなのだから。もしあの雉が鳴かなければ、あなたに射られることもなかったでしょうに)」
と歌ったのです。
「あんなに素晴らしい美しい声を持っていたのに、今まで俺は、自分ひとりでばかりおしゃべりをさせていたんだな!」と怒りがわいてきたものの、それ以上にうれしさが爆発して、夫は妻といっしょに大喜びで引き返し、それからは大きな声をあげて家中の先祖の位牌(いはい)がひっくり返るのも気にせずにおおはしゃぎで遊び続けました。そのおめでたい出来事を記念して「雉子塚(きじづか)」を築き、杉を三本植えたものが、いまでもちゃんと残っているということです。

こうしたよく似たお話は外国にもあります。エジプトの王ブーシーリスの時代に、9年もの大飢饉(ききん)が起きました。そこでキプルス人のフラシウスという人が、「毎年、外国生まれの人を一人ずつ神様へのいけにえにすればいいですよ」と王さまにすすめたところ、「じゃあお前が外国生まれだな」と言われ、自分が一番最初にいけにえとして殺されてしまったということです。
(『スミスの希羅人傳神誌名彙』巻1)
さらに、古い歴史書である『左伝(さてん)』には、賈太夫(かたいふ)がめとった美しい妻が、普段は決して話さず、笑いもしなかったのに、夫が雉を射落として見せたところ、とつぜん言葉を話してニコッと笑ったというお話が書かれています。
(『左伝』昭公二十八年)

『摂陽群談(せつようぐんだん)』巻12には、嵯峨天皇(さがてんのう)の弘仁(こうにん)3年6月に岩氏が人ばしらになったと書かれており、巻8には、その娘の名前は「光照前(こうしょうまえ)」といい、美しさは世の中でもピカいちで、朝日のようにまぶしいほどだったと記されています。

もう二つ、よく似たお話をご紹介しましょう。
朝鮮の鳴鶴里(めいかくり)という場所の土の堤防は、何度築いてもすぐに崩れてしまいます。ある小僧さんが「人ばしらを立てたらうまくいきますよ」とすすめたのですが、いざとなると誰もそんな犠牲になる人はいません。そこで、結局その小僧さん自身を人ばしらに入れたところ、やっと堤防が無事に完成したということです。
また、ルーマニアの古い歌には、大工の棟梁(とうりょう)であるマヌリが、ある大きなおおきな建物を建て始める前の晩、夢でお告げを聞きました。「もし建物を完成させたいなら、明日の一番星……いや、明日の朝一番にその場所にやってきた女の人を人ばしらにしなさい」と。そして翌日の朝、一番にそこにやってきたのは、なんとマヌリの愛する妻だったため、泣く泣く彼女を人ばしらに立てたというお話です。
(三輪環氏の『伝説の朝鮮』212ページ、『1889年版ジョーンスとクロップのマジャール俚譚』377ページ)

つい最近の本紙(大正14年6月25日の『大阪毎日新聞』)に、ある人が「橋や人工の島に人ばしらを立てたという話は聞くけれど、お城を建てるときに人ばしらにしたという話は聞いたことがない」と書いていましたが、井林廣政(いばやしひろまさ)さんから、「かつて伊予(いよ)の大洲(おおず)のお城を建てるときに、『お亀(かめ)』という名前の女の人を人ばしらにしたので、この城を『お亀城』と呼ぶようになったんだよ」と聞かせていただきました。
この井林さんは大洲で生まれた武士の家系の方ですから、きっとただの作り話や嘘ではないのでしょう。
また、横田傳松(よこたでんまつ)さんからいただいたお手紙によると、大洲城を「亀の城」と呼ぶのはのちの時代になってからのことで、昔は「比地(ひじ)の城」と呼んでいたそうです。
最初にお城を建てたとき、下のほうの高い石垣が何度も何度も崩れてしまってどうしても完成しませんでした。そこで、領内にいる美女を一人、くじ引きで選んで人ばしらにしようと決め、その結果「オヒヂ」という名前の娘さんに当たりが出てしまい、生きたまま埋められてしまいました。それからは、石垣が崩れることは二度となかったということです。
さらに、東宇和郡(ひがしうわぐん)多田村(ただむら)の関地(せきち)の池でも、「オセキ」という女の人を人ばしらに入れたという伝説が残っているそうです。
横田さんはそのあたりの郡の歴史の本(郡誌)を編集した方だと聞いていますので、特にここに書き留めておきましょう。清水兵三くんのお話(高木敏雄氏の『日本伝説集』に載っているお話)によると、雲州(うんしゅう)の松江城を堀尾氏が建てるときになかなか工事がうまくいかず、毎晩そのあたりを美しい声で歌いながら通り過ぎる娘を人柱にしたということです。いまも普門院(ふもんいん)というお寺のそばで「東北(とうほく)」という歌を歌いながら通ると、必ずその娘が出てきて泣くのだそうです。
これは、その娘を弔ったお寺で、ちょうど「東北」を歌っている最中に捕らえられてしまった……ということなのかもしれません。
実際に、わたしの家の近所にある大きなお屋敷には立派な枝垂れ松(しだれまつ)があって、その下を夜更けに「八島(やしま)」という歌をうたいながら通ると、幽霊が出てきます。
昔、そのお屋敷の主人が目の見えないお坊さんに芸をさせ、「八島」を歌う場面を「試し斬り(ためしぎり)」にしたため、その幽霊の目印が出ると言われているのです。
「いやですぜ、いやですぜ……」

イギリスやアイルランド、スコットランドの国境あたりの地域に伝わる言い伝えでは、「パウリーヌダンター」と呼ばれる不思議な化け物が、古いお城や砦(とりで)、時計塔、地下の牢屋などに現れるといいます。

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